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徽宗皇帝のブログ

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「切る」という頭脳技術
私はもともとダラダラと仕事をするタイプだったが、今の仕事(だいたいは自然を相手の仕事だ。)に就いて学んだことの一つが「切る」ということだった。つまり、強制的に区切りをつける、ということだ。
自然界には区切りは無い。つまり、アナログの世界だ。それを分節化する(部分に分けて名づける、あるいは把握する)ことで論理的思考が可能になる。(その弊害もあるが。)人間的な思考とはもともとデジタル性を持っていて、それが「0か1か」というコンピュータ思考で先鋭化してきたわけだ。
自然は連続している、ということは、それを相手に仕事をする場合は、こちらで区切りを入れないと際限が無くなるということだ。たとえば、庭掃除をするなら、垣根で区切られたりした敷地内を掃除すれば済むが、野原の掃除をするとなれば、どこかで人為的な限界を作らないと、どこまでも掃除することになり、仕事は終わらない。この場合は、どこかで「切る」必要が出てくる。たとえば、「あの木の生えているあたりでやめることにしよう」と自分で決めるわけだ。これが「切る」という頭脳技術である。もちろん、時間で切ってもいい。
下の記事で言う、

 「仕事は放っておくといくらでも発生します」「仕事はいくらでも作り出せます」

は、見事な指摘であり、これまでほとんど誰も言わなかったことではないだろうか。しかも、これが恐ろしいのは、その仕事を発生させるのが主に自分自身だ、ということだ。特に「完璧主義者」には仕事の終わる時は無いだろう。もし終わるなら、それは完璧などではなく、妥協したからだ。現実に完璧な存在などあるはずはないのだから。
で、たいていの「完璧に見える仕事」は、表面をきれいに化粧しただけの仕事であることが多い。プレゼンだけが見事で、中味の無い仕事とか。家庭の掃除だって、ゴミやガラクタを押入れの中に押し込めば、「見事に片付いた」ように見えるものだし、実際、掃除というのは本質的には「見た目をきれいにする」ことだから、それでいいのである。ただ、そのうちに押入れからゴミやガラクタが溢れ出すことになる。(笑)そこで年末に大掃除をする、という習俗が生まれたわけだ。
表面のきれいさだけでも長所ではあるが、それが内部にたくさんのゴミを隠した仕事である可能性もある、ということだ。東電だって、フクシマ以前は完璧なエリート企業だと思われていただろう。最近ではジャニーズ事務所がゴミ溜めであるらしいことが暴露されたようだ。
脱線したが、「仕事というのは、どこかで切らないと終わらないものだ」ということを意識することは、「生活の技術」として大事なことだと思う。別の言い方をすれば、「お前は自分で仕事を無駄に増やしていないか」と自分自身に問いかけることが必要だろう。
ただし、経営者側から見れば、「自分で自分の仕事を増やす人間」「自分の仕事をマニアックに高めようとする人間」こそが優れた「人材」だ、と思えるだろうから、労働者と経営者の、お互いの歩み寄りが必要になる。それは、実は法律で明快に決められているのである。
すなわち、

労働基準法で1日の労働時間が8時間までに制限されていることを、君たちは知っているか?

第三十二条  使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。


2  使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。


http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO049.html

 基本的にはこれを越えたら残業(時間外労働)である。*1そして、この条項は36条によって骨抜きにされているのだが、原則は「1日8時間をこえる労働はさせちゃいけない」ということなのだ。




 本当にこの通りになるだけで日本社会の風景は一変するだろうと思う。通勤時間を考慮しても午後6時には家にはだいたい帰っているだろうから。前も紹介したが、男性労働者の7割が6時ごろまでには家に帰っているというストックホルム、他方で東京は6時までに帰っているのは2割ほどで、6割以上は8時以降に帰っている。





 ある弁護士に話をきいたとき、「まあ、ブラック企業問題の中心は労働時間なんですけど、一言で言えば刑事罰、牢屋送りでバンバン対応すりゃいいんですよ」と言っていた。労働時間規制違反の場合、罰金以外の刑事罰は6カ月以下の懲役である。もし「バンバン」こういう対応がされたら、たしかに抑止効果はあるだろう。


ということである。
「自分の時間を切り売りして生きる」のが給与生活者である以上、決められた時間以上に自分の時間を相手にタダで渡していいはずはない。また、経営者にそんな権利があるはずはない。「24時間、365日働け」と言うワタミ社長など、監獄送りが相当である。




(以下「紙屋研究所」から引用)

2016-01-18 仕事は終わらない『残業ゼロの公務員はここが違う!』

小紫雅史『さっと帰って仕事もできる! 残業ゼロの公務員はここが違う!』Add Star




 ナイツのネタ、「日本のアニメ界の巨匠を一人、見つけてしまったんですよ」「それ、誰ですか」「宮崎駿って知ってますか」「今さらかよお前」みたいなことを書くが、労働基準法で1日の労働時間が8時間までに制限されていることを、君たちは知っているか?


第三十二条  使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。


2  使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。


http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO049.html

 基本的にはこれを越えたら残業(時間外労働)である。*1そして、この条項は36条によって骨抜きにされているのだが、原則は「1日8時間をこえる労働はさせちゃいけない」ということなのだ。




 本当にこの通りになるだけで日本社会の風景は一変するだろうと思う。通勤時間を考慮しても午後6時には家にはだいたい帰っているだろうから。前も紹介したが、男性労働者の7割が6時ごろまでには家に帰っているというストックホルム、他方で東京は6時までに帰っているのは2割ほどで、6割以上は8時以降に帰っている。


http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h19/zentai/danjyo/html/zuhyo/fig01_00_24.html




さっと帰って仕事もできる!残業ゼロの公務員はここが違う! どうしたら残業をなくせるか。


 そういう話は、ネット上にライフハック的にいろいろ出されている。本書は、その中で「公務員」ということに視点をあてて書いた本だ。書いたのは、中央官庁(環境省)出身で、現在奈良県生駒市副市長現在生駒市の市長(執筆当時副市長)をしている小紫雅史である。



「仕事が片づけられる」と思うのは妄想

 読んでもらえれば、その小技は学べると思うが、ポイントになるのは次の記述だと思った。


 仕事は放っておくといくらでも発生しますインターネットや電子メールが発達してからは、「とりあえず発注」「とりあえず情報提供」というような「とりあえず仕事」が増えていることもその要因です。


 また、仕事はいくらでも作り出せます。時間の制約を意識しなければ、「この資料、もうちょっと見栄えを良くできるかも」「こっちの発注もついでにやっておくか」「念のため課長に説明しておくか」といように「念のため仕事」を自分で増やしてしまいます。(p.14-15、強調は引用者)


 小紫は冒頭に、収入から支出を引いたものが貯蓄額だと思っているうちはおカネはたまらない、まず貯蓄額を確保して、そのなかで支出のやりくりをするのだ、という制約をかける話をしている。「仕事が終わってから飲みに行く」のではなくまず飲みに行く約束(時間)を入れてしまう。そうするとその制限時間にむけて仕事を終わらせる集中力が生じる、というわけである。しかも幹事だと遅れられない。ゆえに、飲み会の幹事はできるだけ引き受けるほうがよい、と。


 「仕事は放っておくといくらでも発生します」「仕事はいくらでも作り出せます」という真実を押さえておくことで、「仕事をすべて片づける」という妄想を消去できるし、区切りをつける強制力をどこかに設けなければ、残業は発生し続ける――このポイントを押さえることが残業と闘う基本であろう。




 小紫は、メールやネットの便利さが仕事を増やすと指摘している。機械化のような生産性の向上が、労働時間の短縮や労働者をラクにさせることにむかわずに、逆に労働者により多くの仕事を押しつけ、過密地獄・残業地獄に追いつめていくことを「予言」したのはマルクスであるが、仕事なんて終わらないのである。


 効率性をあげて時間のスキマをつくっても、(区切る強制力がなければ)そのスキマにはさっと別の仕事が入ってくるのだ。


  仕事は終わらない――こういう悟りを開けるかどうか。



まず自分の中に強制的な区切りを入れる

 小紫はこうした区切りを入れるための強制力のもっとも簡単な手始めとして「飲み会の幹事をできるだけ引き受ける」という方法を提案している。その他にも「自分会議」というのを脳内でおこない、自分の中で優先すべき仕事を先に「予定化」してしまえと提案している。


 この残業予防術の段階は、無限にある顕在化している・潜在化している仕事量のなかで、「組織の時間の流れ」に流されないようにして、自分の力で強制的な区切りを入れてしまう段階である。


 自分の中でしか存在しないこうした区切りは、むろん、弱い。強い上司が「飲み会? ふざけんな。あの案件はどうなったんだ」とか一喝したら押し流されてしまうかもしれないのだ。




 小紫はそうした上司の指示にたいする反撃力というか、逆調査力というか、「〆切は?」「ホントに、それいま急いでんのかよ?」的な聞き返しなどを提案しているのだが、それらは、まあ読んで学んでほしい。



職場において強制力のある区切りを入れる

 小紫の実践が評価できる点があるのは、副市長という自治体の最高クラスの幹部として、庁内の抵抗とたたかいながら残業規制をやろうとしていることだ。




 自分の脳内で区切りを設けるだけではなく、上司や職場全体としてこの区切りの強制をつくりだそうとしている。


 この本では「残業をやめるようにしたら、仕事が終わらない」「公式の残業規制をしたら非公式の残業(サービス残業、もちかえり残業)がふえる」「熱意のある職員がやる気を失う」などの「抵抗」にたいして、実にきめ細やかな反論、そして反論だけでなく対抗的な実践をしている。




 こういう「何がなんでも残業をさせない」という幹部の姿勢があって、はじめて現場からの「抵抗」もでてきて、実際にやれんのかよそれ、という議論にもなる。ぼくが知っている身近な自治体の「残業対策」のお座なりぶりなんかと比較すると、まあ、「構え」が違うんだよな。職場管理者の人事評価に職場の残業時間を入れるのはどうなんだと思わなくもないが、そういうものを含めて徹底して残業を削減しようとしているのである。



社会全体の強制的な区切りを

 小紫の議論は、職場対策として最終的には終わっている。つまり、職場や会社として残業を規制する力をいかに働かせるか、ということだ。


 もちろん、本書の目的にてらせば、本書がカバーする範囲はそれでよい。


 だが、こうした「区切りの強制力」は民間をふくめた社会全体で考えると最終的にはその規制の強制力は法律であり、監督官配置などの取締の実効力ということになる。


 はじめは自分の中にだけ設けられた「区切りのための強制力」は、最終段階になれば、法律や取締体制というところまでにいかざるをえない。そのような強制力があってはじめて社会全体がこの問題にとりくめる。




 ある弁護士に話をきいたとき、「まあ、ブラック企業問題の中心は労働時間なんですけど、一言で言えば刑事罰、牢屋送りでバンバン対応すりゃいいんですよ」と言っていた。労働時間規制違反の場合、罰金以外の刑事罰は6カ月以下の懲役である。もし「バンバン」こういう対応がされたら、たしかに抑止効果はあるだろう。



最低賃金上昇とブラック退治では、本来アベノミクス派と共同できるのではないか

 こうした徹底した残業削減は、何を導くか。


 それは〆切時間の意識、不要な仕事・会議のリストラであり、仕事の100%完成度ではなくスピードの重視へとつながる。それは良くも悪くも、生産性の向上をもたらす。残業規制とセットなら、理屈のうえではマルクスの「予言」(生産性向上は労働者を解放せず、逆にドレイにする)は引き起こされない。




 正月に愛知の実家に帰って読んだ中日新聞2016年1月1日付)に載っていた、経営コンサル会社のCEOである冨山和彦の「賃金上がらぬ経営は退場」という意見が忘れられない。


最低賃金を上げる。労働生産性の低いブラックな会社に消えてもらい、相応な賃銀を払える経営への新陳代謝を加速する。雇用を心配する声があるが、人手不足の時代なのだからホワイトな企業に移れるようになる。



労働基準監督署は処分が甘い。〔…中略…〕特に中小サービス業に異常に甘い。雇用の吸収のためには、サービス業はむしろ生産性が低い方が(行政にも)都合がよかったからだ。二人でできる仕事を三、四人でやっているところに雇用調整助成金を出し、潜在的失業を吸収してきた」



――外国人労働者の導入を求める声が経団連にも強い。


「高度な人材は入れた方がいい。だが低賃金労働はご法度にして、生産性を上げざるをえないところに追い込んだ方が、会社は強くなる。無能な経営者を生き延びさせるのは経済にマイナスだ」


 冨山は、地方のサービス業について、最低賃金を上げることや労働基準監督署のチェック・処分を厳しくせよという。製造業とちがって海外移転という手段がとれないこうした業種では、それに対応できない「無能な経営」は生産性を向上させられずに、消えるしかなくなる。これまでの地方のサービス業は、生産性の悪さをたくさんの人を安くやとって、長い時間働かせることでしのいで雇用を吸収してきたが、これから人手不足の時代になるんだから、労働者はホワイトな企業に移ればいい――こういう意見である。




 ぼくはこの意見にそのまま与するわけにはいかないんだけども*2本来アベノミクスを推進するような側からいっても、残業征伐とか、ブラック企業退治とか、最低賃金の抜本的引き上げとか、ということは、ぼくら左派といっしょにやっていけるはずだということだ


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