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徽宗皇帝のブログ

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蝿(ウィリアム・ブレイク)
例によって、名詩の日本語訳のそのまた現代語訳である。
過去の訳詩が文語であっても、変えようのないものもある。たとえば、上田敏によるカール・ブッセの「山のあなた」やブラウニングの「春の朝」などは、もともとの詩よりもすぐれているのではないか。それほど知られてはいないが、森鴎外訳の「トゥレの王」や「物見に生まれて」なども、動かしようの無い訳だ。それ以外の翻訳者をおとしめる気はないが、現代人にはとっつきにくい訳もたくさんある。難語や雅語を駆使した苦心の訳も、今ではただの骨董品になっているのである。
屋上屋を重ねるような無駄な作業には見えても、そうした訳詩を再度訳すのは、無意味な仕事だとは思わない。
で、今日は「虎よ、虎よ!」などで知られるウィリアム・ブレイクの「蝿」という、あまり知られていない詩である。

   蝿

あわれな小蝿よ
私のこころない手が今
お前の夏の戯れがうるさくて
打ち払ったのだ

だが私も
お前に似た小蝿の身ではないだろうか?
お前もまた
私に似た人の身ではないだろうか?

私も飲み、踊り、
また歌いはするが、最後の日には
十把一絡げに打ち払う闇の手が
私の翼を打ち払うだろう

思慮や判別こそが
命であり力であり
思慮しないこと、判別できないことが
死であるならば

それならば私の身は
実に幸いに満ちた小蝿であろう
生きるにせよ、死ぬにせよ
それはどちらでもいいことだ

   (ウィリアム・ブレイク)

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