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徽宗皇帝のブログ

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映画『ポチの告白』について

「陽の当らない邦画劇場」は、私・徽宗皇帝がたまに見に行く映画紹介サイトである。その書き手は、マスターヴィジョンと並ぶ映画鑑賞眼の持ち主で、そして素晴らしい文章家であると私は思っている。その映画紹介文の一つをここに引用する。このような映画が公開されていたということさえも私は知らなかったのだが、それだけマスコミ的に黙殺されていたということであり、それはつまり……ということであろう。


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ポチの告白

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■公開:2009年

■製作:田村正蔵、高橋玄(配給:アルゴ・ピクチャーズ)

■プロデューサー:佐藤輝和、小高勲、高橋玄

■監督:高橋玄

■脚本:高橋玄

■原案協力:寺澤有

■撮影:石倉隆二、飯岡聖英

■音楽:高井ウララ、村上純、小倉直人

■編集:高橋玄

■美術:石毛朗

■録音:西岡正巳

■照明:小川満

■主演:菅田俊

■寸評:

ネタバレあります。

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思い出すと1980年前後から、映画が警察批判をすることがめっきり少なくなったような気がします。 こんな脚本を映画にしたら、街頭ロケの許可がおりなくなるんじゃないか? 映画の人たちはたちまちに心配するわけで、まあ長いものには巻かれてしまえ、どうせヤクザと警察なんて、俺達には関係ないのさと安心してばかりはいられません。

ヤバイ映画です、こんなもん映画にして大丈夫なのか?と観ている方が想像する、その時点で製作者の意図は達成されているのかも。

警察がその敵対勢力と限りなく同質な一面を持っていることは、かつて日本では常識でしたが、本作品では敵対勢力をもはるかに凌ぐ、日本一の組織暴力であると断言してしまいます。もはや「県警対組織暴力」や「セルピコ」の比じゃありません。

所轄の巡査、つまり交番のお巡りさんである竹田八生・菅田俊は身体はでかいし、顔は怖いし、一般人から「熊みたい」と認定されるルックスですが、親切で実直なノンキャリアです。 上司・並樹史朗からも褒められていますし、同僚からは愛情をこめて「タケハチ」と呼ばれています。

そんな竹田を刑事課長の三枝・出光元は刑事に昇任させてあげるのでした。

身重の妻・井上晴美と社宅に引っ越せたのも、三枝課長のおかげです。 竹田は課長に深く感謝し、妻の止めるのも聞かずに、愛娘の名付け親にすらなってもらうのでした。

竹田に後輩ができました。 彼の名前は山崎・野村宏伸といい、やはり課長の世話で中途採用されたノンキャリアでした。 中国語や韓国語もたくみに使いこなす山崎は、竹田のよい相棒になります。

ファミリーを形成して手下を増やしていく手段は、まるでマフィアのようであります。

ある日、ジャンキーが民家に立て篭もりました。

竹田と三枝のチームは現場に到着すると、犯人の説得にあたりますが効果なし。 そこで三枝は竹田に人質救出を命じました。 現場を取材していた大手新聞社のカメラマン、北村・井田國彦と、怪しげなバーを経営している草間・川本淳市は、警察と犯人の奇妙な関係を裏付けるような写真を撮ります。

麻薬中毒患者をさらにシャブ漬けにしてスパイとして活用し、いよいよ危なくなったら使い捨てにしようとして、警察に裏切られてキレたジャンキーを拘置所で自殺に見せかけて抹殺。

麻薬取引を見逃す代償として、不法銃器の取り締まり実績をアップするためにヤクザに架空の取引のヤラセを強いる。未成年がソープランドで働いているのを見逃して、賄賂をもらう。架空の請求書で裏金作り、しかもそれは所轄のつつましい行為ではなく、本庁からの指示という仰天な実体。押収した覚せい剤を横領して自ら中毒になる警官。

小は自転車窃盗の誘発から、大は麻薬密売の上前をハネる、まで。リアルです。警察ならこれくらいやってそうだと思わせるほど、おまけにマスコミに対する情報操作の実体までが克明に語られます。

この映画は、ヤバイというより怖いです。

どこが怖いかというと、悪が必ずしも裁かれないというのは歴史が証明しておりますのでこの際、どうでもいいんですが、警察の真実を告白しようとした人間が、裁判所までグルになって完全に社会から葬られるということ、警察の機関に収容されてしまったら、事実なんていくらでも捏造できるということです。

この映画には真実というものが登場しないのです。何もかも、隠蔽されてしまう恐怖。やってもいないことをやったというのは、ただの駄ボラですが、やったことをやっていないというのは犯罪です。しかも、それが警察ですから、手の打ちようがありません。

これは怖いですよ。

竹田は、上司の命令に忠実に従い、汚職の首謀者となっていきます。 すべては警察の、警察による、警察のための正義と、身内の幸福のためであって、忠実な犬=ポチになっていくのです。ヤクザも三国人も呆れるほどの赤裸々さですが、組織ぐるみの犯罪というのは、それが国家権力の手になるものであれば、誰も裁くことができません。ある意味、警察の犯罪というのは最強で、最悪です。

ポチは、三枝のために忠実に尽くしていましたが、その三枝の身が危なくなると、あっさりと見捨てられ、ポチはホンモノの捨て犬のように、社会的に抹殺されることを自覚します。竹田はここでも忠実に捨てられるかと思われましたが、論告求刑の日、最後に証言を求められた竹田は、すべてを告白しようとしますが、すでに警察に懐柔されていた裁判官に退廷を命じられてしまいます。

法廷は、警察と警察に飼いならされた犬=マスコミが大量動員したサクラで満員です。 真実は一切、世間に公表されることはありません。 日本のマスコミにおいては、でした。

一度は、竹田にボコられた草間でしたが、警察の汚職に本気で取り組む決心をして、同じく新聞社の犬ぶりに失望した川村とともに、外国人特派員の前で記者会見を開いていました。そして、竹田こそが警察犯罪の最大の犠牲者であると、そしてもう日本のマスコミなんてクソなので、このテーマに関心を持った外国人記者に協力を依頼して、告発することにしたのでした。 最初はやさしいお巡りさんだった竹田がみるみるうちにVシネマのヤクザと化して行くのに対して、いかがわしいチンピラだった草間はエンディングではまるで戦隊ヒーローものの二番手のようなカッコよさです。

しかし、そこまでやっても、警察も、裁判所も、マスコミも誰一人、傷つくことはありませんでした。いくら告発してもそれが、日本のメディアに載らなければ、それは真実とは認定されないということですね。

ラストの、竹田というか菅田俊さんの独白は、これはもう菅田さん以外ではありえないくらいのキレっぷりです。

大多数のちゃんとしたお巡りさんに失礼だろうと怒るキモチも十二分にありますが、そうではない警察の部分、報道されない不祥事にならない不祥事は、警察の信用を失墜させることよりも、もっと根深い悪だと、この映画は訴えます。

そして、もう一人の忠実な犬の怒りは、国家そのものに差別された者の言葉にならない絶叫です。

これは本当に怖い映画です。

一般の市民にとって、最も身近な警察が信用できない、こんな怖い話ほかにありませんから。

(2010年04月06日 )

【追記】

※本文中敬称略

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