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徽宗皇帝のブログ

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「話せば分かる」か「問答無用」か
毎日のように記事を書き、しかも実はブログを現在4つほどやっている(「酔生夢人のブログ」以外は、おふざけブログや記事保管倉庫用ブログだが)ので、自分の書いた記事をどこに出したかさえ忘れがちである。下の記事は少し前に書きかけた記事だが、まだ完成していないのだから、たぶん公開はしていないものだろう。
今日は特にほかに引用したいような記事、話題にしたいような事件も無いので、書きかけのこの記事を題目とする。「明日のために」シリーズの総括(悲観的な面だけの総括だが)にもなりそうだ。

なお、パソコンが(まだ買って数年だが)耐用年数切れになりそうな兆候があるので、これが壊れたら、そこですべてのブログは終了するかもしれない。
今は、パソコンは値下がり気味だが、それでも新しいものを購入するほどの懐の余裕は無いからだ。ネットをすることさえ贅沢すぎるくらいだが、これは家族も使うので、私の一存ではやめられないのである。
とにかく、さまざまな公共料金が高すぎる。まあ、「生存税」を毎月4、5万円取られているような気分である。世間の有能な人間は出費以上に稼ぐことに努めるのだろうが、年寄り(基本的に、老人とは身体障害者である)や体に故障のある人間には、できる仕事は限られている。そのために年金制度や生活保護制度があるのだが、今後はそうした福祉予算が削減されていくことが予想されるので、まずは「金を使わない算段」をするしかないわけである。
というわけで、或る日突然、私のブログの新規記事が載らなくなっても、それはただパソコンが壊れただけの可能性が高いので、ご心配は無用である。
という前置きで、本題に入ろう。




これからの政治の方向について、「長周新聞」記者座談会の末尾に示唆的発言があるので、下に引用しておく。
ここにはそこまで明言はされていないが、いわば、議会制民主主義の否定、直接民主主義の推進、というのがここで示唆されているのではないだろうか。そしてそれは当然政治形態と政府機構を根本的に変えることになる。そこまで行かないと、この日本を救うことはもはや不可能かもしれない。
下記記事では平和な大衆行動で政治が変えられるという希望的観測があるようだが、はたしてそうだろうか。古臭い比喩で恐縮だが、歌声喫茶で肩を組んで大衆闘争歌を唄えば世の中が変わる、というものではないだろう。
日本が属米のままで行くということは、日本の永遠の窮乏化が続く、ということだ。それだけではない。その強権支配の強化は、今回の選挙で明らかになったのである。
井口博士など、自民党を選ぶということは、属米主義者になり、日本人としての誇りを失ったのか、と見られても仕方がないだろう。今回の選挙が米国の意思どおりの結果であるのは明らかなのだから。いくら日本が非日本人(在日朝鮮人)に支配されるのは嫌だ、と言っても米国の奴隷であることを選ぶのもおかしいだろう。いや、この二つは同一なのであり、現民主党と自民党は同じ穴の狢であることはネット知識人(まあ、それほど大袈裟なものではなく、ネットで政治ブログを読むほどの人は皆そうなのである。)なら誰でも知っているはずだ。
要するに、今回の「自爆テロ解散選挙」は、民主党から自民党に大政奉還するための、形だけの選挙であり、最初から当選者は決まっていた、というのが真相だろう。だから私は今回の選挙を「12月16日事件」と呼んでいるのである。これは「9.11事件」と並ぶ壮大な政治詐欺事件である。もちろん、ただの個人の感想、または妄想だ。(笑)
さて、そのように選挙さえも勝手に操作されるならば、もはや政治に一般国民が関与するのは不可能である。つまり、政治家と官僚が結託して、自分たちの好きなように政治を進めていくわけだ。もちろん、これまでもそうではあったのだが、選挙という歯止めがあった。これからは選挙も無効になるわけだ。
とすれば、これは「議会制民主主義」の終焉である、ということになるだろう。議会と内閣(政府)が、国民の敵になった、と言ってもいい。
そうなると、後はアルカイダの日本版が現れて「日本の春」という民主化革命を起こすのを期待することになるのか?(笑)それとも日本版ヒトラーのもとに、国民を締め上げて不平不満が言えない社会にするのか?
いや、笑い事ではない。選挙そのものの操作という禁断の手段にまで手をつけられては、国民が行える民主的手段は、もはやほとんど無いのである。
私は言論の有効性を信じる者である。
人間は信念によって行動し、その信念は言語で作られる。
だから、あくまで言論と選挙での投票行為で戦うことをこれまで主張してきたのだが、ネットでの言論が弾圧され、選挙は不正に操作される、となれば、もはや打つ手は無い。もちろん、これはまだただの危惧にすぎないが、日本の未来がテロの巷にならないように祈りたいものである。
以上、ある意味では「明日のために」シリーズの悲観的総括である。まあ、もっと楽観的・向日的・建設的な総括は、そういう気分になった時にやりたい。


なお、今回の記事タイトルは「2.26」だか「5.15」だかのテロ事件で、青年将校に斬られそうになった重臣と青年将校の問答である。
「もはや問答無用!」となれば、日本は血の巷である。そうならないようにするのが、政治の責任だ。それは強権弾圧をすることではない。民衆の意思を政治が汲み上げることである。まずは、今回の選挙の究明を政府有志自ら行うことが、その第一歩だろう。




(以下引用)



B 安倍政府の発足だが、さっそく憲法改正のための発議要件を衆参の3分の2以上から過半数に引き下げるといったり、尖閣問題、原発問題などで暴走する兆候にある。ファッショ化の流れだし、日中戦争に突き進んでいった時期と同じ大政翼賛会だ。だが、強権を振りかざせばかざすほど孤立を深めていくほかない。

 戦争阻止する勢力結集 人民奉仕の立場要に

 D 「革新派」のなかには、この選挙結果を見て暗くなり、意気消沈して自滅していく流れもある。「怖い」といって穴にこもっていく。ここが戦前に乗り越えられなかった分岐点だ。戦前の共産党はインテリが多かったが、大衆と結びつくことができず、敵の弾圧のなかで消滅した。大衆が一番困っているときにその役割を果たすことができなかった。一方の中国では侵略者のアメリカも日本軍も叩き出して全土を解放した。この違いは「人民に奉仕する思想に立って、大衆の先頭に立って敵とたたかう」という大衆路線を進むかどうかだというのが、福田正義・本紙主幹の戦後出発だ。大衆の側はジタバタしていないし、選挙の結果も冷静に受け止めており、統治機構の基盤は完全に崩壊している。社会の主人公は人民大衆であり、その基盤を失ったらいかなる支配権力も支配を維持できないことは歴史が証明している。
 G この間の下関の市民運動でも、広島、長崎での原爆展、原水爆禁止運動にしても、市民や被爆者、青年たちの大衆の情勢評価は非常に明るい。私心を捨てて全市民を代表し、広範な大衆と結びついていけばすごい反響があるし、この方向でいけば必ず勝利できるという確信を持っている。大衆はたたかうなかで団結が深まるし、どんどん明るくなっていく。教育運動をはじめ、原発再稼働反対、TPP反対の全国的な世論と行動が広がっているし、米軍再編反対の基地撤去斗争も強固なものになっている。「人民に奉仕する」の思想に徹してこれを束ねていく政治勢力の結集が期待されている。
 司会 今回の総選挙結果は、そういう意味で非常に深遠な内容を持っている。親米売国のオール翼賛政治と人民大衆との対立関係が非常に鮮やかに示された。アメリカの支配からの独立を要とした平和、民主、平和、繁栄の日本社会を建設する巨大な人民斗争が巻き起こっていく条件が非常に高まっていると思う。





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