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徽宗皇帝のブログ

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メモ日記トゥディ「床屋政談の勧め」10.5.14
このブログは、別に政治的発言をするために作ったものではないが、政治的発言が自然に多くなったのは、やはり政治というものが面白いからだろう。いわゆる「床屋政談」という奴だ。

床屋政談を馬鹿にする人間は多いが、私は素人の床屋政談こそが民主主義の土台だと思っている。右か左か、保守か革新かに関わらず、笑って政治を論じることのできる風土が日本に作られることが私の望みである。
現在は、「宗教」と「政治」については、身内の人間とも話すことはできない、というのが普通の人間の生活だろう。そうした話は人間関係を回復不可能なまでに破壊する可能性が高いのである。日常生活の中に健全な言論空間が無いということは健全な政治的判断を育てる風土が無いということだ。
そのために、多くの人間は、たとえば親が保守思想の持ち主だったから自分もそうなるとか、あるいは逆に、親の革新思想に反撥して右翼思想の持ち主になる、ということになる。なぜか、左翼思想の方に行く若者は少ないようだ。それはなぜか。「右翼思想の方が正しいからさ!」と言うのは少し待ってもらおう。
私は分析と解釈が趣味だから、若者はなぜ右翼思想になりがちなのか、ということを分析してみたいが、今日は雑談的に話を始めたので、そちらは稿を改めて(ブログでも「稿を改めて」と言うべきだろうか?)論じよう。

床屋政談に話を戻す。
子供の頃に「小公子」を読んだのだが、主人公のセドリック少年がアメリカに渡って生活をしていた頃に仲良くなる雑貨屋の親父がいて、この人物の趣味が政治の話なのである。セドリックも一緒になって無邪気な政治論議をしたりするのだが、このエピソードが私は大好きである。無知無学な庶民が大真面目に政治を論じるという風土こそが、アメリカの民主主義を育てたのであり、政治が専門家たちの手に奪われた時から、アメリカの民主主義は有名無実なものに変わっていったのではないかと私は考えている。まあ、基本文献であるトックヴィルの「アメリカの民主主義」もまだ完全には読んでいない怠惰な人間の空想的意見にすぎないが。

だが、インターネット上の「床屋政談」は、政治を再び民衆の手に取り戻す、その起爆剤になるものだと私は思っている。

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