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徽宗皇帝のブログ

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止まることも下がることも進むこと同様に意義がある
どうも人間というのは「進む」ことに過度にプラスイメージを持ち、止まることや後退することに過度にマイナスイメージを持ちすぎる気がする。「進化論」が世界的に大うけし、「社会進化論」にまで広げられたのもそのためだろう。会議などでも、威勢のいい「前進主義」の意見が慎重論を圧倒し、会社や組織を破滅させたりする。慎重論は「勇気が無い」と簡単に片づけられ、ゴミ箱行きになるのである。先の戦争での軍部の行動は、まさにそうして日本を地獄に引きずりこんだわけだ。
自然界では、進化に目的など無い。と言うより、たまたま環境の変化にうまく適合した変異個体が新環境で優性な種になっただけのことで、生物が意図的に進化したわけでも何でもないのは当然の話だが、進化(というより変化でしかないのだが)と進歩を混同するのが「進歩主義者」の常なのだろう。実際の人生では、立ち止まらないと周りの風景さえロクに目に入らないのだが。


(以下引用)



さんがリツイート

学祭で虫の質問を受けて感じたのは、「進化には目的がある」「進化とは進歩である」と思っている人が多いということ。例えば「何のためにこういう形になったんですか?」とよく聞かれた。進化に方向性や価値があるわけではなく、ランダムに起こる個体変異のうちたまたま適応したものが残っているだけ。





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