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徽宗皇帝のブログ

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米国への従属は実は日本の支配階級の意思による
「ギャラリー酔いどれ」所載の「長周新聞」記事の一部である。
非常にいい記事だと思う。
要するに、「やればできる」のである。いつまでも、米国の支配に由来する悪政に対して「シカタガナイ」「お上が怖い、我が身が大事」でいる日本人は、実に卑怯卑劣と言うべきだろう。
日本の支配階級(経団連など)は現状(米国への従属体制)からの利益享受階層だから、ほとんどの日本人が貧民化しつつある現在こそ、日本の「プロレタリア革命」が起こっても良さそうなものだ。ただし、天皇制の議論は、話が別。現在の「象徴天皇制」を高く評価する私の考えは何度も書いている。

(以下引用)



☆新自由主義反対のシンボル となったチャベス政府

こうして新自由主義に反対する たたかいが

ラテンアメリカ全域に広がるなかで、

1999年2月のベネズエラを皮切りに、2003年にブラジル、

エクアドル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアで、

2004年にはウルグアイで、

新自由主義と米州自由貿易圏を支持する親米政府が あいついで打倒され、

反米左翼政府が誕生した。

なかでもラテンアメリカにおける新自由主義反対の

シンボル的な存在になったのが、1998年の大統領選で、

40年続いた二大政党制 を打ち破って誕生した

ベネズエラの チャベス政府である。

チャベスは、腐敗した寡頭支配層を批判して、

これまで政治から疎外されてきた大衆の政治参加を訴え、

また アメリカの支配からの独立、

新自由主義反対、富の平等な分配と 貧困の撲滅を訴えて、

広範な大衆の支持を獲得して大統領に当選した。

チャベスはこの変革を スペインの植民地支配からの

ラテンアメリカの独立を訴えた シモン・ボリバルの名を冠して

「ボリバル革命」と呼んだ。

チャベスは大統領に就任すると、国民投票で憲法制定会議を設立し、

ボリバル革命を掲げた新憲法を制定した。

それによって政策決定の過程に 国民が直接参加できるようになり、

議員のリコール制が導入された。

大企業や大地主の農地が 農民に分配され、

国民には食料、教育、医療、職業が保障された。

石油資源は国家の管理下におかれ、領土内に外国軍隊が入ることは禁止された。


ベネズエラの主要産業は石油であり、輸出総額の約80%、

国庫収入の約50%、国内総生産の25%を占める。

80年代以降、多くの基幹産業部門が民営化されるなか、

ベネズエラ石油公社は国営企業として残ったものの、

米多国籍企業と結びついた大企業が経営権を握っていた。

チャベス政府は経営陣を刷新し、政府が管理運営権を完全に掌握した。

チャベス政府は直接民主主義を制度化し、

政治に国民を参加させることをめざした。

全国各地に200~400世帯を単位とする共同評議会をもうけた。

共同評議会は予算を持ち、条例をつくることができ、

地元の事柄について決定を下すことができる。

また、教育、医療、食料助成、社会サービス、土地改革、環境保護などの

社会開発計画への住民参加を制度化した。

低所得者向けの住宅建設や医師の派遣、安価な基礎食料品の供給、

低所得者向けの無料の食堂の運営、識字教育、

失業者の職業訓練などがとりくまれた。

こうした改革によって、GDPは2002年の920億㌦から

2006年には1700億㌦と、4年間で倍近い増加となった。

財政赤字やインフレが大きく改善され、失業率も1999年の16%から

2006年には9・6%へと下がった。



☆米国排除して 地域的統合へ

ラテンアメリカのたたかいは、アメリカが

NAFTA(北米自由貿易協定)を 南北アメリカ大陸に拡大しよう

とした 米州自由貿易圏構想を 各国の反対で頓挫させ、

ラテンアメリカ諸国民自身の力による

真の地域的統合に向けたとりくみを発展させた。

チャベス政府は、加盟国がアメリカとFTA(自由貿易協定)を結んだ

3国グループ(G3。他の2国はメキシコとコロンビア)や

CAN(アンデス共同体。コロンビアとペルーが対米FTA調印)から脱退し、

2007年に 南部南米共同市場(メルコスル)に加盟した。

チャベス政府は 石油資金を外交の武器に使い、

同盟国キューバには 好条件で石油を輸出するとともに、

キューバからは医師や教師などの人材を多数導入して 国内改革の力にした。

2006年にはブラジル、アルゼンチン、ボリビアとともに、

ベネズエラの石油と、同国およびボリビアの天然ガスを

南米南部まで送るパイプライン網建設計画を打ち出し、

アメリカの石油メジャーに対抗して

ラテンアメリカの エネルギー統合をめざした。

また、アメリカが牛耳る米州開発銀行に対抗して、

南米開発銀行を創設する構想を打ち出した。

こうしたラテンアメリカ自身の立場を内外に知らせるため、

キューバ、アルゼンチン、ウルグアイなどに働きかけて、

2005年7月に国際テレビ放送網「テレ・スル」を発足させた。

こうしたことは アメリカの南北アメリカ大陸支配に大打撃を与えた。


戦後、アメリカは 主権を持つ独立国の内政に干渉し、

カネと軍事力で政府を転覆させ、新自由主義政策を押しつける

というやり方をくり返してきたが、それはことごとく失敗している。

独立と民主主義を求める人人のたたかいに、

さまざまな紆余曲折は避けられないが、

そのたびに力を増していくことを 押しとどめることはできない。

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