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初期民主党と官僚たちの死闘

私は、人間の8割は馬鹿と思っている。もちろん、私も馬鹿の一人だ。だが、8割という数は馬鹿にはできない数である。つまり、8割の人間に支持されなければ世の中は動かせないのだから。だから、電通などは、その馬鹿をターゲットにして基本戦略を立てる。
政治も同様だ。馬鹿は、洗脳しておきさえすれば、こんな都合の良い奴隷層はいない。
今でも鳩山政権や小沢鳩山民主党を批判し、あれよりは今の自民党がマシと思っている馬鹿はたくさんいる。そうした人々は、テレビや新聞や週刊誌、つまり馬鹿洗脳機関にしか接しないし、情報源がそれだけなのだから、そうなるわけだ。ネットに直接接する人はまだ少ないだろうし、ネットに触れていても、政治サイトなどはまず見ないのがスマホネット族ではないか。
下の記事に書かれている、初期民主党と官僚の死闘は、多くの人が知るべきものだ。官僚の強さと弱さがここから分かる。つまり、民主党が政権を取ったこと自体で、彼ら官僚主流派は、ほぼ死にかけたのである。ただ、当の民主党首脳自体に、それが死闘であることが分かっていなかったから、逆襲されて民主党は潰されたのだ。
のんきに政治批判をするサイトやブログは多いし、私自身のブログもその一つだが、政治というもの自体は生き死にをかけた戦いでもある、ということを私は理解しているつもりだ。だから、「経世済民」を真剣に考えている改革派政治家というものだけは尊敬している。もちろん、民を苦しめる利権政治家は最低の生物だと思っている。


(以下「ギャラリー酔いどれ」から転載)




◆http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-4e86.html
zeraniumの掲示板  2016年11月 3日 (木)
米国隷従の洗脳された官僚が政治を取り仕切っている


木村 朗:ここで鳩山さんに改めてお聞きしたいのですが、
     2009年夏の政権交代の意義をどのようにお考えでしょうか。

鳩山友紀夫:2009年、国民の大きな期待をいただいて
      政権交代を果たすことができましたが、この政権交代によって
      私たちがもっとも実現したかったのは、
      いわゆる官僚中心の日本の政治を国民の手に取り戻すということでした。
      いわゆる官から民へ、官僚主導から政治主導へ
      ということを強く主張してきました。
      それは長く続いた自民党政治が官僚と癒着し、政策は官僚任せとなり、
      自分たちは大臣のポストに満足し、結果として
      国民の声が届かない政治になっていたからです。

      官僚が特に外交においては、アメリカ追従型の政治を信奉してきた
      ということもあって、政権交代が目指したものは別の角度から言いますと、
      いわゆる米国に依存する外交から、日本をより自立した国にする
      ということでもありました。
      官僚ではなく国民を第一に考え、日本をもう一度作り直していくという、
      ある意味壮大で革新的な発想でした。(略)

      ですがこうした革命的な発想よりも、官僚だけがいい思いをする国家
      からより公平な社会に変えていこうとするときに、
      無駄を徹底的に排除するといった部分ばかりが強調されて国民に支持され、
      その面ばかりがアピールしていたように思います。
      それが例えば、予算の見える化を行なった事業仕分けなどです。


高校の授業料の無償化、子ども手当の創設、農家への戸別所得補償



結果的に、我々が行ないたかった本当の意味での日本の自立や、
アメリカ、メディアも含めた癒着からの解放
といった真の目的に着手できなかったのですが、ただこうした状況の中でも
いくつか実現したこともあり、官僚が間に入る中間搾取の仕組みを
できるだけ排除しました。

それが例えば農家への戸別所得補償といったダイレクトな補償を行ない、
高校の授業料の無償化、子ども手当の創設などもそういう趣旨であったのです。

しばしばこうした新しい補助金を創設するときには、
途中に官僚の天下り先を作り、そこにお金を流していくのが
彼らの常とう手段だったのです。

したがってこうした発想そのものが当然、官僚のみなさんにとって、
不満として蓄積された可能性はあるでしょう。

また私が目指したかったのは、特に安全保障において常に
アメリカにお伺いを立てなければ、何事も決められないような外交はやめよう
ではないかということです。

もともと私は常時駐留なき安保という発想を持っていたので、
その意味からもやはり米軍の基地は思い切って縮小させなければならない
と考えていたので、
まずはその部分からスタートさせようと考えていました。

日本とアメリカの間には日米合同委員会など、いろいろなカラクリがある
ことは首相になった後に知ったことも多く、
そのことは自分の不勉強でたいへん申し訳なかったと思っています。

それは日本の官僚と米国、特に米軍が常に繋がっていて、
我々日本の政治家と官僚の繋がりよりも、むしろ濃い繋がりを持っていることを、
私は首相になってから知りました。

何とかこういった状況を変えようと私も取り組んだのですが、
十分な成果を上げられなかったというのが現実です。

日本は米国依存型の外交から意思決定を取り戻さなければなりません。

そしてアメリカの意思を尊重しながらも、
何でもお伺いを立てなければ物事が決められないという状況は変えなければならない。

そして日本がアジアの一員であることを意識するという発想から、
東アジア共同体という日本の進むべき道を示しました。

しかしこれも外務省にとっては喜べないことだろうと思います。(略)

この東アジア共同体については、アメリカが快く思っていない
ということよりも先に、アメリカの意思に沿うことで成り立っている
日本の行政の存在が大きいと感じています。


白井 聡:民主党政権を、鳩山政権だけでなく全体として見ると、
     鳩山政権が普天間基地問題でつまづいて退陣し、その後、
     菅政権、野田政権と続くのですが、その流れの中で、
     民主党の政策の方向性は第二自民党化していった。
     そこで民主党を支持した国民はひどく幻滅し、
     どうせ自民党と同じなら自民党にやらせておけばいいではないか、
     ということで(安倍晋太郎・晋三を株主とするムサシの不正選挙で)
     自民党政権に戻り、今日に至っているわけです。
     国民のこうした反応からわかることは、結局、
     民主党政権がうまくいかなかったことの本質を理解しようとすることを、
     国民は積極的に拒んでいるという、情けない状況があることが見えてくる。

     確かに残念ながら民主党は多くの成果を残せなかったのですが、
     一つだけ最大の成果を挙げるとすれば、
     それは戦後の日本の政治社会の構造が、この失敗を通して
     はっきりと現れてきたことにあります。それは現れてくればくるほど、
     何という恐ろしいことになっているのだ、
     なんと複雑怪奇なことになっているのかという唖然、愕然、呆然
     とせざるを得ないものです。しかし結局、
     この構造を一つ一つ解きほぐしていく以外には、
     この状況を立て直すことはできない。(略)
     その中で民主党政権は、いま述べた二つの大きな転換に対して
     本当の意味での対応をしなければならなかった。
     つまり敗戦レジームではもうやっていけないということです。
     それがこれまでの特殊な形の対米従属をやめ、
     アジアへの本当の意味での着地です。
     経済政策においては「子ども手当」がまさに象徴的なことであり、
     「コンクリートから人へ」というスローガンが非常に重要なスローガンでした。
     これはまさに、かつてのように物をつくり、
     インフラに投資すればそれだけ経済が伸びていくという前提が崩れたからこそ、
     発想の転換をする必要があったと思います。
     その意味ではチャレンジし、時代に立ち向かい、正面から見据える
     という姿勢が間違いなくあったのです、最初は。


同じ志(こころざし)を持つ有能な人々の集結の必要性

では問題はどこにあったのか。
なぜそれが実現できなかったのか。

まず第一に、官僚主導から政治主導への転換ですが、
これは政治家とは国民の代表なわけですから、
ある意味、官僚主導から国民主導と言ってもいい。

私は外からこの動きを観察していて、官僚主導をやめるというが、
それでは誰が政策を立案し、実行可能な形へと練り上げていくのか
疑問に感じていました。

それをやる実行力のある社会的勢力がないのです。

結局これは常識的に考えれば、今ある官僚の中で、旧主流派の官僚ではなく、
自分たちと同じ考え方をする人たちを(探し出して)使う
ということ以外にはないのです。

こうしたことを進める中で当然、旧主流派の官僚たちは
猛烈な抵抗をしてくるはずで、それに対して政府与党は粛清をし
、「我々の考えに心底、賛同してやるという人を取り立てる」
という形ですすめていくしかないでしょう。

これは権力を振るうということなので、
相当厳しい覚悟がなければできないことです。(略)

だから私は、やろうとしていることの大きさがわかっておらず、
本当の意味での覚悟がないのではないかと疑いました。


3・11が民主党政権を瓦解させる象徴

結局、案の定というか、自民党や旧来の勢力は
民主党政権がやろうとしていることが、
彼らにとって本質的な危険性を理解しているので、全力を挙げて抵抗してきた。

いろんな手管を使い、民主党政権はカウンターアタックを食らう。

そして(ちょうどその時期に3・11が起き)、
菅 直人さんや野田佳彦さんになると、もう完全屈服です。

そして完全に、官僚やその背後に控えるところのアメリカに土下座する
という形になってしまった、というのが民主党政権のおおよその推移でした。

しかしこのことでわかったのは、官僚主導の政治から国民主導への政治の転換は
簡単なことではないということです。

やられる側は死に物狂いですから当然、あらゆる手段を使ってくる。


明治以来の米国隷従官僚独裁国家を変えようとした鳩山民主党政権

木村:私は鳩山政権が目指したものだけではなく、残したものも非常に大きかった
   と考えています。まさに戦後初めての本格的な政権交代でした。
   有権者の40%以上という圧倒的支持もあり、93年の政権交代によって誕生した、
   非自民党の細川政権以上の本格的な改革が実行されたと思います。
   対米自立と脱官僚政治を掲げ、個別の問題で言えば、
   脱官僚政治では事務次官会議を廃止しました。
   私はあの時、テレビの映像で事務次官たちが、
   葬式の時のような顔をしていたのをものすごく印象的に覚えています。


事務次官会議の廃止、特別会計

明治以来の日本はやはり官僚支配国家、悪く言えば官僚独裁国家でした。

それを脱官僚政治、官僚主導から政治主導へ本気で動かそうとした。

その象徴的な出来事が事務次官会議の廃止でした。

それに特別会計という、これまで官僚の聖域であった部分にも
初めて手をつけたということも画期的なことです。

官僚の抵抗によって3兆円しか捻出できず、子ども手当が満額支給できない
という事態も招きました。

ですが事業仕分けはパフォーマンス的な要素があったとしても、
これまで70年間、一切、手が付けられなかった問題に手を付けた
ということでは非常に大きな動きでした。


海上自衛隊を引き上げさせた

また対米自立の関係で言えば、インド洋から任期途中で
テロとの闘いに協力していた海上自衛隊を引き上げさせた。

これは自民党政権ではちょっと考えられないくらいの決定で、
それを即座に実行されました。

それから年次改革要望書というのが1990年代半ばの、94、95年から
始まっていましたが、それもやめさせた。

これも私はすごいことだと思います。

さらに先ほど触れられた東アジア共同体と、その理論的な部分である
常駐なき安保というような提起も画期的なことでした。

また普天間基地の問題では辺野古案を白紙に戻し、沖縄の民意に答えて
「できれば国外移転、最低でも県外移転」を本気で追及された。

国民新党との連立ではありましたが、
郵政民営化という小泉・竹中政権がやった悪しき負の遺産を、
派遣労働者の問題も含めてもっと国民本位のものに変えようとされた。

これらのことを見てくると、本当に内政、外交とも大きな変革を志向し、
それなりの成果もあったと思います。

ただ残念ながら鳩山政権末期、それを継いだ菅・野田両民主党政権は、
白井さんが言われているように第二自民党化、
すなわち自民党以上に米国と官僚の言いなりという状況になってしまった。

その理由は準備不足、経験のない政治家、新人の寄せ集め、
あるいは内部分裂などが指摘されていますが、

白井さんの言われているところの「死ぬ覚悟」というか、
掲げたものは大きいのに、それを本気で、どのような妨害があろうとやる
のだという意思が、十分なかった
という部分は大きかったことも間違いありません。


白井:与党として殺す覚悟でやって行くと当然、
   向こうも逆にこっちを殺そうとしてくるので、
   死ぬ覚悟が必要になってくるということです。


政権交代による政治改革を何としても潰したかったのは「アメリカ」

木村:ただ私は、政権交代が行われる前から、民主党の登場を阻むための
   あらゆる仕掛け、攻撃が為されていたという点は忘れてはならない
   ところだと思います。
   それが政治資金問題における小沢一郎さんや鳩山さんに対する攻撃でした。
   小沢事件が何だったのかというと孫崎亨さんも指摘されているように、
   これは政治的な謀略であり、植草一秀さんが指摘されているように、
   背後にアメリカを戴(いただ)く
   政官業学報(政治・官僚・企業・学界・報道)が一体となって進めた
   政治的なクーデターであったと言えます。

   その意味では残念ながら、鳩山政権が登場した時は、
   すでに半分近く力が削がれていたと私は考えています。
   政権交代した後も、検察をはじめとする官僚たちの攻撃や抵抗は続き、
   メディアもまったく攻撃の手を緩めず、
   民主党がやろうとしていたあらゆることに対して、
   批判的に足を引っ張る報道を繰り返したというのは、
   本当に異常なことでした。
   そうした攻撃、批判をすることができたのは、バックにアメリカがいたからです。

   既得権益層にしてみれば、民主党政権誕生を阻むことはできなかったが、
   さらに参議院選でも勝たせてしまって民主党政権が4年満期、
   あるいは8年やられたら、もう自分たちは終わりだ
   ということがわかっているので、それを何としてでも崩そう
   ということで政権交代後もあらゆる攻撃が行われ、
   いまに至っていると思われます。
   鳩山政権崩壊の直接のきっかけは普天間問題と言われていますが、
   私は普天間問題以上に、鳩山さんの東アジア共同体構想が
   アメリカなどの虎の尾を踏んだと考えられ、
   常時駐留なき安保論は封印されたとはいえ、
   日米地位協定の改定や思いやり予算の削減、撤廃
   といったさまざまな方向性を打ち出そうという姿勢に、
   既得権益層は大きな脅威を抱いていたと思われます。


『誰がこの国を動かしているのか』
     木村 朗・白井 聡・鳩山友紀夫  詩想社 新書12

           抜粋



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