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徽宗皇帝のブログ

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「近代国際法」の闇
「混沌堂主人雑記」所載の「東洋経済オンライン」記事の一部で、筆者は小原泰という人らしい。初耳の名前だが、かなりの教養人であることが、記事内容から分かる。ただし、教養人=的確な判断が可能とは限らないのは言うまでもない。私など、たいていは「顔で判断する」www
公のディベートなどは「他者や善や礼儀への遠慮を知らない」悪党のほうが上手いのである。理屈や論拠はいくらでも捏造できる。討論の場ではまともな理屈と屁理屈の区別は困難だし。
しかし、政治での立案と行動においては教養と政治哲学は必須だろう。もっとも「勝てば官軍」が政治哲学という連中もいる。どこの維新だとは言わないが。


(以下引用)記事後半には異論があるので、私が価値があると思った部分のみ転載する。
我が国がこだわる「法の支配」というフレーズはどこからきているのか。その淵源を探ると、「万国公法」にいきつく。
最後の宗教戦争・三十年戦争(1618~1648年)の講和条約ウェストファリア条約をはじめ、いくつもの戦争、講和を積み重ねた末に国際慣習法として欧州で確立した一定のルールが万国公法だ。ウェストファリア体制下で、各国は主権国家として完全独立、内政不干渉、対等な外交関係という大原則を定めた。この大原則が近代国際法の鋳型となる。
すべての国は「対等」ではなかった
アメリカの国際法学者ヘンリー・ホイートン(1785-1848)は1836年、国際法を集大成した主著『国際法原理』を刊行した。同書はアヘン戦争(1840)後、欧米諸国の脅威に直面した東アジア諸国で翻訳紹介された。アメリカ人宣教師ウィリアム・マーティンが漢訳して刊行した本のタイトルが『万国公法』(1864)である。
この書物を勝海舟や坂本龍馬ら幕末の志士たちも手に入れていた。『万国公法』に触れた日本の志士たちは、日本も近代化を急いで文明国にならねばならないとの思いを強くした。それが明治維新、富国強兵の原動力の一つになってゆく。
ところで、『万国公法』が掲げた「主権国家は対等」という原則を西洋諸国はすべての国に適用したのだろうか。答えは否である。
イギリス・エディンバラ大学教授の国際法学者ジェームズ・ロリマー(1818-1890)は、西欧諸国がアフリカの分割、植民地化を進めていた時代に国際法の適用範囲を整理している。主著『国際法原理』においてはウェストファリア体制下の人類を3つに分けた。
①文明国(civilized):欧米諸国
②未開国(barbarous):ペルシア、中国、タイ、日本など
③野蛮国(savage):アフリカ諸国など
上記分類のうち、①の文明国には国際法はフルスペックで適用されたが、②の未開国には部分的にしか適用されなかった。③野蛮国については、そもそも国際法が適用されず「無主の地」と判定され、文明国によって支配されるべき対象となった。
近代国際法は「先占の原則」(早期発見国が領有権を有する原理)を特徴の一つとして持っていたので、西欧諸国にとって『国際法原理』は植民地獲得競争のルールにもなった。
かように近代国際法は、その適用を「文明国」と「それ以外」に分ける選民思想の産物だった。これを「近代国際法の二重原理」すなわちダブルスタンダードと呼ぶのである。
東アジアにおいて、この条約体制の最初の犠牲となったのが中国最後の王朝・清朝で、アヘン戦争後、イギリスとの間で締結された南京条約(1842)は不平等条約そのものであった。開国した日本がアメリカと締結した日米修好通商条約(1858)が「領事裁判権の承認」 と 「関税自主権の欠如」という不平等条約であった理由もここにある。
だが、日本には万国公法や欧米諸国の植民地主義、帝国主義に疑義を投げかける人物もいた。たとえば西郷隆盛(1828-1877)である。西郷は『南洲翁遺訓』(1890)の中で、次のように記している。
「文明というのは道義、道徳に基づいて事が広く行われることを称える言葉である。(中略)もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、いつくしみ愛する心を基として、よくよく説明説得して、文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、開発途上の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮である」
「文明国」と認められることへの違和
日本を「野蛮国」だと見下してきた欧米諸国の日本をみる目が変わるきっかけになったのが日清・日露戦争の勝利だ。日本を「文明国」と認め、不平等条約の撤廃に応じた。西洋的な見方を国際基準として妄信することを拒否した思想家・岡倉天心(1863-1913)は、『茶の本』(1906)で、このように書いている。
「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮(さつりく)を行ない始めてから文明国と呼んでいる。(中略)もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」

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