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徽宗皇帝のブログ

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たとえCIAに殺されても
「つむじ風」ブログ経由で、植草一秀の文章である。植草氏のブログは正論が多いのだが、固い文章なので、あまり読まない。しかし、この文章は、大いに我が意を得ている。特に鳩山、小沢に対する評価は、まさしくその通り、と言いたい。
鳩山をルーピー(馬鹿)呼ばわりした馬鹿が自民党にいたし、「きっこのブログ」のきっこ氏もしばしば鳩山を馬鹿呼ばわりするが、安全な外野席にいて他人を批評するのは誰にでもできる。この無知無学な私でさえできる。しかし、何度も言うように、「米国に不利な言動をすれば死が待っている」という状況で、いかにして無駄死にをせずに自分の目的を達するか、という危険な綱渡りを彼らはやっているのである。これまで、米国に不利な言動をして不審死を遂げた政治家・ジャーナリストを数えあげればきりがないはずだ。
そういう視点の無い政治評論は、それ以外の点がどれほど良くても、日本の政治評論としては落第だと私は思っている。
亀井静香が「たとえCIAに殺されても自分は郵政民営化に反対する」と言ったのは、郵政民営化が米国の指示による売国政策であったからだが、「CIAに殺されても」というのが、日本の愛国・憂国政治家がいかに厳しい道を歩いているかを示しているのである。


(以下引用)




内閣不信任決議案提出をめぐる動きから、菅直人氏の辞意表明、不信任決議案否決、菅直人氏の続投意向表明、鳩山前首相の憤りまでの経過について、多くの言論人が、さまざまな見解を示してきた。
 
 とりわけ評価が分かれたのは、鳩山由紀夫前首相の行動についてだ。
 
 一部には、鳩山氏が菅-仙谷サイドに立って行動し、小沢一郎氏が騙されたとの見解も登場した。 
 
 私は、一貫して、鳩山由紀夫氏の行動を評価する立場で推移を見守った。そもそも、鳩山由紀夫氏が不信任決議案に賛成の意向を表明していなければ、菅直人氏退陣の可能性は極めて低かった。ここで菅直人氏が延命すれば、少なくとも2012年秋の民主党代表任期満了、あるいは2013年秋の衆議院任期満了まで菅政権が持続する可能性さえ生じていた。
 
 そうなれば、日本政治は完全に米国と霞が関の思うままに支配されることになっただろう。消費税大増税が強行実施され、沖縄は引き続き、米軍支配下に置かれ続けることになったはずだ。
 
 鳩山前首相が熟慮の末、内閣不信任決議案に賛成の意向を示したからこそ、政局の急展開が生まれうる土壌が整ったのである。
 
 しかし、大きな問題がひとつあった。それは、菅直人氏が狂気の解散総選挙に突き進む可能性が存在したことだ。被災地、そして被災者の立場を考えれば、あり得ない選択であるが、菅直人氏は民主党執行部に解散総選挙の可能性を強く示し、枝野幸男氏や安住淳氏などは解散総選挙を進言すると公言していた。
 
 現局面で総選挙を行えば、民主党が大敗することは明白だ。結果的に自民党が議席数を激増させるはずだ。日本政治は、完全に2009年8月以前に戻ってしまう。政権交代を実現した意味が水泡に帰する。
 
 ここは、解散をせず、首相を交代して、民主党がもう一度、2009年8月の政権交代出発時の原点に戻ることが何よりも重要なのである。
 
 民主党内で主義主張の完全に異なる二つの勢力は、いずれ、袂を分かつ必要があるだろう。しかし、いまこのタイミングでの解散総選挙は、日本政治の時計の針を大きく逆戻りさせることになるのである。
 
 そこで、鳩山由紀夫氏は、内閣不信任決議案によらない菅直人氏退陣の道筋をつける方策を模索したのである。菅直人氏の自発的辞任である。
 
 そして、結果的には、その方向で事態が大きく動き出した。
 
 しかし、だからと言って、日本政治が直ちに米・官・業の支配から抜け出せるというわけではない。主権者国民勢力と悪徳ペンタゴンとの死闘を乗り越えなければ、主権者国民による日本政治支配は確立しない。


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