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徽宗皇帝のブログ

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これからの日本のグランドデザイン 本論(1)経済と産業6
迷ったら、出発点に帰れ、というのは山道などでの原則だろうが、思考でも同じで、迷った場合は問題の根本や本質をもう一度考えるのがお勧めだ。

で、前回書いた、「果たして、日本は収入を増加させる必要があるのか」というのは大きな問題だと思う。これ(日本は収入を増加させる必要がある)は、多くの人にとってはまるでア・プリオリな真理というか、常識のように思われているが、それは家計と国家経済の混同から来ているのではないだろうか。
だいいち、国民全員の収入を「平等に」増加させる、ということは社会評論家のほとんど誰も論じていないのであるwww  これは大笑いしていい「詐欺」ではないか。経済が上向けば、(輸出産業を筆頭とする大企業が儲かれば)国民全体が豊かになる、という「トリクルダウン」がまるで論じるまでもない真理であるかのように、それを前提としてすべてが論じられているのである。
言うまでもなく、「トリクルダウン」は存在しない、とあの新自由主義者の経済学者連さえ公に認めているのである。
ならば、「日本は収入を増加させる必要がある」という命題も成り立たないはずだ。つまり、「上級国民のためには」という前提でしか、この命題は成り立たないだろう。他の一般国民にとってはほとんど無縁な話である。
おそらく、私がこう書いても、「何となく納得できない」という人が多いと思う。それは「トリクルダウンはやはり多少はあるはずだ」という考えの人か、あるいは「家計と国家経済を同じもののように考えている」ことから来る錯覚だろう。
家計においては、「収入が増えればいい暮らしができる」のは当然だが、「国民全体の収入が増えたら『個々の国民』はいい暮らしができる」とは限らないのである。当たり前だ。それでいい暮らしができるのは個人収入が増える「上級国民」だけである。下品な言い方をすれば、「俺が芋を食えば、お前が屁をひるのか」という話だ。これが家計と国家経済の違いだ。個人と集団を混同してはいけない。
補足するなら、GDPの6割は家計消費であると言う。つまり、輸出輸入に関係なく、国の中でぐるぐる回るカネだけが、本当の意味で我々の生活に直結しているカネなのである。
ということは、そのカネが減少していること(一般国民の間で循環するカネが減少したこと)が最大の国民経済の問題であって、輸出とか輸入とか、貿易赤字とか黒字とかの問題は、それに比べたら、まったく些末的問題でしかない、ということになるだろう。

とりあえず、ここで小結論を出しておく。

「日本は収入を増やす必要は、実は無い」

では、何が問題か。国内のカネの循環のどこが悪くて国民を不幸にしているのか、である。
第一次産業の問題は、その後で考えることにしよう。覚えていたらだがwww



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