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徽宗皇帝のブログ

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沖縄人と大和人
沖縄の人間にとっては常識でも、本土の人間にとっては初耳かもしれないから、記事を転載しておく。ついでに言うと、本土の人、という言い方自体、お互いの懸隔を広げる可能性があるのだが、沖縄の人間にとってかつて他府県人は「大和人(ヤマトゥンチュー)」、つまり「日本人」であり、自分たちとは人間の種類が違う人々、というイメージがあった。アイヌにおける「シャモ」も同じだろう。つまり、差別対象になった人々が、逆に差別する人々を「あいつらは我々とは違う人間だ」と見做したわけだ。
現在では、沖縄にも本土人がたくさん渡ってきて生活しており、沖縄の人間と結婚した本土人も多いのだが、ネトウヨ、あるいは権力に尻尾を振る人間の中には沖縄を憎悪する人間が多いのは、沖縄の人間は「まつろわぬ民」つまり、本土政府に反抗する連中だ、と見做されるからだろう。もちろん、米軍基地の存在など、沖縄への不当な待遇の結果、本土政府への異議申し立てが必然的に多くなるのだが、そういう前提をすっ飛ばして、沖縄は左翼に汚染されている、とされるわけである。百田尚樹など、その代表的なキチガイ言論人である。

(以下引用)





ネラーさん本当に知らなかったの? 元住民を傷付ける「普天間、人いなかった」発言






◆イチから分かるニュース深掘り 普天間飛行場問題(上)


 米海兵隊トップのネラー司令官が2日の米国防総省での記者会見で「普天間飛行場の建設時(1945年)の写真を見ると、数キロ内に人は住んでいなかった。現在はフェンスまで都市地域が迫っている」と発言した。「危険になったから名護市辺野古の新基地建設を進める」という意図を持つとみられるが、明らかな誤解、デマだ。沖縄の施政権を米国が日本へ返還してから46年目の5月15日を前に、普天間飛行場問題を振り返る。(政経部・福元大輔)

◆村役場があり8800人生活

 -海兵隊のトップが『普天間飛行場は人の住んでいない所に造った』と言ったんだよね。何が誤解なの?


 「人の住んでいない所に造ったわけではないよ。普天間飛行場がある場所には戦前、当時の宜野湾村役場や宜野湾国民学校があり、南北に宜野湾並松(ジノーンナンマチ)と呼ばれた街道が走っていたんだ」


 -人は住んでいたの。


 「宜野湾市史によると、沖縄戦前年の1944年、当時の村内に22の字があり、人口は1万3635人だったんだ。飛行場はそのうちの14字にまたがる宜野湾村の中心地に建設され、その14字には8880人が生活していたよ」


 -どうして飛行場を造る必要があったのかな。


 「沖縄は航空機で本土を攻撃し、戻ってこれる距離にあり、米軍は出撃拠点として目を付けていたんだ。45年の沖縄戦で、沖縄本島に上陸した米軍は飛行場に適した宜野湾の土地を奪い、そこに2300メートルの滑走路2本と、爆弾を積むB29爆撃機の駐機場220カ所などを造る計画だったんだよ」

◆住民は疎開や収容所にいた

 -いつできたの。


 「米軍の記録では45年6月17日に飛行場建設の任務を部隊に割り当てたんだ。日本軍の司令官が自決し、組織的戦闘が終結したとされるのは6月23日だよね。つまり人々を追い払い、戦争真っただ中に、飛行場を造り始めたことが分かるね」


 -戦争中にできたの?


 「8月23日までに約1800メートルの滑走路1本と、駐機場75カ所、誘導路などが使用可能だったんだ。戦争が終わった後も、さらに滑走路や周囲を拡張したよ」


 -住民はどうなったのかな。


 「その間、疎開したり、収容所に入れられたりしていたんだ。45年10月以降に少しずつ帰村を許されたけど、戻ってみると、自宅や畑はフェンスに囲まれていたよ。だから、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落を作り直すことを余儀なくされたんだ」

◆ふるさと追われた人の気持ち

 -ネラーさんは知らなかったのかな。


 「『人の住んでいない場所に飛行場ができた』という発言は、作家の百田尚樹さんなど、これまでもあったね。『何もないところに造ったのに周りに人が住んだ。危険だから名護市辺野古へ移設しようとしたら、反対する人がいる』と言いたいんだろうけど、実態とかけ離れているね」


 「元住民たちは『ネット情報をうのみにした幼稚な発言だ』『ふるさとを追われた人の気持ちを知らず、ばかにしている』と非難しているよ」


 -沖縄の他の米軍基地もそうなの。


 「県の資料によると、沖縄戦の前に旧日本軍が所有していた土地は540ヘクタールだったんだ。米軍が上陸後、沖縄の施政権を停止し、軍事占領した土地はその30倍に上る1万7400ヘクタール。52年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後、米軍統治下で住民の土地は強制接収され、72年に施政権が返還されるまでに沖縄の米軍基地の面積は約2万8600ヘクタールに膨らんだんだ。今は約1万8500ヘクタールに減ったけど、それでも全国の米軍専用施設面積の70・3%が沖縄に集中しているね」


 -沖縄には軍用地主が多いよね。


 「本土の米軍基地は国有地や旧日本軍跡地を利用したため、9割近くが国有地なんだ。それに対し、住民から強制的に土地を接収した沖縄では、国有地が3割ほどで、残りは民間や地方自治体の土地だよ。普天間飛行場の91%は民有地で、地主は約3400人。この数字を見ただけでも、人が住んでいなかった所に飛行場を造ったというのが間違っていることが分かるんじゃないかな」



戦前(1944年)の宜野湾村と普天間飛行場の重ね図 © Okinawa Times 戦前(1944年)の宜野湾村と普天間飛行場の重ね図 基地建設の背景


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