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徽宗皇帝のブログ

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「許すこと」を自分に許さないこと
「許す」というのはどういうことなのか、誰か哲学的に論じた人はいるのだろうか。自分に加えられた悪事を許したら、その悪事は「無かったこと」になるのか。その悪事に感じた怒りや悲しみは「無かったこと」になるのか。そのままどこかに消えてしまい、自分の人生の中のその一コマは「無かったこと」になるのか。本当にそれでいいのだろうか。

「寛容」は美徳であると誰もが疑わない。だが、寛容さによって悪は広がり、いつまでも続いていくのではないか。寛容とは美徳を偽装した悪徳である、という考え方もできるのではないだろうか。ユダヤ人がナチスの残党をどこまでも追いつめ続けた、あの執念こそが、日本人にも必要なのではないだろうか。

アベルを殺したカインの額には殺人の刻印が神によって押された。そのように、悪事を行った人間の額にはいつまでも消せない「(自分と被害者にだけ見える)見えない刻印」がある、と私は思う。



(以下引用)


            

わたしの元父が私に本格的に嫌われる最初の一歩が「私が3歳から13歳まで大事にしていた小物入れを、遊びに来ていた男友達の灰皿として提供した」なので、娘をお持ちの皆様お気をつけなさって。私は今年30になりますが元父のことは未だに許していません。


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