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徽宗皇帝のブログ

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私の日本改造論
前書

下記の文章の大部分は東日本大地震と福島原発事故のずっと前に書かれたものであるが、今後の日本を考える上での基本理念になりうると思うので、ここに公開する。それは「制限付き資本主義」あるいは「穏健な資本主義」であり、見方を変えれば「穏健な社会主義」でもある。
社会主義の定義を、「個人的欲望の追求よりも社会全体の幸福を優先する社会」とすれば、社会主義はけっして嫌悪すべきものではなくなる。社会全体が幸福であるとは、その中の個人も当然幸福だということになるのだから。またマルキシズムのみが社会主義でもない。何も「プロレタリア独裁」などと、人と人を争わせるようなことを言わずとも、「強欲を否定する社会」と言えば、それで済むことである。


(以下本論)


「日本の貧困化の問題」あるいは「私の国家改造案」


現在進行中の貧困化からいかにして日本を救うか、という問題を考えてみる。
この問題を解決することは自分の未来を救うこと、自分の子供やその子供の未来を救うことでもある。
ただし、具体的な解決方法については、ずっと前に幾つかの文章の中で述べているので、ここでは原理的な面や全体としての方向性を中心に考えてみる。
念のためにおさらいしておくと、「貧困産業に金を流すこと」、言葉を変えれば、「虚業ではなく実業に金が払われる社会の構築を目指すこと」が日本を貧困から救うための私の解決案であった。ただし、ここで言う「虚業」の代表が銀行とマスコミであり、銀行を尊重する世間の常識と私の考えは大きく隔たっている。
「貧困」の意味もおそらく世間の意味とは異なっている。これからの日本は、物質的な意味での貧困化はどうしても免れられないだろうが、国民が全体として幸福な社会はけっして貧困な社会ではないと私は思っているからである。ブータンの「国民幸福度指数」の思想に私の考えは近い。日本の目指すのは金持ちの国ではなく、「高貴な国」であるべきだ。

トルストイの『イワンの馬鹿』の中で、悪魔が「私は頭で金を稼いでみせる」と言って、詐欺師的な金稼ぎの方法をあれこれ演説するのだが、百姓たちは何一つ理解できす、悪魔は喋り疲れて目を回し、演説台から転げ落ちるという話がある。要するに、現代社会での金稼ぎの多くは、この悪魔のようなものだ、ということだ。我々が素朴な百姓のように、汗を流して実際に働くことだけが報酬を得る道である、と考えれば、日本の貧困化は止まる、と私は考えているのである。生存のための労働を職業の最上位に置くことが日本人の常識になった時に、日本人の社会生活は健全なものになるだろう。(まるで安藤昌益みたいなことを私は言っているが、聖人・賢人こそが国賊である、という安藤昌益の言葉は、今ならば知識人階級や学者連中、そして不労所得を貪る連中が国賊だということだ。)

もちろん、私は頭脳労働の存在は認める。投資・投機行為を禁じることも、現段階では難しいだろう。しかし、段階的にでもいいから、実業を虚業の上に置く思想を社会の土台にしていかない限り、世界は国際金融家の手の上で踊り続けることになるのである。

本題に入る。

改革の第一段階は、貨幣発行権を国家の手に取り戻すことである。
改革の第二段階は、所得と財産の上限を設けることである。
改革の第三段階は、すべての国民に平等に生業資金を国家が貸し付けることである。

第一の改革についての説明は不要だろう。貨幣発行権は国家の生命線である。それを一部資本家(しかもその黒幕は外国資本であると推定される)の手に預けるという馬鹿なことがあっていいはずはない。
第二の改革によって第三の改革のための原資が生まれることになる。
もちろんこの第二の改革の具体的実現には巨大な技術的困難があるが、その問題はこれから考えていけばいい。

以下、基本的なポイントだけを述べる。

どのような境遇にある人間でも、義務教育はすべて無料で受けられ、中学卒業(私は、中学は5年間くらいにするのがいいと思っている。その最後の2年は社会人教育だ。あるいは3年・2年に分けて、後半2年は高等中学として学校を再選択するのもよい)までの生活費は支給される。つまり、全国民が誕生から中学卒業までの期間は生活保護を受けるわけだ。
中学卒業の時点で、一人一人の国民は、その後の人生をどういうコースで生きるかという最初の判断を下すことになる。上級学校に進むか、専門学校に進むか、あるいはそのまま就職するか、である。ただし、医者や法律家などになるのは、専門学校コースである。公務員も同様。上級学校とは、学者になる連中だけが行くところで、たとえば人口の5%以内しか行かないものとする。つまり、現在の高校・大学のほとんどは専門学校、つまり職業訓練学校になる。
中学卒業が、いわば成人式となる。この時に、すべての国民に一律に500万円支給される。その金を使って上の学校に行くのもよいし、貯金して将来の開業資金にしてもよい。ただし、ここからは「生活保護」は無くなり、税金を納める立場になる。いわば、この500万円は、将来納める税金の一部還付の先払いである。これが改革第三段の「生業資金の貸付」だ。
いったん就職した後で、気が変わって専門学校に行くのももちろん良い。

税制は、「国民税」と「事業税」の二本立てである。消費税は煩雑かつ抜け穴が多いので採用しない。事業税は利益に対してではなく、一定以上の収入に対して一律5%とする。一回きりの取引も同様である。給与所得者についても、それを事業とみなして5%を徴収する。国民税は、さまざまな社会的経費の分担金であり、日本国民であることから受けている便益への税金であるが、これは成人一人につき一律1万円とする。医療保険、失業保険、老齢保険はその中に含まれる。つまり、たとえば給与が20万円の人間なら、事業税1万円と国民税1万円を引いた残り18万円が彼の実質的収入となる。これは税金や保険などで3割から4割を徴収されている現在よりはずっといいはずだ。一般庶民の可処分所得が増えることで消費も増え、一般企業からの事業税収入も増えるだろう。
事業税は現在の法人税のように利益に対する課税というあいまいなやり方ではなく収入に対する課税だから、たとえ一律5%でも政府収入も増えるはずだ。たとえば1億円の事業収入の5%なら500万円である。だが、1億円の収入の利益分が1000万円なら、その50%を取らないと500万円にはならない。法人税50%を許容する企業はいないだろう。だが、消費税なら5%をちゃんと払っているではないか。(このあたりは私の無知による誤りがあるかもしれないことをお断りしておく。いちいち調べて書くのも面倒なので)
制限された額よりも事業収入や給与収入が上回った場合は、原則として必要経費を除いた残りは国家に納付することになる。これは従業員数や企業敷地面積、資本金などから上限を決めることになるだろう。たとえば従業員全員に給与上限を支払って、設備の減価償却の前倒しをし、それでもなお利益が余る場合は、それは国庫に納付されるわけである。もちろん、これでは世界的富豪には絶対になれないから、大金が欲しい人間は外国に行くことになる。それでよい。これからの日本は外国との競争よりも国内での国民の毎日の生活が優先される社会になるからである。日本の産業の衰退という問題も、外国との競争が前提の話である。福島原発事故以降においては、基本的に、産業に関してこれからの日本は鎖国に近いやり方をすることになるのである。(この税制に関する部分は3.11以降の追記部分である。)

公務員になるには、他の職業の経験が5年以上必要とする。政治家の場合は、10年以上の社会経験が必要とする。また、公務員の給与や退職金は民間平均を超えないこと、政治家はボランティアの職、つまり実費以外には支給されないものとする。つまり、真に社会の幸福を求めるという意図の者以外は政治家になるものはいないようにする。政治家に与えられるのは名誉のみである。もちろん天下り団体はすべて廃止である。その結果、日本の国家経営における人件費はおそらく半分以下に減ることになる。国民が納めた税金は公務員や政治家に中抜きされることなく国民自身に戻ることになるわけだ。
官僚による政治の壟断を防ぐために、一定以上の予算を要するプロジェクトは、その主体となっている官僚名を明記する。たとえば「徽宗国家改造プロジェクト」のように。そのプロジェクトが国家や国民に大きな被害を与えた場合は、もちろん糾弾される。(最後の段落も3.11後の追記。)

身寄りのない障害者、老人、病人、孤児などの面倒は国家が見る。生存に必要な住居・食料・最低限のエネルギー費用などは国家の支出とする。

中学を卒業して特に希望する職業が無い場合は、原則として農業要員となる。というのは、農作業のほとんどは、もともと労働集約的な作業であり、人力で代用できるからである。健康な身体を持った若者のやる仕事として、農業ほど良いものはない。もちろん、漁業や林業も同様だ。現在のように機械化された農業や、農薬漬けの農業の方が異常なのである。
若者人口のうち3割から5割程度が農業要員になれば、日本の食料自給問題は、ほぼ解決するだろう。そして、それと同時に雇用問題も解決するわけである。もともと、若者の3割から5割は、頭を使うよりも体を使う方が得意なのである。それに、頭を使う方が高級な生き方だということもない。問題は、「カッコ悪い」「カッコいい」というだけの判断で仕事や生き方を決めているという馬鹿馬鹿しさなのである。

第一次産業への労働人口シフトをこのように行ったら、今度はエネルギー問題である。
地球全体の化石燃料は、今世紀中に無くなるだろう。その後は、当然自然エネルギーの利用の出番である。今は、石油利権を握っている連中の策謀で自然エネルギーは「割に合わない」という定評が作られているが、割に合おうが合うまいが、化石燃料は必ず無くなるのだから、自然エネルギーに移行せざるを得ないのは当然だ。今から、その準備を進めるのも当然だ。

石油の枯渇によって、全世界の軍事バランスには大きな変化が生じる。アメリカはその巨大な軍事力を維持できなくなるだろう。石油を使わない軍艦、戦車、飛行機は考えにくいからだ。原子力飛行機? まさか、である。原子炉の危険性を考えれば、原子力空母や原子力戦艦も、相当無理がある、と見るべきだろう。つまり、石油が無くなれば、アメリカの軍事的優位性はなくなる、ということだ。
つまり、アメリカとくっつくことによる軍事的政治的経済的メリットは、日本には無くなるのである。言うまでもなく、そのデメリットは無数にある。何よりもアメリカ自体が、日本を巨大な財布としか見ていないからである。

テレビは放送時間を各局8時間に制限し、その内容の4分の1はニュース・報道、4分の1は教養番組とすることを義務づける。放送時間は朝6時から8時までと、夕方6時から12時までとし、朝8時から夕方6時までの番組はNHK教育放送のみとする。これによって膨大なエネルギーの無駄と国民の白痴化を防ぐ。
基本的に、朝日とともに起き、日没とともに就寝する生活が奨励されることになる。エネルギーや資源の浪費は悪徳なのである。実際に、それは未来の人間に対する犯罪行為なのだから。

マスコミによる洗脳、教育による洗脳は、以上の改革で解消できる。高等教育なるものを受けるために日本人が高校大学という無駄な7年間を過ごす膨大なエネルギーの無駄遣いをやめるだけでも、巨大な人的資源を生み出すことができる。今の高校の学習内容は、そのほとんどが大学受験のための勉強で、大学での勉強は、実社会とはほとんど無関係な、「学者による、学者を作るための勉強」である。つまり、日本人は、その貴重な青春の7年間を、遊ぶことと、B層になるための無駄な学問の習得にのみ使っているのである。そして、その「高等教育」から落ちこぼれる無数の若者たちは、社会への不平不満を解消するために、犯罪的行動に走る。また、貧しさのために高校や大学に行けず、その結果、有利な就職もできず、一生を社会の底辺で生きることを運命づけられた若者たちがいる。

このような現在の社会を変えるためにできることを少しでもすることは、すべての日本人の義務である、と私は考えている。

(本論終わり)

以上で私の国家改造案は終わりである。国家が壊滅しそうな状態にある今(2011年4月8日現在)だからこそ、日本が生まれ変わる最大のチャンスでもあると私は考えている。実際、太平洋戦争の敗戦で日本は一度生まれ変わったのである。だが、その後の「逆コース」で、すなわちかつての既得権益層の復活を許したことと、亡国官僚の復活を許したことで日本の再生は歪められてしまった。
今回もそうなってしまいそうな予感はある。だが、かつてと違うのは、覚醒した国民の数がかつてとは段違いに多くなってきていることである。
マスコミを信じないこと、専門家を信じないこと、口先だけの人間を信じないこと、弁舌ではなく行動と結果で人を判断すること、これらを国民が心がければ、時間はかかっても日本は良い方向に向かっていくと思いたい。

日本は不死鳥のように灰の中から再生するだろうか?

今日は灌仏会、お釈迦さまの誕生日である。(ということになっている)
「卯月八日 死んで生まるる子は仏」(蕪村)

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