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無題

高野孟という、政界裏情報に詳しいジャーナリストがいるが、鳩山・菅禅譲(あるいはクーデター)についての彼の論説を転載する。この論説の是非は別として、その見方は大いに参考になる。特に、小沢や鳩山には相手を説得するという姿勢が著しく欠けている、という指摘はその通りだろう。「政治とカネ」という、意味不明で理不尽な検察の追及に対して小沢が唯々諾々と従い、反論をしなかったのは、彼の弁舌能力の低さのせいかもしれないし、何かの判断によるものかもしれないが、明らかに判断ミスだった。そのせいで、国民の大半には小沢の悪党イメージが定着してしまったのである。菅への禅譲については小沢にも異論はなかっただろうが、菅が自分の支配を逃れる方策に出ることまでは予測できていなかったという見方も、あるいは正しいのかもしれない。
問題は、菅新総理が対米従属路線をこのまま取るのかどうかである。もちろん、すでにその一部は顕在化しているのだが、消費税増税も含め、反国民的政策を菅政権がこのまま取るようなら、参議院選挙では、絶対に民主党に投票するべきではない。もちろん、国民新党、社民党に入れればいいのである。あるいは新党大地でも共産党でもいいのだ。今の政治状況なら、共産党が派遣社員や若者の雇用状況改善のために戦う姿勢さえみせれば、得票数を大幅に増やすことも可能だろう。もはや、右とか左とかで政治を語る時代ではなく、ただ国民の生活と幸福のための政党か、そうでないかの違いがあるだけである。そして、現在の国民の不幸は、日本国民の金がアメリカやその背後の米国資本=ユ*ヤ資本に注ぎ込まれ、日本国民が経済的に窮乏しているところから来ているのである。つまり、対米従属派=売国派なのである。


(以下引用)


ダブル辞任はどちらが仕掛けたのか? ── それはともかく、さあ、菅政権!


 ダブル辞任を鳩山由紀夫前総理と小沢一郎幹事長のどちら側が仕掛けたのかの論議が、本サイトを含めて盛んである。真相はいずれ漏れてくるだろうが、今のところ主流をなすのは「鳩山が小沢を道連れにした」という見方で、新聞のほとんどや今週の『週刊現代』などがそれ。

(1)小沢は普天間問題で鳩山が完全に行き詰まったのを見て、

(2)鳩山を説得して自発的に辞任させるか、それに応じなければ両院議員総会で手下に党代表の解任動議を出してでも辞職させた上、

(3)内閣は官房長官を代えるくらいでほとんど居抜きで素早く菅直人前副総理に切り替えて、

(4)自分は引き続き幹事長に留まって参院選を何が何でも勝利に導くというシナリオを描いていたが、

(5)鳩山から「あなたも一緒に辞めてもらいたい。ついでに北教組事件の小林千代美議員にも辞めてもらって、この際、『政治とカネ』でマスコミから突き回される要因を全部除去して参院選を迎えたい」という風に切り替えされて、

(6)虚をつかれた小沢はダブル辞任を受け入れざるを得なかった......。

 それに対して非主流的なのは「すべては小沢が仕組んだ」という見方で、典型は今週の『週刊ポスト』の「差し違え?抱き合い心中?とんでもない!新闇将軍小沢一郎、次なる謀略」。小沢は初めから、イザとなったら鳩山を抱きかかえて自分という爆弾を破裂させる作戦で「政治とカネ」批判を封じて菅政権に切り替え、参院選勝利を確実にした上で、9月代表選で菅が言うことを聞くようならそのままでいいし、そうでなければわずか3カ月で切って捨てて自分の思いのままになる総理を据える、と......。

 平凡で申し訳ないが、私はどちらかというと主流的な見方が推測として正しいと思う。たぶん小沢には二重の誤算があった。彼は鳩山と菅の両方を甘く見ていて、鳩山がダブル辞任という逆襲をしてくるとは思わず、それをはね返す理屈を用意していなかったし、また菅はこの間ずっと小沢に対して恭順の意を示していたので思い通りに操れると思ったが、菅は意外にも素早く動いて(しかも恐らくは鳩山と気脈を通じて)2人が信頼を寄せる仙谷由人を軸とする独自の人事構想を進め出した。菅の昇格しか考えていなかった小沢は、自分で田中真紀子に電話を掛けて代表選出馬を働きかけて即座に断られ、また側近を通じて海江田万里や原口一博にも声をかけて断られるというドタバタを演じた。この国難の時に、外相もまともに務まらなかった真紀子を日本の総理にしようとするなど、ほとんど狂気の沙汰で、その慌てぶりに、この事態が小沢によって周到に準備された謀略などではないことが暗示されている。

●小沢はしてやられた

 もちろん、ダブル辞任という自爆的シナリオを構想し仕掛けたのは小沢側で、鳩山を辞任に追い込んだまではよかったが、その瞬間に菅が"小沢離れ"の動きに出たのが想定外だったというケースもありえよう。その場合、小沢の誤算は二重でなく一重だったことになるが、それでも結論は同じで、小沢は菅にしてやられたということである。

 もっとも、小沢のこうした政局の修羅場での判断はこれまでも大体において余り正しかった例(ためし)はない。(1)93年に細川政権を作って自民党長期政権を終わらせたのは見事だったが、同政権を支えることが出来ず、(奇しくも今回と同様)8カ月で崩壊させた。(2)その末期に自民党から渡辺美智雄を引っ張り出そうとして失敗した。(3)羽田孜政権を支えきれず2カ月で崩壊させた。(4)その末期に自民党から海部俊樹を引っ張り出して海部政権を作ろうとしたが亀井静香にしてやられ、村山=自社さ政権による自民党復権を許した。(5)94年12月に新進党を結成し「保守2大政党制」を標榜したが、自民党の切り崩しと旧民主党の結成に押されて3年間でバラバラに分解した。(6)99年1月に小渕恵三=自民党との自自連立、自自公連立に走ったが、自由党は分裂し、保守党が誕生したが後に自民党に吸収され、結局、自公連立による自民党政権の10年間延命に手を貸しただけとなった。(7)07年11月に福田康夫=自民党と民主党による「大連立」密謀に乗ったが一人芝居に終わった。(8)09年8月の総選挙で民主党=鳩山政権を実現したのは見事だったが、またもやこれを支えきれず、8カ月で潰した......。

 私は、93年の彼の著書『日本改造計画』に代表される小沢の理念力は(細部での意見の違いは別として)極めて高く評価していて、彼が06年4月に民主党代表に就任した直後から何度も「小沢さん、『新・日本改造計画』を書いて、その小沢理念で政権交代を実現して下さい」と言い、その度に彼も「おお、そうしようと思っているんだ」とは言ったが、今に至るも実現していない。それでも私は「小沢政権を見てみたい!」という強烈な願望を抱き続けていて、今なお昨年5月の代表辞任を残念に思っている。しかし、その理念力とは裏腹に、理念をじっくりと党内にも世論にも滲透させ1つ1つ煉瓦を積み上げるように実現していく忍耐力、説得力、統合力に欠けているのは事実で、「こんなことも分からないのか、バカめ」という調子で出るべき時に出ず動くべき時に動かず、結局、状況が煮詰まってどうにもならなくなってから政局戦術的にバタバタして、潰さなくてもいいものを潰してしまうということの連続だった。

 この小沢の欠陥については、内田樹『日本辺境論』(09年、新潮新書)で日本語の特殊性について語っている中の次の記述が参考になる。

▼自説への支持者を増やすためのいちばん正統的な方法は、「あなたが私と同じ情報を持ち、私と同じ程度の合理的推論ができるのであれば、私と同じ結論に達するはずである」というしかたで説得することです。私と聞き手の間に原理的には知的な位階差がないという擬制をもってこないと説得という仕事は始まらない。

▼けれども、私たちの政治風土で用いられているのは説得の言語ではありません。もっとも広範に用いられているのは、「私はあなたより多くの情報を有しており、あなたよりも合理的に推論することができるのであるから、あなたがどのような結論に達しようと、私の結論の方が常に正しい」という恫喝の語法です。自分の方が立場が上であるということを相手にまず認めさせさえすれば、メッセージの審議や当否はもう問われない。

▼「私はつねに正しい政策判断をすることのできる人間であり、あなたはそうではない」という立場の差を構築することが、政策そのものの吟味よりも優先する......。

 よく言われるように、東北人特有の「口下手」などという問題ではなく、最初から「説得の言語」を持とうともせずに「恫喝の語法」に頼り、そしてさらに言えば、その恫喝の語法を貫徹するために、言語そのものを用いることさえも放棄して、組織や人事や選挙を通じて力をみせつけて、自分が「最高実力者」であり「闇将軍」であることを有無を言わせず認めさせ、「立場の差を構築」しようとするのが小沢流と言えるかもしれない。

 本論説が3月以来繰り返してきたように、「政治とカネ」の問題も「普天間移設」の問題も、正面突破作戦を採らない限り、官僚とマスコミの連合軍が作り出す疑似世論に囲まれて政権が行き詰まることは目に見えていた。本来、こんなことで2人が揃って辞めなければならない論理的な理由などあるはずがなく、しかしだからと言って政治が相手にするのは大衆の情動であって、論理的に正しいとか説明など必要ないなどと言い張っていても通らない。鳩山と小沢は毎日でも会って状況を分析し方針を立て「説得の言語」を工夫して、内閣と党にそれを滲透させ、すべての力を結集して反革命的包囲網を切り裂いていく先頭に立たなければならなかったが、実際にはその反対で、2人の間には同志的な結束がないばかりか、危機が深まるほどますます他人行儀のようなことになってすべてが後手後手に回ることになった。2人それぞれの資質と能力の問題もあるが、「政策は内閣、選挙は党」という小沢式の二元論が極端がなおさら事態を悪化させた。

 どちらが仕掛けたのかという政局次元の話はともかく、トップの2人が結束して血路を開くことが出来なかったことは事実で、こうなれば2人がダブル辞任すること以外に政権交代の果実を守る手立てはなかった、ということである。

●要は仙谷官房長官

 菅直人総理が8日組閣後の会見で「内閣の一体性確保」を強調したのは、前政権の失敗の教訓を踏まえたことであるのは言うまでもない。彼は言った。

▼新たな私の内閣は、官房長官を軸とした内閣の一体性を考えて構成した。官房長官とはまさに内閣の番頭役であり、場合によっては総理大臣に対しても「ここはまずいですよ」と言える人物でなければならない。よく中曽根政権の下の後藤田(正晴)先生の名が出るが、そうした力を持った人でなければならない。

▼仙谷さんは長いつきあいだが、同時にある意味では私にとって煙たい存在。煙たいけれども力のある人に官房長官になっていただくことが、この政権の一体性を作っていく上での最初の一歩と考えた......。

 鳩山の人事面での最大の失敗が、野党代表の秘書役としては便利だったかもしれないが、総理にモノ申すわけでもなく与党幹事長とのパイプ役を担えるわけでもない平野博文のような無能者を官房長官に据えたことにあったことは、衆目の一致するところで、それに比べて菅が真っ先に仙谷を要に組閣を考えたのは適切な判断だと思う。

 菅と仙谷の本格的なつきあいは、政策集団「シリウス」が最初だと思う。仙谷は1990年2月の総選挙で社会党から初当選するや、直ちに同じ1年生の池田元久(現財務副大臣)、筒井信隆(現衆院農水委員長)、細川律夫(現厚労副大臣)らと「ニューウェーブの会」を結成、党執行部に対して改革案を突きつけるなど目覚ましい活動を始めた。やがて仙谷らは、当時「社民連」所属の菅と語らって92年11月、社会党ニューウェーブ21人、社民連2人、連合参議院4人で江田五月(現参院議長)を代表として政策集団シリウスを結成、私も仙谷や大学同期の筒井との付き合いから唯一の非議員メンバーとして参加したが、これは政策集団とは表向きで、実は社民連を社会党と合体させ江田を委員長に押し立てて社会党を乗っ取ろうという陰謀集団だった。が、結局は江田の優柔不断で決起が果たせず、大いに落胆した菅は、翌年、宮沢内閣崩壊、自民党分裂という大変動の中で「新党さきがけ」に合流した。

 仙谷は、東大法学部在学中に司法試験に合格した秀才で、憲法論や行政法改革論はじめ制度論ばかりでなく、安全保障、経済戦略、医療などどんな政策分野でも自説を展開できる「説得の言語」を持つ民主党きっての論客であって、同じ論客タイプの菅が一目置く数少ない人物である。しかも、菅が論法鋭いあまりに同僚や若手を完膚無きまでに論破して傷つけてしまいやすく、結果、党内の信望が薄いという点では小沢に似ているのに対して、仙谷は逆で、党人派的な親分肌のところがあって、党内グループの壁を超えて中堅・若手の相談相手として信頼を集めている。マスコミが作るグループ分けの一覧表で、仙谷を「前原グループ」の一員であるかに分類しているのはとんでもない話で、彼は確かに同グループの後見役ではあるけれども、それに止まらず、小沢系と言われる一部を含めた中堅・若手のほぼ全体にとっての後見役である。

 その仙谷が最も信用する弟分が枝野幸男で、この2人は一心同体と考えていい。それを幹事長に据えたのも菅の英断で、これによって内閣と党の奇妙な二元論は解消される。2人は1日に10回でも連絡を取り合って内閣と党をシンクロさせるだろう。加えて、これも小沢の二元論によって阻まれていた党政策調査会も復活させられ、その会長の玄葉光一郎が内閣にも入ることで、なおさら内閣と党の一体化は促されるだろう。

 蓮舫を行政刷新大臣にしたのも菅のセンスのよさである。彼女が事業仕分けでテレビ的にも活躍し、選挙向けの"顔"として有用であるという戦術的理由もさることながら、事業仕分けは、公務員制度改革や天下り禁止、特殊法人改革などとも相まって、民主党政権の本源的な戦略である「中央集権体制の解体」=「地域主権国家への転換」を成し遂げるための地ならしであって、その作業は前政権下で、仙谷=行政刷新相、枝野=仕分け人主任、蓮舫=副主任で始まり、やがて仙谷=国家戦略相、枝野=行政刷新相、蓮舫=主任となって今春に継続された。蓮舫は仙谷と枝野を"兄"と慕っており、実はこの仙谷〜枝野〜蓮舫というラインが重用されたところにこの内閣の戦略性が表現されている。

 加えて、この内閣・党人事の最大の特徴として「世代交代」がある。党に関して言えば、トップの枝野が42歳、幹事長代理の細野剛志は38歳で、その平均年齢が清新さを印象づけるというに止まらず、もはや68歳の小沢が何もかも取り仕切るという時代は戻ってこないという暗喩的なメッセージとなっている。もちろん、小沢がいなくて民主党は大丈夫なのかという不安は残る。が、小沢自身が理念力と「説得の言語」によって民主党を導くことを選ばず、自民党由来の権謀術策と「恫喝の語法」によって勝負をかけて失敗したのだとすれば、民主党は小沢を超えて前に進むしかない。福島瑞穂、小沢一郎、亀井静香と、良くも悪しくも「55年体制」的な要素が剥離していくことで民主党らしい政権が育って行くのでなければならない。

 菅=民主党は、余程のことがない限り、参院選で改選議席54は確保し、巧く行けば60を奪って過半数を確保するだろう。そうなれば9月にもう一度、形ばかりの総裁選を実施する理由は何もなく、菅体制が継続する。国民としても、「もう短期でゴタゴタしないでじっくり政策に取り組んで貰いたい」というのが本音だろう。とすると、『週刊ポスト』が期待するような新闇将軍による「9月の陰謀」など起こる余地はなく、菅政権は長続きし、3年後の総選挙もしくは衆参ダブル選挙では、国内=地域主権国家への100年目の大転換、対外=東アジア共同体の形成とそれに見合った日米安保体制の見直しを2大テーマに掲げて国民の同意を求め、それに成功すれば、それから約10年かかって2025年頃までに日本の「脱発展途上国」の平成革命を成し遂げるだろう。その総仕上げは憲法の改正である。

 私はそこまで生きているかどうか分からないが、それを夢見て、取り敢えずは菅=仙谷政権の健闘に期待をかけることにしよう。▲

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