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徽宗皇帝のブログ

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日本の「和の精神」と西洋の個人主義(闘争主義)
ウィキペディアから「国体の本義」の中の「和」の部分を、戦争肯定思想(武の精神)や、条件反射的に嫌悪感を持つ人が多いと思われる天皇(皇室)礼賛などの部分を省略(見え消しに)して、転載する。ここに載せた部分には、今の世界から失われ、日本からも失われつつある大事な精神や思想が含まれていると私は思っている。その精神が、あるいは、破滅しつつある世界を救う可能性すらあるのではないか、とも思っている。


日本は、武力闘争ではなく思想闘争によって、世界に「大和(だいわ)」の精神を知らしめるべきだ、ということだ。

窓の外に旧暦2月13日の月が上るのが見える。ほぼ満月だ。いわゆる、「月、望(ぼう)に近し」である。世界の多くの人々の「望み」がかなう日も近いと期待したい。


(以下引用)


  四、和と「まこと」


 我が肇国の事実及び歴史の発展の跡を辿る時、常にそこに見出されるものは和の精神である。和は、我が肇国の鴻業より出で、歴史生成の力であると共に、日常離るべからざる人倫の道である。和の精神は、万物融合の上に域り立つ。人々が飽くまで自己を主とし、私を主張する場合には、矛盾対立のみあつて和は生じない。個人主義に於ては、この矛盾対立を調整緩和するための協同・妥協・犠牲等はあり得ても、結局真の和は存しない。即ち個人主義の社会は万人の万人に対する闘争であり、歴史はすべて階級闘争の歴史ともならう。かゝる社会に於ける社会形態・政治組織及びその理論的表現たる社会学説・政治学説・国家学説等は、和を以て根本の道とする我が国のそれとは本質的に相違する。我が国の思想・学問が西洋諸国のそれと根本的に異なる所以は、実にこゝに存する。


 我が国の和は、理性から出発し、互に独立した平等な個人の械械的な協調ではなく、全体の中に分を以て存在し、この分に応ずる行を通じてよく一体を保つところの大和である。従つてそこには相互のものの間に敬愛随順・愛撫掬育が行ぜられる。これは単なる機械的・同質的なものの妥協・調和ではなく、各々その特性をもち、互に相違しながら、而もその特性即ち分を通じてよく本質を現じ、以て一如の世界に和するのである。即ち我が国の和は、各自その特質を発揮し、葛藤と切磋琢磨とを通じてよく一に帰するところの大和である。特性あり、葛藤あるによつて、この和は益々偉大となり、その内容は豊富となる。又これによつて個性は弥々伸長せられ、特質は美しきを致し、而も同時に全体の発展隆昌を齎すのである。実に我が国の和は、無為姑息の和ではなく、溌剌としてものの発展に即して現れる具体的な大和である。


 而してこの和は、我が国の武の精神の上にも明らかに現れてゐる。我が国は尚武の国であつて、神社には荒魂を祀る神殿のあるのもある。修理固成の大命には天の沼矛が先づ授けられ、皇孫降臨の場合にも、武神によつて平和にそれが成就し、神武天皇の御東征の場合にも武が用ゐられた。併し、この武は決して武そのもののためではなく、和のための武であつて、所謂神武である。我が武の精神は、殺人を目的とせずして活人を眼目としてゐる。その武は、万物を生かさんとする武であつて、破壊の武ではない。即ち根柢に和をもち生成発展を約束した葛藤であつて、その葛藤を通じてものを生かすのである。こゝに我が国の武の精神がある。戦争は、この意味に於て、決して他を破壊し、圧倒し、征服するためのものではなく、道に則とつて創造の働をなし、大和即ち平和を現ぜんがためのものでなければならぬ。


 かくの如き和によつて我が国の創造発展は実現せられる。「むすび」とは創造であるが、それは即ち和の力の現れである。伊弉諾ノ尊・伊弉冉ノ尊相和して神々・国土を生み給うた。これ即ち大いなるむすびである。むすぴは「むす」から来る。苔むすといふやうに、「むす」はものの生ずることである。露がむすぶといふのは、露の生ずることをいふ。ものが相和してそこにむすびがある。かくて君臣相和し、臣民互に親和して国家の創造発展がなされる。現下の問題たる国家諸般の刷新改善も、亦この和によるむすびでなければならぬ。それは、一に天皇の御稜威の下に国体に照らして誤れるを正し、大和によつて大いに新たなる成果を生み出すことでなければならぬ。


 更に我が国に於ては、神と人との和が見られる。これを西洋諸国の神人関係と比較する時は、そこに大なる差異を見出す。西洋の神話に現れた、神による追放、神による処罰、厳酷なる制裁の如きは、我が国の語事とは大いに相違するのてあつて、こゝに我が国の神と人との関係と、西洋諸国のそれとの間に大なる差異のあることを知る。このことは我が国の祭祀・祝詞等の中にも明らかに見えてゐるところであつて、我が国に於ては、神は恐しきものではなく、常に冥助を垂れ給ひ、敬愛感謝せられる神であつて、神と人との間は極めて親密である。


 又この和は、人と自然との間の最も親しい関係にも見られる。我が国は海に囲まれ、山秀で水清く、春夏秋冬の季節の変化もあつて、他国には見られない美しい自然をなしてゐる。この美しい自然は、神々と共に天ッ神の生み給うたところのものであつて、親しむべきものでこそあれ、恐るべきものではない。そこに自然を愛する国民性が生まれ、人と自然との和が成り立つ。印度の如きは自然に威圧せられてをり、西洋に於ては人が自然を征服してゐる観があつて、我が国の如き人と自然との深い和は見られない。これに対して、我が国民は常に自然と相和してゐる。文芸にもこの自然との和の心を謳つた歌が多く、自然への深い愛は我が詩歌の最も主なる題材である。それは独り文芸の世界に限らず、日常生活に於ても、よく自然と人生とが調和してゐる。公事根源等に見える季節々々による年中行事を見ても、古くから人生と自然との微妙な調和が現れてゐる。年の始の行事はいふに及ばず、三月の雛の節供は自然の春にふさはしい行事であり、重陽の菊の節供も秋を迎へるにふさはしいものである。季節の推移の著しい我が国に於ては、この自然と人生との和は殊に美しく生きてゐる。その外、家紋には多く自然の動植物が用ゐられてをり、服装その他建築・庭園等もよく自然の芙を生かしてゐる。かゝる自然と人との親しい一体の関係も、亦人と自然とが同胞として相親しむ我が国本来の思想から生まれたのである。


 この和の精神は、広く国民生活の上にも実現せられる。我が国に於ては、特有の家族制度の下に親子・夫婦が相倚り相扶けて生活を共にしてゐる。「教育ニ関スル勅語」には「夫婦相和シ」と仰せられてある。而してこの夫婦の和は、やがて「父母ニ孝ニ」と一体に融け合はねばならぬ。即ち家は、親子関係による縦の和と、夫婦兄弟による横の和と相合したる、渾然たる一如一体の和の栄えるところである。


 更に進んで、この和は、如何なる集団生活の間にも実現せられねばならない。役所に勤めるもの、会社に働くもの、皆共々に和の道に従はねばならぬ。夫々の集団には、上に立つものがをり、下に働くものがある。それら各々が分を守ることによつて集団の和は得られる。分を守ることは、夫々の有する位置に於て、定まつた職分を最も忠実につとめることであつて、それによつて上は下に扶けられ、下は上に愛せられ、又同業互に相和して、そこに美しき和が現れ、創造が行はれる。


 このことは、又郷党に於ても国家に於ても同様である。国の和が実現せられるためには、国民各々がその分を竭くし、分を発揚するより外はない。身分の高いもの、低いもの、富んだもの、貧しいもの、朝野・公私その他農工商等、相互に自己に執著して対立をこととせず、一に和を以て本とすべきである。


 要するに我が国に於ては、夫々の立場による意見の対立、利害の相違も、大本を同じうするところより出づる特有の大和によつてよく一となる。すべて葛藤が終局ではなく、和が終局であり、破壊を以て終らず、成就によつて結ばれる。ここに我が国の大精神がある。而して我が国に現れるすべての進歩発展は、皆かくして成される。聖徳太子が憲法十七条に、


  和を以て貴しとなし、忤ふることなきを宗と為す。人皆党有り、亦達れる者少し。是を以て或は君父に順はずして、乍隣里に違ふ。然れども上和ぎ下睦びて、事を論はむに諧ひぬるときには、則ち事理自らに通ず。何等か成らざらむ。


と示し給うたのも、我が国のこの和の大精神を説かせられたものである。

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