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徽宗皇帝のブログ

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あなたを動かしているのは何か
「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。(前に、うっかり「社長室秘書課広報室」と書いたことがある。どうも私には「秘書」イコール社長秘書というイメージがあるようだ。)
或る、元ネット右翼の告白、といった内容だが、ネット右翼の心理の最大公約数がここにあるのではないだろうか。見事な心理分析だと思う。
筆者は自分を馬鹿だと謙遜しているが、馬鹿どころではない。ここに挙げられた3点はネット右翼の心理を端的に示しており、非常に有益である。

① 被害者意識。
② 自分が日本人であるという優越感(特に韓国人に呆れるという見下した感じ)。
③ マスコミ報道では知りえない情報をネットで知ったという「情報通になった気分」。

この心理は、③を除けばネット右翼だけではなく、ほとんどの日本人の心の底にあるのではないか。つまり、ネット右翼はまさしくネットが生み出すものであり、それ以前に、ほとんどの日本人はそうなりがちな体質(国民的性格というか、気風というか)を持っている、ということだ。
要するに、判断の根底が「上か下か」なのである。
下の者は自分より下がいることで自分を慰める。そして、「本来自分より下であるはずの者」が自分より上にいくと猛烈な怒りと嫉妬を感じる。
もう一つの問題は「国と自分の同一視」である。たとえば羽生ユヅル君が見事な演技をしようが金メダルを取ろうが、それは見ている人間とは無関係である。しかし、それをまるで自分の成果のように嬉しがり、誇らしい気持ちになるのは「自分と彼は同じ日本人」だからである。では、彼が(これはまったくの仮定だが)実は在日朝鮮人だったとすれば、その歓喜や誇りは消えてしまうのか。彼の演技を見た時の感動は「嘘の感動でした」となるのか。
私自身は日本の文化と伝統と自然を愛する者である。日本に生まれたことを幸福に思い、日本以外の国に住みたいとはまったく思わない。しかし、自分自身と日本とを同一視はしない。だからこそ、日本のすべてのことに対し、是は是、非は非として判断し、発言するのである。そこがおそらくネット右翼と私の基本的な違いだと思う。
なお、自分自身を客観視できないことがネット右翼の根本病理だと思う(下の文章の筆者はそこから脱却したが)ので、私が何度か書いている名言をもう一度書いておく。これを肝に銘じておけば、馬鹿な行動の大半は防げるはずである。

「自分自身ほど信じられないものがこの世にあるか!」(by横島忠夫@「GS美神」)




(以下引用)



当時に考えていたことをまとめると3種類に分類できると思います。
① 被害者意識。
② 自分が日本人であるという優越感(特に韓国人に呆れるという見下した感じ)。
③ マスコミ報道では知りえない情報をネットで知ったという「情報通になった気分」。
1に関して言えば「韓国人というよくわからない人」が海外で日本人の悪口を言いふらしている(主に歴史問題)。また日本の文化を勝手に韓国の文化として書き換えている。だから日本人として許せない!といった感覚です。この2点は「強烈に自分の何かを奪われる感覚」を覚えました。
いわゆる「在日特権」についてはあるかも知れないけど…よくわからないから深く考えないという感じでした。正直、不思議と気にならなかったです。
2に関して言えば、「歴史の浅い韓国に生まれると日本をうらやむんだ…。」「韓国に生まれなくてよかったな」という特権意識を感じました。日本人に生まれたことに感謝する感覚(愛国心)よりも「韓国人として生まれるのに比べて、まだ日本に生まれたことのほうがよかったなぁ」という感覚でした。
特に「韓国経済崩壊」とかいう文字を見るたびに、日本も「不景気」と言われてるけど…まだ日本のほうがましじゃないか、韓国人が困っている姿を見るのは楽しいな、自分とは関係ないしと思っていたことを覚えています。対岸の火事を楽しむ感覚でした。

(中略)

そしてなにより大事だと思うのは…。当時の自分は、韓国人、あるいは在日韓国・朝鮮人の方々は、宇宙人みたいなものだという認識であったことです。

(中略)

ゆえに韓国人や在日の人の悪口をいくら見ても他人事だったわけです。他人事な以上、今でいう「ヘイトスピーチ」的な書き込みをネットで見ても、少しひどいな…と思っても所詮他人事じゃないかと感じました。
むしろ、自分が日本人であり、そうした言葉を投げつけられない立場であることがうれしかったと覚えています。
自分と関係のない喧嘩、ないしいじめを見ている感じだったでしょうか…。そこに「争い」というスリリングなものを感じて少しの快感を得ることはありましたが…「自分とは関係ない」と思っていました。自分とは関係のない人がいくら傷つこうが知らないと真剣にあの頃、そう感じていました。
ですから、ネットの書き込みで「人が傷ついているという事実」を考えようともしなかったし、だいたい他人事ですから、自分が快感をもっと得るためにやりたきゃやればいいと、とらえて、こういう書き込みをむしろもっと見たいとさえ思っていました。
今思うと、間違っていたな自分と思います。後悔していますね。


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