好記事である。私自身とは無関係な話なので記事紹介は1ページだけにするが、年収590万円以下というのは今の日本だと相当な割合に上るのではないか。つまり、高校無償化の恩恵を受けられる人(家庭)が膨大にいるわけで、税金の使い方としては有意義である。
ただし、私自身は高校の授業内容に大きな疑問を持っていて、「大学受験のために高校がある」ようではいけないという考えだ。ただ、15歳から17歳くらいの多感な時期に、同年代の者との集団生活を過ごすのは、いい経験にもなる、という考えで、つまり「遊びのためでこそ高校進学は意義がある」という考えでもある。毎日が文化祭前のようなお祭りの日々でいい。と同時に、実社会体験(準備)という「工程」も入れること、虚学でなく実学を重視するなどの高校改革が必要だと思う。前に書いたが、高専のような「社会への入り口」がこれから望ましい高校の在り方だろう。もちろん、研究者となって学問の世界に入る道もあっていいが、それをすべての高校生に要求するような授業内容では困るわけだ。
誰かが書いていたが、「小学」「中学」「大学」と「小・中・大」なのに、なぜ「高校」なのか、という疑問があるようだ。それは、高校が、そこから社会に行くか大学に行くかの端境期であり、そもそも行かなくてもいいという「意義があるのか無いのか分からない」曖昧な存在だからだ。正直言って、大半の高校は実質的には大学進学のための予備校である。(大学自体、それほどの価値があるとも思えないが。)そこを有意義な存在にする改革が必要だ、というのが私の考えである。
(以下引用)
ただし、私自身は高校の授業内容に大きな疑問を持っていて、「大学受験のために高校がある」ようではいけないという考えだ。ただ、15歳から17歳くらいの多感な時期に、同年代の者との集団生活を過ごすのは、いい経験にもなる、という考えで、つまり「遊びのためでこそ高校進学は意義がある」という考えでもある。毎日が文化祭前のようなお祭りの日々でいい。と同時に、実社会体験(準備)という「工程」も入れること、虚学でなく実学を重視するなどの高校改革が必要だと思う。前に書いたが、高専のような「社会への入り口」がこれから望ましい高校の在り方だろう。もちろん、研究者となって学問の世界に入る道もあっていいが、それをすべての高校生に要求するような授業内容では困るわけだ。
誰かが書いていたが、「小学」「中学」「大学」と「小・中・大」なのに、なぜ「高校」なのか、という疑問があるようだ。それは、高校が、そこから社会に行くか大学に行くかの端境期であり、そもそも行かなくてもいいという「意義があるのか無いのか分からない」曖昧な存在だからだ。正直言って、大半の高校は実質的には大学進学のための予備校である。(大学自体、それほどの価値があるとも思えないが。)そこを有意義な存在にする改革が必要だ、というのが私の考えである。
(以下引用)
「年収590万円未満」ならタダで高校に行ける?「高校無償化」の対象について解説
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