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「愛国」はなぜ他者憎悪に転ずるのか

今日二度目の投稿だが、素晴らしい記事であり、拡散すべき文章だと思うので、転載しておく。
私も橋下や石原(かつては小泉・竹中)を「非国民」とか「売国奴」と書いてきた「愛国者」なので、今後は気をつけよう。(笑)

「酔水夢人ブログ」の数日前の記事にのせた動画でも、「問題はただ選択の問題であり、愛を選ぶか、恐怖を選ぶかだ。」という趣旨の言葉があったが、「恐怖」は「憎悪」の兄弟である。我々は他者を憎悪したとき、恐怖で他者を支配しようとする。そして、この世は恐怖で満たされる。
「汝の敵を愛せよ」という言葉はキリスト教の真髄だ、とトルストイは言っているが、憎悪と恐怖の連鎖は永遠の戦いしか生み出さないのかもしれない。
だが、はたしてあのような狡猾残忍な「敵」に対し、戦う以外に方法があるのだろうか?
あるとしたら、愛の中で相手を溺れさすという優しい殺し方くらいだろうか。(ww)

「Killing me softly with his song」はドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」という歌で優しく殺された人の書いたアンサーソングであるという。なお、萩尾望都の「アメリカン・パイ」はそのエピソードに触発されて生まれた名作漫画であるわけで、このように世界を次々とつなぐ美しい連鎖もある。
あなたは「愛」か「恐怖」か、どちらを選びますか?

もっとも、「自己愛」しかない人間もこの世にはたくさんいるのだが。

私自身、日本という国の自然と文化的伝統を愛する「愛国者」なので、「自己愛」「身内愛」「党派愛」の中に「愛国」が含まれてほしくないものである。





(以下「村野瀬玲奈の秘書課広報室」より引用)






「愛国」を叫ばない理由
ジャンル : 政治・経済 スレッドテーマ : 愛国心
  

秋原葉月さんの「Afternoon Cafe」ブログの記事、「極右排外主義政党になりはてた自民党」のコメント欄についていたコメントをこちらにも記録させていただきます。まず、記事はこちら。

●Afternoon Cafe
極右排外主義政党になりはてた自民党
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-819.html
2012.12.16 ( Sun ) 12:00:00

この記事に、まず「24,800円」さんがつけたコメントに、akira.sさんという人が返事をしています。このakira.sさんのコメントへの賛同を込めて、記録しようというのがこの記事の目的です。問答がわかるように「24,800円」さんのコメントからまず引いておきましょう。


■http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-819.html#comment
左翼活動家
2012.12.16 ( Sun ) 22:38:25 | 24,800円

左翼活動家がなぜ「愛国」を叫ばないのか?本気で政権を取りに行こうとするならば反体制・反愛国の材料ばかり並べて批判してもダメだ。本当に日本を社会民主主義的な国家にしたいならもっと愛国的に見せる工夫が必要なのではないか。反日活動家が左翼の皮を被っていると一般市民に思われてしまっている。

戦後日本に政権を担った右派政党などは存在していない。他国から見たら自民党ですら「中道左派」政党だ。その旧自民党ですら景気の低迷と民主党政権の反動で「中道右派」(主観的過ぎるので議論の意味はないが、皆さんは極右に見えているようだ)政党になってしまった。反日・反体制ばかりの左翼活動ではもうダメだ。これからは「愛国左翼」を訴えるべきである。「愛国」に抵抗があると感じるなら、それは左翼ではなく反日活動家なのだ。反日では国民の信は得られない。今後の左翼の奮闘を期待する。

(転載ここまで)

「左翼」という言葉は、たとえばフランス語の"gauche"という言葉に比べると日本ではかなり恣意的(しいてき)な使い方、あるいはでたらめな使い方をされていると私は感じているので、私がこのようなコメントを読む時にはそこを私は割り引いています。読み替えるとすれば、日本では「左翼」の部分を、「自民党や『愛国勢力』が攻撃の対象にしている相手の総称」と読み替えるでしょう。

それはともかく、これに対するakira.sさんの答えを私は気に入っています。次の通りです。


■http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-819.html#comment10364
24,800円さん
2012.12.28 ( Fri ) 10:50:13 | akira.s

左翼がなぜ「愛国」を叫ばないか?
理由は簡単です。
左翼は全世界が共に幸福である事を必要とする「世界市民」「地球市民」だからですよ。
自分達・自国のみ繁栄すれば他国はどうでもいいという“一国幸福主義”ではないんです。
アベシはこの「地球市民」「世界市民」がお気に召さないようですけど(「“あなたは何人ですか”と問われれば“日本人”とか“アメリカ人”と答えるだろう、“地球市民”なんて答える奴はいないはず」と発言した前科あり)

(転載ここまで)

なぜ私がこのakira.sさんの答えを気に入ったかというと、私が批判したくなる相手は、「全世界が共に幸福である事を許さず、自分あるいは自分の身内だけが他人の犠牲の上に幸福に、あるいは裕福になろうとする」人間や勢力や思想だからです。

私が幸福を願う相手は、同国人だけではなく、他国人も全世界も入ります。「愛国」が自国と自国民の幸福を優先的に願う行為や思想であるならば、私の願いはそれをはるかに超えています。私は、自国と自国民だけではなく、他国と他国民の幸福をも分け隔てなく同時に願うのです。

私が求めるのは、他国や他国民の幸福を願うふりをしながら自国と自国民あるいは自分の身内だけの幸福を願う裏表のある詐欺的な願いではありません。私が求めるのは、全世界が共に幸福である事を本当に裏表なく純粋に正直に率直に願うことです。

「全世界の幸福を願うこと」と「愛国」を比べた場合、前者の方が適用範囲が広いですから、私は前者に高い価値があると確信しています。だから、わざわざ高い価値のあるものを捨てて、それより適用範囲が狭くて弊害の大きい「愛国」に乗り換える気持ちはないのです。

私が「愛国」を叫ばない理由はそういうことです。


さて、『弊害の大きい「愛国」』と書いたのですが、それについて疑問を持った方もいるかもしれません。あるいは、これだけではまだ読み足りない方がいるかもしれません。そういう方がいれば、「愛国」についての一節を含む内田樹氏の次の二つの文章がよろしいかと思います。(強調字体は私です。全文はリンク先で。)「愛国」についての多くの人の思い込みを崩してくれています。すでに読んだことがある方は飛ばしてもけっこうですが、まだ読んだことがなければ一読をおすすめいたします。


●内田樹の研究室
■愛国について語るのはもうやめませんか
http://blog.tatsuru.com/2007/06/20_1056.php
2007年06月20日 10:56

(前略)

というのは、ほとんどの「愛国者」の方々の発言の大部分は「同国人に対するいわれなき身びいき」ではなく、「同国人でありながら、彼または彼女と思想信教イデオロギーを共有しない人間に対する罵倒」によって構成されているからである。

(中略)

人は「愛国心」という言葉を口にした瞬間に、自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。
私はそのことの危険性についてなぜ人々がこれほど無警戒なのか、そのことを怪しみ、恐れるのである。
歴史が教えるように、愛国心がもっとも高揚する時期は「非国民」に対する不寛容が絶頂に達する時期と重なる。
それは愛国イデオロギーが「私たちの国はその本質的卓越性において世界に冠絶している」という(無根拠な)思い込みから出発するからである。
ところが、ほとんどの場合、私たちの国は「世界に冠絶」どころか、隣国に侮られ、強国に頤使され、同盟国に裏切られ、ぜんぜんぱっとしない。
「本態的卓越性」という仮説と「ぱっとしない現状」という反証事例のあいだを架橋するために、愛国者はただ一つのソリューションしか持たない。
それは「国民の一部(あるいは多く、あるいはほとんど全部)が、祖国の卓越性を理解し、愛するという国民の義務を怠っているからである」という解釈を当てはめることである。
そこから彼らが導かれる結論はたいへんシンプルなものである。
それは「強制的手段を用いても、全国民に祖国の卓越性を理解させ、国を愛する行為を行わせる。それに同意しないものには罰を加え、非国民として排除する」という政治的解決である。
その結果、「愛国」の度合いが進むにつれて、愛国者は同国人に対する憎しみを亢進させ、やがてその発言のほとんどが同国人に対する罵倒で構成されるようになり、その政治的情熱のほとんどすべてを同国人を処罰し、排除することに傾注するようになる。
歴史が教えてくれるのは、「愛国者が増えすぎると国が滅びる」という逆説である。

(中略)

あなたの身近にいる「自称愛国者」の相貌を思い出して欲しい。
彼らのもっともきわだった感情表現はおそらく「怒り」と「憎悪」であり、それはしばしば彼ともっとも親しい人々、彼がまさにその人々との連帯に基づいて日本国全体の統合を図らなければならない当の人々に対して向けられている。
私はそのような性向をもつ人々がいずれ国民的統合を果たし、国民全体にひろびろとゆきわたるような暖かい共生感をもたらすであろうという予見には与しない。
憎悪から出発する愛などというものは存在しない。
排除を経由しなければ達成できない統合などというものは存在しない。
自分に同意しない同国人を無限に排除することを許す社会理論に「愛国」という形容詞はなじまない。
それはむしろ「分国」とか「解国」とか「廃国」というべき趨向性に駆動されている。
そういうお前は愛国者なのか、と訊かれるかもしれないから、もう一度お答えしておく。
そういう話を人前でするのは止めましょう。
(後略)


■教育基本条例について
http://blog.tatsuru.com/2011/08/22_1258.php
2011年08月22日 12:58

(前略)
維新の会の提言している一連の教育改革は「効率的な上意下達組織の形成」にある。
素案には、「我が国及び郷土の伝統と文化を深く理解し、愛国心及び郷土を愛する心に溢れるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てること」という基本理念が掲げてあるが、これを書いた人は別に愛国心や郷土愛を高めたいと切実に思っているわけではないだろう。
私が経験的に知っているのは、「愛国心」とか「郷土愛」ということをうるさく言う人間に、同胞や同郷者に対する寛大さや愛情の深さできわだつ人間を見たことがない、ということである。
彼らはむしろ「愛国心のない人間」や「郷土愛を欠いた人間」をあぶり出して、彼らを攻撃し、排除することの方に興味がある。
ほんとうの愛国心というのは、その人間がどんな政治イデオロギーを信じていようが、どんな宗教を信じていようが、どんな道徳律に従っていようが、「同国人である」というただそれだけの理由で「思わず抱きしめたくなる」という感情に依拠しているはずである。
そのような身体実感の上にしか、持ち重りのする愛国心は築かれない。
「非国民」とか「売国奴」というようなフレーズを軽々しく口にする人間は、同胞の数を減らすこと、つまり彼らの愛国心発露の機会を減らすことに熱心なので、私はそういう人間を「愛国者」には算入しないのである。
だから、こんな文言を条例に書き入れたら子供たちの愛国心や郷土愛が高揚するとほんとうに起草した人間が思っているなら、彼の知性にはかなり問題があり、このような条項を書き入れておくことで、学校において「非国民」や「売国奴」のあぶり出しがやりやすくなると思ってそうしているなら、彼は愛国心に大きな問題を抱えている。
(後略)

(引用ここまで)






(付録)「ひまわり博士のウンチク」ブログより転載。
一つ前の記事で山上たつひこの『光る風』のことを書いたので、念のためにネットで調べると、下のような素晴らしい解説記事があったので、転載しておく。
特にその一節に紹介されている、

「安保条約が改定され、国防軍が米軍から基地を引き継ぎ、日本から米軍がすべていなくなったとき、米軍は遠隔操作によって日本中の兵器を自在にコントロールする機能を完成させていました。完全に、日本はアメリカの盾になっていたのです。しかし、その事実を知っているのは米軍の幹部だけ。日本人は軍の上層部も含めて、知っている人間はまったくいません。政府が米国の核の傘のもとに、ぬくぬくと安住し、言いなりになっていた結果でした。
 差別の拡大と軍需産業の強化。軍国主義へと泥沼にはまり込むようにのめり込んでいく日本。
 人々が絶望に打ちひしがれているとき、それに追い討ちをかけるように突然大地震が襲います。
 都市が破壊され、すべてが廃墟と化します。
 人々が何も考えることをやめたとき、ファシズムはいっそう強化されて、そこに“個人”はなく、あるのは兵隊の靴音だけでした。」


という日本の姿は、まるで今の日本を見ながら描写したかのようではないか。天才の、ほとんど予見力に近い、想像力の凄さである。





(以下引用)


2008/08/25


山上たつひこ『光る風』



マンガと侮ってはいけないすごい作品



●ギャグマンガ作家、山上たつひこの異色作
 山上たつひこといえば、ナンセンスなギャグマンガ『がきデカ』のほうがよく知られています。
 『光る風』はそれ以前の作品で1970年4月から11月まで週刊『少年マガジン』に連載されていました。
 ぼくが初めて読んだのは連載されていた時ではなく、後に上下二冊の単行本として朝日ソノラマから出版されたものでした。今は岩波書店にいる友人のK君が読んで、「これ、すごいから読んでみて」とぼくにくれました。
 「“山上たつひこ”って、『がきデカ』だよね」
 「ぜんぜん違うんだ、こんなのも書いてたんだね」
 読んだぼくは大変な衝撃を受け、それで機会があるごとに友人たちに薦めていました。そうやって何人もの間を貸し回しているうちに、とうとう行方不明になってしまったのです。
 古本屋で見つけたら買っておこうと思いつつ何十年かが経過。ぼくが最初にK君からもらった朝日ソノラマ版は、状態の良い本だと数千円の値がつくようになってしまいました。
 そこに、降って湧いたような復刊のニュース。しかも、単行本では編集者によって削除されたり改ざんされた部分を、最初の原稿通りに復元したとあります。
 矢も盾もたまらずに、買ってしまいました。

〈あらすじ〉
 物語は、ある村に突然、原因不明の奇形が多発し、多数の死者を出すところから始まります。ところが、原因を究明していた調査団は、未解決のまま突然手を引いてしまいます。
 しかも政府は、救済事業と称して、奇形児およびその家族を小さな島にとじこめてしまうのです。
 前の戦争が終わって30年たったこの時代、防衛庁は国防省となり、日本は再び国民統制がはじまっていました。国民はみな、国のために働き死ぬことを強制され、平和や自由を唱えるものは、特務警察によって拘束されたり、抵抗すれば射殺されます。
 シビリアンコントロールが崩壊し、力を持った軍部はつぎつぎに若者たちをインドシナ戦争に送り込むのでした。
 そんななかで、軍国主義の家庭に育った六高寺弦は父や兄の考えに抵抗し、ひとり家を出て別な生き方を始めました。
 兄の光高は徴兵され、“万歳”に送られながらインドシナ戦線へと出征していきます。
 徴兵された兄は、両手両足を失って除隊しますが、弦はその兄の負傷に疑いを持ち、それが、奇形児の多発事件と関係があることに行き着きます。
 中性子爆弾の秘密工場、化学兵器の研究。兄の負傷と奇形の村が弦の頭の中でつながりました。
 弦は特務警察から身を隠し、弦を慕う六高寺家のお手伝い“ゆき”と、小さなアパートでささやかな愛を育みますが、それも長続きしません。
 安保条約が改定され、国防軍が米軍から基地を引き継ぎ、日本から米軍がすべていなくなったとき、米軍は遠隔操作によって日本中の兵器を自在にコントロールする機能を完成させていました。完全に、日本はアメリカの盾になっていたのです。しかし、その事実を知っているのは米軍の幹部だけ。日本人は軍の上層部も含めて、知っている人間はまったくいません。政府が米国の核の傘のもとに、ぬくぬくと安住し、言いなりになっていた結果でした。
 差別の拡大と軍需産業の強化。軍国主義へと泥沼にはまり込むようにのめり込んでいく日本。
 人々が絶望に打ちひしがれているとき、それに追い討ちをかけるように突然大地震が襲います。
 都市が破壊され、すべてが廃墟と化します。
 人々が何も考えることをやめたとき、ファシズムはいっそう強化されて、そこに“個人”はなく、あるのは兵隊の靴音だけでした。
 そして、弦とゆきは……

●40年前は物語でも、現代では現実?!
 『光る風』を改めて読んで、40年近くも前に書かれたこの物語が、書かれた当時よりもずっと現実味を帯びていることが感じられ、ぞっとしました。
 防衛庁が防衛省(物語では“国防省”)になり、日本はいつの間にかアメリカ・ロシアに次ぐ世界第三位の軍事大国になっています。
 差別、格差、軍事力の強化、今の時代、いつ日本版「茶色の朝」が訪れてもおかしくありません。
 山上たつひこが描いた未来が、多少の違いはあってもまぎれもなく近づいている気がするのです。

 こんなすさまじいマンガが、『少年マガジン』という少年マンガ雑誌に連載されていたことも不思議だとおもいましたが、当時としてもかなり異色のことだったようです。
 ただ、この頃の『少年マガジン』や『少年サンデー』は大学生など、青年層の読者が多かったという背景はありました。
 しかし、当時若者であったぼくが読んで衝撃を受けたように、今こそ現代の若者たちに読んでほしいと思います。
 
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇








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