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徽宗皇帝のブログ

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自衛隊が守るのは国民か、米政府と日本政府のお偉い連中か
「逝きし世の面影」ブログの一節だが、警察予備隊(自衛隊の前身)が朝鮮戦争勃発時に作られたのは知っていたが、その時に在日米軍がすべて朝鮮半島に出動していたとは知らなかった。(在日米軍とは別に米本土から軍を送っていたと思っていた。)
で、その隙に「日本独立戦争(革命)」が起こったら大変だ、というので宗主国の米政府が「日本人に日本人を鎮圧させる」ために作ったのが警察予備隊であり、後の自衛隊であるわけだ。要するに、最初から米国の犬なのである。
今にして思えば、日本独立の最大のチャンスが、在日米兵がほとんど皆無になったあの時だったのだなあ、と残念である。
だが、まあ、「戦争はもううんざり」と平和憲法下の平和に満足していた日本国民が「国内戦争」である革命を受け入れることは無かっただろう。現在のように国民を奴隷待遇にしている政権に対してすら革命を起こす気概も無いのだから。
企業の利潤が労働者に還元され、労働三法遵守によって労働者の待遇改善がどんどん行われていたあの時代は、ある意味天国だったのである。


(以下引用)


自衛隊は朝鮮戦争の勃発で日本占領の米軍4個師団7万人全員が朝鮮半島に出兵したことから1950年(昭和25年)8月10日にGHQ(マッカーサー)のポツダム政令で治安維持目的で7万人規模の軽装備で編成された『警察予備隊』( National Police Reserve)が前身である。
在日占領軍(4個師団7万人規模のアメリカ軍)ですが、その目的は日本において旧日本軍の反乱とか一般市民の暴動の鎮圧目的だったのですから『警察予備隊』(今の自衛隊)も当然同じ目的で存在する。
アメリカ軍の全面占領時代に旧日本軍の反乱鎮圧が主な目的だった『警察予備隊』( National Police Reserve)は旧日本軍幹部を排除して警察組織に似せて(米軍の傭兵組織として警察官僚を中心に)編成されている。
ところが、陸自(National Police Reserve)に遅れること2年、朝鮮戦争の真っ最中の1952年4月にアメリカ軍が設置した不可解な海上自衛隊の場合には積極的に旧日本海軍の職業軍人を中心に編成されていた。そもそもが『日本海軍の復活したもの』が海自だったので今でも海上自衛隊は日本海軍の軍旗である『旭日旗』を引き続き使用することになったのである。
真珠湾奇襲攻撃で大日本帝国を滅ぼした(米軍の天敵であるはずの)日本海軍と、不思議なことに今の日本国の(在日アメリカ軍と一体構造で事実上USFJの指揮下にある)海上自衛隊は歴史的に見れば一つながり(一体構造)になっていた。

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