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徽宗皇帝のブログ

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またしても繰り返される歴史
久し振りに山科恭介氏のブログからの転載である。
これを転載した意図は、下記記事中にある菅総理の

「そんなことは、判ってる! だが、それをしたら、国家が保たないんだよ!」

という発言にある。

「国家が保たない」とはどういうことか。

彼が言う国家とは何か。政府のこの対応によって時々刻々と国民の間の放射能被害が拡大し、無数の若者や子供たちが死に追いやられている状況で、守るべき国家とは、いったい何を意味しているのか。

国家とは国民であって、政府のことではない。

菅総理の頭にあるのは実は国民ではなく、現政権と官僚組織の生命維持でしかない。その生命を維持するためなら、国民など何万人死んだってかまわないというのが本心だろう。

これは太平洋戦争末期の軍部や参謀本部の発想とまったく同じである。広島や長崎であれほどの死者が出ながら、彼らはまだ降服勧告を受け入れなかった。それを受け入れれば「日本の国体」が失われるからである。だが、その「国体」とは、天皇中心の国家体制に寄生して生きている官僚や軍部や政治家や経済界のことであったのだ。そして、彼らが自らの失敗と敗北を認めることをいつまでも先延ばししていたために、沖縄が戦場となり、六十万人の住民の5分の一が死んだ。
福島は、それとまったく同じである。国家による国民放棄だ。国家による国民殺戮である。沖縄との違いは、即座に血を流して死ぬか、これから緩慢に放射能障害で死んでいくかの違いだけである。


(以下引用)



野菜が放射能汚染され、幾つかのものが出荷停止と報じられてから、北関東の野菜は売れ行きが良くない。
私がよく行く神奈川の大手スーパーでも、シッカリと売れ残っている。
つい最近まで、か細いネギが1本130円もしたのに、昨日は、それはそれは立派な茨城県産のネギが、1本65円だ。
それでも売れない。
さすがに福島産は置いていなかったように思うが、茨城、栃木、群馬、千葉産の野菜は売れない。
店内を歩いてみると、野菜販売のシロウトの私でさえ、それが判る。

いくら政府や自治体が出荷停止野菜以外は大丈夫だと言っても、全ての野菜が放射能汚染されていることは明らかで、その数値も判らず、ましてや政府が今度の原発事故以降、暫定的に決めた数値など、誰も信じていないという証拠だ。

尚、私は、その1本65円のネギを納豆が食べたくて、買ってきたのだが、(笑)
日本の女たちは、政府が思っているほど馬鹿じゃない。

ところが、そんな福島産の野菜を福島県はなんと、学校給食で子ども達に食べさせているそうだ。
何ということかと思うが、これもまた、いつもの日本のやり方なのだろう。
国家の行く末を真面目に考えれば、子ども達が放射能汚染されたものを食するということがどういうことなのか、判らないはずがない。
にも関わらず、そんな愚行をやってしまっている国家に我々は住んでいるのだ。

テレビを観れば、みな一様に多少の放射能は問題ないと言っている。
御用学者やコメンテータ達が国民に毒入り食物を摂取することを勧めている。
本来なら、それらは生産者から全て買い上げ、政府や事故を起こした東電が補償すべき問題なのだろうが、日本はそんな常識も通用しないようだ。

もう事態は前には戻らないのだから、これからどの様に対処するのが賢明なのかということを政府は考えているようだが、私の感覚からすれば、彼ら、政府、官僚、自治体は、「直ちに健康被害が及ばない」 ということを前提に、「未必の故意」 による思惑が存在する事は自明である。

菅首相は、ある人間からの質問に、こう答えた。
「徐々に危険地域を拡大していくのではなく、最初に大きく危険地域を設定して、安全なら
次第に狭めていくのが本筋ではないのか?」

「そんなことは、判ってる! だが、それをしたら、国家が保たないんだよ!」


放射能障害の一番の問題は、晩発性であるということだ。
これでは、因果関係を証明できない。
たとえ、福島原発事故からの放射能による障害が出て、ガンになって死んでも、全ては自己責任となる。
しかも、避難民に対する補償その他を政府も負担しなければならないと言い、それは取りも直さず、国民の負担、つまり税金でまかなうということであり、もう「泣きっ面に蜂」 状態だ。
そもそもカネを持ってない政府が負担などできるはずがなく、政府が負担するなどと誤魔化してないで、東電の不始末を国民のカネで解決する以外にはないとハッキリ言うべきだろう。
健康を害され、さらにこれからの生活も圧迫され、悲惨な日本国民・・・・

水俣病でさえ、その因果関係を認定するまで、あれだけの時間が掛かったのだ。
福島原発放射能汚染での被害者は、救われない。

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