マドモワゼル愛さんのブログから抜粋転載。(記事の所在は「播州武公祠遍照院」さんのブログで知った。)
勝海舟が咸臨丸でアメリカを視察した後、幕府の偉い人から「アメリカはどうだった」、と聞かれて、「基本的には同じようなものだ。ただ、違うところは、あちらでは賢い人ほど上に行くようになっている点ですな」と答えて、相手に渋面を作らせた、という話がある。
太平洋戦争の戦史を少しでも調べた人間なら、日本の参謀本部がいかに馬鹿揃いで、馬鹿ほど権力を握る立場にのし上がったかを知っているだろう。その代表が辻正信だが、彼は自分の犯した数々の失敗の責任をまったく取らず、戦後には戦犯になることからも逃れて、代議士にすら当選している。日本の高級官僚というものの本性を示すサンプルのようなものだ。こういう、一見有能そうに見せかけるのに長けているだけの馬鹿が社会の上位に行く、というのは江戸時代から変わっていないようである。いや、現代の日本はもっと悪化しているのではないか。
ビジネスの世界でも、こうした「一見秀才、しかし根本的には大馬鹿」という人間たちがのさばっているように思われる。
コスト意識というのは、突き詰めると、死んだ方がいい、、、という結論になる。
まさに、その通りである。生きているからこそコストがかかるのだ。そうしたコストを削減したければ、「無駄な」人間は死んでもいい、という発想になる。
もっとも、偉い人々は、自分自身は無駄な存在だとは思っていないだろう。そして、無駄な人間は死んだ方がいい、と思っているのではないか。五輪は金になるが、災害救助など、無駄なコストだ、というわけである。福島原発の収束作業も然り。適当にお茶を濁し、世間の馬鹿どもを騙せばいい、というつもりだろう。
こうしたお偉いさん達こそが日本社会を毒する毒虫なのである。
(以下引用)*色字部分は引用者(徽宗)による強調。誤字などは、そのまま転載。
2014-02-17 15:48:22
コスト意識がもたらす死の世界
テーマ:ブログ
86,414 byte
山梨が非常に心配な状態にある。まだ奥地では閉じ込められている家や人、車があるはずで、想像力が多少なりとも働くなら、この事態が国家的な大事であることがわかるはずだ。
ただ、そのことが首相と政府にはピンと来ないらしい。オリンピックで忙しいのだろうか。
311の時もそうだったが、コンビニの水と食料はアッという間に売り切れた。
どこのコンビニもお店も余分な食糧などおいていない。何がどれだけ売れるからと、在庫を持たない運営が利益追求には必要らしい。
なのでいったん事が起きたなら、都心など一体どうなってしまうのか。政府も備蓄を奨励してはいるものの、本気度は少なく感じるし、守りよりも儲けが優先のようだ。
福島がああなっていてもまだ守りよりも儲けなのだから、なんだか人の性としか言いようがない。しかし、被害を受けている方はたまったものではない。
ひとそれぞれだなどとのんきに言えているうちはよいが、こうしたコスト意識が蔓延した結果、日本は災害や異変に極めて脆弱な国になっている。
東京など、いったん異変の渦に巻き込まれたら、創造するだけでも恐ろしい。金儲けが死と隣り合わせの時代に入ったのだ。
原発が安全となんでいえるのかがわからないが、イノチと引き換えに儲けたいなどと、一体、だれが思っているのか、、、本当にいるのか、そんな人間が。騙されているだけじゃないのか。
一杯の水に困るような事態に直面したら、効率やコストなどという意識は人の頭から簡単にすっ飛ぶ。自分が被害者じゃないから、わからないだけの話し。
しかし、システムダウンの時代には、必ず、脆弱さを発揮することになるので、いずれ、パソコンが動かない、、、情報が消える、、、途絶える、、、水がない、、、食糧がない、、、という事態がきっと来る。
山梨に降った雪はこの120年の間に降った最高の雪の量の倍以上であった。こうしたことが必ずいつかは起こるのだ。
人の一生において、大体一回はどうにもならない社会的、もしくは自然災害などに出くわすもの。
私のおやじは大戦を経験しているし、おじいさんの時代には関東大震災があって、家も焼けたらしい。その前は、江戸末期の混乱と、大体の生涯で一度は異変があるものなのだ。
車など危険な運転をする人に注意しても、何、毎日こうやっていて大丈夫だから、、、と言うが、一度やったらおしまい、、ということがわかっていない。
百回大丈夫でも一回来たら元も子もないことを恐れるのが本当でしょうと思う。
コスト意識は百回は儲けても一回ですべてを吐き出す、、そんなシステムにも思える。何となくこれからの時代にあっていない。
コスト意識のある店、コンビニ、会社、商品には、どこか同じ匂いがする。現代人は便利になったものの、次第に飽きてきている。
ただ新しい、イノチあるものが少ないので、その飢えに気づいてないだけなのだ。
コスト意識というのは、突き詰めると、死んだ方がいい、、、という結論になる。無駄にこそ発明も発見もエネルギーもあるのだから、コスト意識に固まってしまうと、生きる意味を喪失し、鬱も増える道理となる。
意味ないことに夢中になれる時間を持っている人が本当の意味でリッチなのだと思う。だから子供はみんなリッチ。不安定な動き、不安定な考え、不安定な態度から、実は無のエネルギーを受け取っている。
不安定ならば安定にさせる反作用が働き、イノチの世界につなげてくれる。
自分を利口だと思い、すべてを計算し、誰よりも得してうまくやっていると思っている人が上に立っている。
だから社会は必ずつぶれる方向に行きます。コスト意識が本気でつまらない社会を作ってくれた。脆弱な時代と社会を作ってくれた。
なので、必ず壊れます。山梨で起きていることは、まだまだ先ぶれだと思う。山梨だからこそ持ちこたえられる面が大きいが、あれが東京だったら、一体何人の死者が出たことか。
地震が来ても、大雪が降っても、雨が止まなくても、雨が降らなくても、、、大丈夫な世界を作らないといけないのです。
掘っても何も出てこないと言って、ここには文明がなかった、、、などと歴史学者は言うのかもしれませんが、本当は、掘っても何も出てこない文明こそ、優れた文明だったはず。
東電事故以来、頭のよさそうな人が、実は本物のバカに見えてくるケースが多いのは、私だけでしょうか。
今度の争いは学問の神との争いぞ、、という時代にすでに入っているのかもしれません。
勝海舟が咸臨丸でアメリカを視察した後、幕府の偉い人から「アメリカはどうだった」、と聞かれて、「基本的には同じようなものだ。ただ、違うところは、あちらでは賢い人ほど上に行くようになっている点ですな」と答えて、相手に渋面を作らせた、という話がある。
太平洋戦争の戦史を少しでも調べた人間なら、日本の参謀本部がいかに馬鹿揃いで、馬鹿ほど権力を握る立場にのし上がったかを知っているだろう。その代表が辻正信だが、彼は自分の犯した数々の失敗の責任をまったく取らず、戦後には戦犯になることからも逃れて、代議士にすら当選している。日本の高級官僚というものの本性を示すサンプルのようなものだ。こういう、一見有能そうに見せかけるのに長けているだけの馬鹿が社会の上位に行く、というのは江戸時代から変わっていないようである。いや、現代の日本はもっと悪化しているのではないか。
ビジネスの世界でも、こうした「一見秀才、しかし根本的には大馬鹿」という人間たちがのさばっているように思われる。
コスト意識というのは、突き詰めると、死んだ方がいい、、、という結論になる。
まさに、その通りである。生きているからこそコストがかかるのだ。そうしたコストを削減したければ、「無駄な」人間は死んでもいい、という発想になる。
もっとも、偉い人々は、自分自身は無駄な存在だとは思っていないだろう。そして、無駄な人間は死んだ方がいい、と思っているのではないか。五輪は金になるが、災害救助など、無駄なコストだ、というわけである。福島原発の収束作業も然り。適当にお茶を濁し、世間の馬鹿どもを騙せばいい、というつもりだろう。
こうしたお偉いさん達こそが日本社会を毒する毒虫なのである。
(以下引用)*色字部分は引用者(徽宗)による強調。誤字などは、そのまま転載。
2014-02-17 15:48:22
コスト意識がもたらす死の世界
テーマ:ブログ
86,414 byte
山梨が非常に心配な状態にある。まだ奥地では閉じ込められている家や人、車があるはずで、想像力が多少なりとも働くなら、この事態が国家的な大事であることがわかるはずだ。
ただ、そのことが首相と政府にはピンと来ないらしい。オリンピックで忙しいのだろうか。
311の時もそうだったが、コンビニの水と食料はアッという間に売り切れた。
どこのコンビニもお店も余分な食糧などおいていない。何がどれだけ売れるからと、在庫を持たない運営が利益追求には必要らしい。
なのでいったん事が起きたなら、都心など一体どうなってしまうのか。政府も備蓄を奨励してはいるものの、本気度は少なく感じるし、守りよりも儲けが優先のようだ。
福島がああなっていてもまだ守りよりも儲けなのだから、なんだか人の性としか言いようがない。しかし、被害を受けている方はたまったものではない。
ひとそれぞれだなどとのんきに言えているうちはよいが、こうしたコスト意識が蔓延した結果、日本は災害や異変に極めて脆弱な国になっている。
東京など、いったん異変の渦に巻き込まれたら、創造するだけでも恐ろしい。金儲けが死と隣り合わせの時代に入ったのだ。
原発が安全となんでいえるのかがわからないが、イノチと引き換えに儲けたいなどと、一体、だれが思っているのか、、、本当にいるのか、そんな人間が。騙されているだけじゃないのか。
一杯の水に困るような事態に直面したら、効率やコストなどという意識は人の頭から簡単にすっ飛ぶ。自分が被害者じゃないから、わからないだけの話し。
しかし、システムダウンの時代には、必ず、脆弱さを発揮することになるので、いずれ、パソコンが動かない、、、情報が消える、、、途絶える、、、水がない、、、食糧がない、、、という事態がきっと来る。
山梨に降った雪はこの120年の間に降った最高の雪の量の倍以上であった。こうしたことが必ずいつかは起こるのだ。
人の一生において、大体一回はどうにもならない社会的、もしくは自然災害などに出くわすもの。
私のおやじは大戦を経験しているし、おじいさんの時代には関東大震災があって、家も焼けたらしい。その前は、江戸末期の混乱と、大体の生涯で一度は異変があるものなのだ。
車など危険な運転をする人に注意しても、何、毎日こうやっていて大丈夫だから、、、と言うが、一度やったらおしまい、、ということがわかっていない。
百回大丈夫でも一回来たら元も子もないことを恐れるのが本当でしょうと思う。
コスト意識は百回は儲けても一回ですべてを吐き出す、、そんなシステムにも思える。何となくこれからの時代にあっていない。
コスト意識のある店、コンビニ、会社、商品には、どこか同じ匂いがする。現代人は便利になったものの、次第に飽きてきている。
ただ新しい、イノチあるものが少ないので、その飢えに気づいてないだけなのだ。
コスト意識というのは、突き詰めると、死んだ方がいい、、、という結論になる。無駄にこそ発明も発見もエネルギーもあるのだから、コスト意識に固まってしまうと、生きる意味を喪失し、鬱も増える道理となる。
意味ないことに夢中になれる時間を持っている人が本当の意味でリッチなのだと思う。だから子供はみんなリッチ。不安定な動き、不安定な考え、不安定な態度から、実は無のエネルギーを受け取っている。
不安定ならば安定にさせる反作用が働き、イノチの世界につなげてくれる。
自分を利口だと思い、すべてを計算し、誰よりも得してうまくやっていると思っている人が上に立っている。
だから社会は必ずつぶれる方向に行きます。コスト意識が本気でつまらない社会を作ってくれた。脆弱な時代と社会を作ってくれた。
なので、必ず壊れます。山梨で起きていることは、まだまだ先ぶれだと思う。山梨だからこそ持ちこたえられる面が大きいが、あれが東京だったら、一体何人の死者が出たことか。
地震が来ても、大雪が降っても、雨が止まなくても、雨が降らなくても、、、大丈夫な世界を作らないといけないのです。
掘っても何も出てこないと言って、ここには文明がなかった、、、などと歴史学者は言うのかもしれませんが、本当は、掘っても何も出てこない文明こそ、優れた文明だったはず。
東電事故以来、頭のよさそうな人が、実は本物のバカに見えてくるケースが多いのは、私だけでしょうか。
今度の争いは学問の神との争いぞ、、という時代にすでに入っているのかもしれません。
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