■明治維新の近代・5     子安宣邦               


国家論の不在ー大熊信行『国家悪』を読む


 


「日本人は国家観をかえなければならない。単に国体観などというものを放棄するだけでは十分ではない。これまで摂取しておった西洋近代のあらゆる国家思想を、すべて疑問の対象として再検討するだけでなく、だれもまだ踏み入ったことのない思想領域へ、そして同時に精神領域へ、歩み入らなければならない。」


                        大熊信行『国家悪』


 


1 「国家悪」ということ


 「われわれは実に戦争をとおして、国家なるものを体験した」[1]と大熊信行はいっている。大熊がここでいう戦争とは太平洋戦争である。彼は続けて、「これはしたたかな体験だった。おそらく戦争と国家とは別々のものではあるまい。戦争とは国家のわざであり、国家とはまさに戦争をわざとするものだ。われわれは、国家がその力という力をかたむけつくすのは戦争においてであることを知った」というのである。大熊の著書『国家悪』の第二章「戦争体験における国家」に載るこの文章は、終戦の翌1946年に書かれたものである。この時期、日本の総力戦的戦争を非難し、弾劾し、その責任を問う多くの文章が書かれたが、大熊の戦争責任論を特色づけるのは、その追及の矛先が「国家」そのものにまで及んでいることにある。「戦争こそは国家の本来の業であること、したがって、戦争のなかにこそ国家の本質が残りなく露出してくるものであることを、知った。われわれは実に戦争をとおして、国家なるものを体験した」というように、大熊がこの戦争を通して体験したというのは、昭和国家でもなく、日本国家でもなく、「国家というもの」の本質である。


 だから大熊の『国家悪』とは、戦争という殺戮的暴力を国家そのものの本質に由来する悪として原理主義的に追及しようとする国家論であるのだ。私はこれを気がかりな書として早くから書棚に置きながら、ついぞ手に取って見ることをしなかった。だがこの夏、「国体」論の再構成を計りながら「国家論」を読んでみたいと思った。ところが私の書棚にわずかに見出しうるのはヘーゲルの国家論以外には大熊の『国家悪』と佐伯啓思の『国家についての考察』(飛鳥新社、2001)だけであった。『国家論』の貧しさは私の書棚にかぎられるわけではない。ネットを見ても、書店にいっても大して変わりはない。私は『国家悪』を読み始めた。これを読むことで初めて大熊の原理主義的な国家論の意味を理解した。


 


 2 「戦争責任」と「国家悪」


 「戦争をとうして国家を体験した」という大熊は、自らの戦争(国家)体験を内側に突き詰めることによって「国家悪」に正面することをいう。長いが『国家悪』の核心的な言葉を引いておこう。


「「戦争責任」の問題も、突きつめていけば国家対個人の問題になる。どこまでも自己の責任を問いつめていって、最後に行きあたるのが愛国心の本質である。その本質のなかに、個人における国家問題が横たわっている。国家悪を自己の外へ追いやるのではない。それを自己の内部に掘りおこすのだ。この責任問題は、国家が個人を超えて実在するのではなくて、逆に個人が超えた実在である、という問題なのである。責任感に徹するということは、国家の責任を自分が引っかぶるなどというような、そんな古めかしいことではない。実は人間としての自己に徹するというだけのことなのだ。それがそのようなものとしてかえりみられず、ただの政治問題として押し流されていったところに、戦後の思想界の失調がはじまる。」[2]


 大熊は自己の内部に「愛国心」とか「祖国愛」として存在した「国家」を追いつめる形で己れにおける「戦争責任」を問うべきことをいっている。戦争する国家と一体化し、あるいはその国家を内部化した自己の解体的な追及によってはじめて戦争する国家の悪の本質は明らかにされるだろう。それがあるべき戦争責任の追及のあり方だと大熊はいうのである。戦争する国家を内部化した自己を解体的に追及する自己を彼は「人間としての自己」というのである。それは天皇の御民としての自己でもなく、祖国の一員としての自己でもない。この大熊による「戦争責任」論の原理主義的な徹底によってはじめて、戦後の戦争責任論が「ただの政治問題」にしかすぎなかったことがいわれるのである。大熊が『国家悪』でしている戦後日本の論壇を賑わした多様な「国家批判」「戦争責任」論についての文章は、その批判の徹底さにおいて七〇年後の今でも読むに価する。この徹底をもたらしたのは大熊がその論究の前提をなす二つの命法である。


「われわれは自分のなかに人間悪を断たなければならない。それを断つことによって国家悪を断たなければならない。それが可能であるかどうかはよくわからない。しかし、それを断たなければならないという命法のあることを、われわれは知りそめつつある。


 われわれは国家に対する恐怖を断たなければならない。それを断つことによって国家の存在を超えなければならない。それが可能であるかどうかはよくわからない。しかし国家を超えなければならないという命法のあることを、われわれは知りそめつつある。」


 私が原理主義的な国家論というのは、このような命法を前提にした国家論をいうのである。『国家悪』とは日本人の初めてで、そして最後の「国家論」であるかもしれない。1945年の敗戦とは日本人にこのような命法による国家を想定させたのである。