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徽宗皇帝のブログ

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もはや何をか言わんや
「反戦な家づくり」から、記事の前半だけ転載。後半は「生活の党」応援記事なので、今の私にはあまり興味が無い。
前の衆議院選から半年間、生活の党やみどりの風は何をやってきたのか。
非常に厳しい言い方になるが、民主党という一応の大勢力であった存在を分裂させ、無力化させた以外には何もしなかったと言えるのではないか。
確かに、あの衆議院選挙の時点では、それは仕方が無い選択だったかもしれない。
だが、その後、何をしたか。
まったく彼らの活動は表に出てこないではないか。
自分たちの意識では、精一杯の活動をしている、と彼らは思っているだろう。
国会で政府を追及し、政府を攻撃し、市民活動と連帯し、などなど。
だが、それらの活動は、まったく表には出てこないのである。それは、「存在しないも同然」の虚しい努力でしかなかったのだ。
現代では、ニュース(報道されたもの)の作る虚像こそがリアリティなのである。
ウォルフレンの言う、「偽りのリアリティ」が、人々の中では本物の現実性を持っているのだ。したがって、「報道されない事実」は存在しないも同然、と考えるのが、これからの政治のスタート地点となるだろう。その意味では、生活の党もみどりの風もスタート地点に立つことさえできていない、と言える。マスコミを駆使し、ネット工作員を多数抱えて工作させている自民党とは天と地ほどの開きがある。
そして、もはや参議院選挙は目の前である。
今さら、このような政党に何が期待できるのか。
私はもはや(共産主義というイデオロギー抜きで、という条件付きだが)共産党にしか期待しないだろう。
だが、下に書かれた内容は広く拡散するべきだろう。
今の自民党政権(そして背後のジャパンハンドラーズや経済界)の傲慢な高笑いが聞こえてくる。



(以下引用)




あまり話題にならないが、テレビニュースでこんな場面が流れた。

安倍晋三が閣僚会議(たぶん)の冒頭で、ニヤニヤしながら「先ほど問責決議が通りました」と報告すると、居並ぶ閣僚が一斉に ワハハハハと大爆笑するのである。

ここにコイツらの本性が端的に表れている。憲法違反の出席拒否を責められ、仮にも国権の最高機関である国会で決議が採択されたことに対して、ワハハハハ の大爆笑である。

死ぬまで働けと公言しながら、本当に死んでしまった社員の遺族とは面会もしないような大会社の長を目玉候補にした自民党。

原発が爆発し、穴が空き、放射能が漏れ続けているにも関わらず、次々と再稼働をさせると言う自民党。

除染してもほとんど効果がないと見るや、もう予算がもったいないから、高線量でも我慢しろ、自分で勝手に管理しろという自民党。

しかも、線量が高くても避難区域は解除するから、帰りたくなければ帰らなくてもいいけど、補償は打ち切りだ!と宣告する自民党。

国民の権利など片腹痛い、いちいち踏みつけるのは面倒だから、憲法ぶっ壊して一網打尽に国民ならぬ国奴にしてやると画策する自民党。

不平等条約(TPPともいう)で、日本中の権利も資産もぜ~んぶご主人様に献上だ と息巻く自民党。

コイツらとの闘いの場、参議院選挙が近づいてきた

■■

本当にヤバイのは、自民党はこうした悪行を公言していることだ。

かつては、悪政は隠しておき、選挙が終わってから騙し討ちにするというのがお決まりのパターンだった。
何回も騙される方も騙される方だが、それでも ウソつき と責めることはできた。

ところが、3.11で全てが変わってしまった。

3.11をきっけかに、国民も堪忍袋の緒が切れて、どん底から良い方向へと日本も変わっていくかと思われた。
しかし、結果は・・・ 逆だった。

原発が全国民注視のなかで爆発し、放射能が頭上に降り注ぎながら、実際に抗議に立ち上がったのはわずかに20万人。

しかも、その指導者は警察に従順で、警備車両に乗り込んで 「時間ですから解散して下さい」とアナウンスする。

爆発した原発を見て、再稼働させると暴動でも起きるのではないかと心配していた原発村の鬼たちは、この温和しい国民を見て、腹を抱えて両手両足をバタバタさせて大笑いしていたことだろう。

なーんだ。心配しすぎて損したぜ。
日本人は、ここまでされても怒らないんだ。
わはははは

これ以降、当時の民主党も、後を襲った自民党も、もう隠す必要はない と悟った。
そして、彼らの読み通り、12月の総選挙では自民党が圧勝した。

やつらは、これで確信した。
もう、国民に配慮する必要なんて、これっぽっちもない と。

■■

ここまで貶められた国民は、世界中でも珍しい。
独裁国家、暴君、世界に色々いるけれども、彼らは実は国民を怖がっている。
怖がっているから、暴力的に弾圧するのである。

日本は為政者が優しいから軍事独裁をしていないのではない。
国民が温和しすぎて、何をしても怒らないから、独裁する必要がないのだ。










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コメント

1. 変遷する宗教

 題:キリスト教は、変遷に変遷をして行く宗教。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は、変遷に変遷を重ねて行く宗教です。
 そうせざるを得ない宿命を持っています。
 その様な質なのです。
 イスラエルの人々は、昔から「ヤハウェの神」を信仰していた
のではありません。
 「ヤハウェ・ヤハウェ」と言うわりに、色々な神々が『信仰の
変遷』の中に居ました。今は、三位一体神。
 イスラエルの民も、結構、ふらふらと色々な信仰をしていたの
です。当然、今とは違う神々を信仰していました。
 「考える葦」。やはり人間のすることと言ってしまえば言えま
すが、イスラエルの民は、信仰の変遷の中にあった民族です。
 そこには、当然、「信仰の絶対性」は無いとしか言えません。
 しかし、その時どき、その時どきで、信仰の絶対性を信じ、他
の人々(異教徒)を、『その教義から殺戮する』という歴史の繰
り返しがキリスト教には数多くあります。
 たまたま、今の信仰になったのです。
 また、今までの経過から、この後どうなるか?とも、言えてし
まいます。
 キリスト教に、たまたま、なったのです。
 ユダヤ教を信じてた、そして、キリスト教に変遷し流れて来た。
 ユダヤ教に破門されたある派は、原始キリスト教にならざるを
得なかったのです。
 自ら望んでなったのではなかったのです。
 ユダヤ教のままでいたかったのです。
 信仰の絶対性はこの時点でも『なかった』のです。
 あらゆる場面で、時とともに、その事情で、都合で、流れて来
たのです。
      (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
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