櫻井ジャーナルさんのサイトより
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201512240000/
<転載開始>
 67年前の12月23日、7名の戦犯が巣鴨拘置所で処刑された。このうち「A級(平和に対する罪)」が理由にされたのは土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章、東条英機の6名、松井石根は1937年12月に南京を占領した際に行われた虐殺などの責任を問われての処刑、つまり「A級」ではない。そして処刑の翌日、クリスマス・イブに岸信介、児玉誉士夫、笹川良一を含むA級戦犯容疑者19名が巣鴨拘置所から釈放された。翌年の3月にGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)は極東国際軍事裁判の打ち切りを決定している。

(中略)

 1948年12月24日に釈放された戦犯容疑者はCIAと深く結びつき、現在に続く。特高や思想検察の人脈は戦後も生き続け、マスコミの責任も問われなかった。極東国際軍事裁判が「戦争犯罪」を裁くことが目的だったとするならば、起訴しなければならなかった多くの人が不問に付されているのはさらに奇妙な話だ。1933年にアメリカでフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任する前の日米主従関係を復活させるための儀式にすぎなかったという見方もある。