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徽宗皇帝のブログ

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「ハビトゥス」の空気感染
トクヴィルの「アメリカの民主政治」の中に、こういう一節がある。(念のために言うが、私はこの本を気が向いた時に拾い読みするだけである。訳が下手くそで読みにくいのだ。)
下の文章も私が少し手を加えている。

「最も好都合な(地理的)位置も最善の法律も、風習を無視しては憲法を維持することはできない。」

「風習とは、人々が社会状態に持ち込んでいる知的並びに道徳的諸傾向の全体である。」

この風習という言葉へのトクヴィルの定義はかなり独特なもので、これを読んで私が想起したのは「ハビトゥス」という社会学上の観念である。その「ハビトゥス」について書いた私の小文とウィキペディアの一節を転載しておく。下で書いているのとは少し異なり、ハビトゥスは「空気」であると同時に、空中に漂う「風習」ウィルスかな、と思う。

(以下引用)

某ブログを読んでいると、その中に「ハビトゥス」という言葉がカッコ付きで何度も出てきたが、その説明が無く、仕方なく自分で調べた。


まあ、わりと重要な概念だと思うが、それは日本では「空気」で言い表せるのではないか。


ピエール・ブルデューに誰かが教えればよかったのにwww


下の説明では、その「ハビトゥス」が仏語なのか英語なのか、新造語なのかも、また造語なら、その元になった言葉が何かも分からない。


念のために英和辞書を引くと、「habit」が「癖、習慣、気質、体質」などの意味があり、中には「服(特に僧服)」という興味深い意味もある。「habitat」は生育地、住所などで、成る程、特定地域で長期間定住することで身に付く(無意識の)癖、習慣、気質、体質を「ハビトゥス」という概念にするのは意味がありそうだ。


ヤンキーが群れ住む町では誰もがヤンキー的なハビトゥスを身に付けるわけである。運命としてそういう地域に生まれたら、意図的に周囲から孤立することこそ高貴な生き方だと言える。ただし、周囲からは嫌われ軽蔑されるだろう。カマヤン氏の人生などがそれだったのではないか。


なお、habitに「服(お仕着せの服)」の意味があることは、ハビトゥスは自分の意志で脱ぎ捨てることができる、ということを暗示しているようで面白い。


 


ハビトゥス


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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ハビトゥス (habitus) は人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。ピエール・ブルデューによって用いられた[1]


脚注[編集]


1.    ^ コトバンク > ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 > ハビトゥスとは「大辞林 第三版の解説」

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