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サイコパスの白人と幼児的精神の日本人

「株式日記と経済展望」から、管理人氏コメントまで含めて全文転載。引用文中に誤字(おそらく転記ミスだろう)が多いのが残念だが、引用文(「人種戦争」)も管理人氏コメントも非常にいい。
書かれた内容(歴史的・社会的事実)自体はたいていの人には既知のものだと思うが、その重要さは、こうして改めて言われて初めて気がつく類のものだと思う。逆に言えば、今の白人支配世界の中で、こうした指摘を支配層はできるだけ「無視」し、そうした事実が存在しないものであるかのように振舞うことで、世界全体がこれらの事実の「意味」に気がつかないようにさせているのである。
昨日書いた記事の中の長谷川豊のアメリカ南部での経験が示すように、実は世界は今もなお「人種戦争」をやっているのである。日本の場合なら、「戦争法案」も「TPP」も人種戦争の一部だと考えていい。つまり、「黄色いサル」どもはいくらでも搾り取り、利用する、ということである。
白人の精神の根底には絶対に白人優位思想と有色人種蔑視の気持ちがあるはずだ。これはいくら英米のテレビドラマや映画が黒人役者やアジア人役者を白人の役者と対等に見えるような役柄で使っても誤魔化せるものではない。(だが多くの人はそれで騙されていると思う。)それが長谷川豊のアメリカ南部での経験などのように露呈することがたまにあるわけだ。だが、一見穏やかで人種差別など無さそうに見えるアメリカ北部(都会部)でも、白人の心の底には白人優位思想が牢固としてあり、それが戦争や経済摩擦の場面では表面に出てくることになる。
彼らの有色人種へのフレンドリーさは、「劣ったもの」をあやしてみせているにすぎない。実際、謀略や闘争が日常である彼ら狂人ども(だからアメリカなどではほとんどの中流からやや上位の人間は必ずと言っていいほどカウンセラーや精神分析医にかかることになる。つまりキチガイである。真の富裕層だけは闘争の埒外にいるからおそらく精神を病まない。)から見れば、謀略に簡単に騙される連中、特に日本人は子供のように思えるはずである。


(以下引用)

「人種戦争」 アメリカにとって日本人が犯した最大の罪は、白人の誇りを貶めたことだった

2016年01月05日 | 歴史

「人種戦争」 アメリカにとって日本人が犯した最大の罪は、有色民族
に誇りをいだかせることによって、白人の誇りを貶めたことだった

2016年1月5日 火曜日

人種戦争――レイス・ウォー  ジェラルド・ホーン (著)

香港で破られた「白人の優越」

.香港は、東洋の真珠として知られていた。広さは四二三平方キロ。商業の中心地である香港島と、九龍、新界、周辺の島々からなり、香港島にある大英帝国支配の象徴であるビクトリア・ピークは標高約四〇〇メートル、頂上から、湾や、周囲の島々を一望することができる。

イギリスが香港に触手を伸ばしたのは、アヘン戦争の後の一八四二年だった。一八九八年に、新界を獲得し、守りを固めた。日本軍進攻前の香港の人口は一七〇万人で、一万四〇〇〇人の白人と、七五〇〇人のインド人が住んでいた。裕福だったのは白人で、中国人はアメリカニグロ南部の黒人同様に、人種差別のもとで、絶望的な窮状を強いられていた。

ところが、日本軍が一九四一年十二月に進攻すると、「英領支那」の白人支配層を組み伏せてしまった。

香港から数百マイル南にあるシンガポールは、大英帝国の最も戦略的に重要な前哨地とされていたが、香港はそれ以上の存在価値を、中国市場への入口としての価値を持っているとみられた。イギリスは何十億というマッチや、靴下を売り込めると、夢を描いていた。

香港は同時に、全世界の諜報員が暗躍する、スパイ天国だった。民主主義などにまったく構わなかったのも、魅力だった。中国人はイギリスの支配に、まったく抵抗しなかった。

香港は、貿易の要だった。今日でも人口わずか七〇〇万人の香港が、一〇〇〇億ドルもの外貨を保有している。ブラジル、トルコ、ロシア、アフリカ、ギリシャの人口を合わせると、香港の五〇倍にもなるが、外貨保有額では香港に及ばない〔本書の執筆時点.二〇〇三年〕。

『ファー・イースタン・エコノミック・レビュー』誌によれば、香港は今では「地上で最も裕福な地の一つ」だが、戦前は、「世界で貧富の格差が最もひらいた」ところだった。また、経済的にも、社会的にも、安定していなかった。

イギリスが香港を領有してからおよそ一世紀が経過した一九四一年十二月に、日本軍が香港を占領し、まるで聖書の「黙示録の予言」と、「最後の審判」が同時に起こったかのように、大多数の住民によって熱狂的に迎えられた背景には、人種差別があった。

ある評論家は、「イギリスにとって、軍事的な敗北より、心理的な打撃のほうが大きかった」と、語った。特にシンガポールの陥落は、ジンギスカンの騎馬隊が七世紀以上も前に、ウィーンの城門まで迫った時以来、「アジア人が、大英帝国に与えた最大の衝撃」だった。「白人の優越」という城塞が、あっけなく破られたのだつた。

それは、戦いに敗れたというだけではなかった。白人が有色人種との戦闘で敗北したという事実は、白人に天から付与されたと信じられてきた続治権や、精神の優越までがずたずたにされ、失われたことを意味した。その喪失感は、言いようのないものだった。

イアン・モリソンは、戦争が激しくなると、「極東で白人が持っていた特権は、もはや過去みちのものとなり、元に還ることはない。白人は自らの行く途を、人種とか、肌の色とか、海軍力よへの信仰に拠らずに、各人の能カと資質によって選択せねばならない」と、説いた。

白人は自分たちが有色人種に対して犯してきた罪によって、罰せられる時が到来したことにおび震え上がっただけでなく、新しい人種秩序の中で、最下層に落とされるのではないか、と怯えた。

日本人の白人に対する残虐行為

日本軍は「白人の優越」によって虐げられた人々の感情を、巧みに利用した。日本軍の収容所では、日本人の管理下で働いていた者の「過半数」が、朝鮮人と台湾人だった。彼らの地位が最高で、白人は最低というのが、新たな秩序だった。アジア人が、白人を「劣等で、従属すみなべき人間」と見傲すようになった。

アメリカにとって日本人が犯した最大の罪は、アジア主義の旗を掲げて、有色民族に誇りをいだかせることによって、白人の誇りを貶めたことだった。

極東国際軍事裁判は、なによりも日本が白人上位の秩序によって安定していた、世界の現状を壊した「騎慢な民族主義」を大罪として、裁いた。

事実、日本は白人の既得権益を壊して、白人から見ておぞましい成功を収めた。

パトリック.ハーディーは、一九二八年にボルネオで生まれたユーラシア人(白人とアジア人の混血児)だった。兄弟と、ビーチ・ロードにあった日本軍の登録所に行くと「父はイギリス人か」と尋ねられた。テーブルが二つ置かれ、そうであったら一方のテーブルに、父がユーラシア人なら、もう一つのテーブルにつかされた。

白人を父に持つ者は、収容された。ハーディーは収容されることなく、日本軍の運転手となった。

イギリス統治下で特権を与えられていた白人は、日本軍の進攻によって立場が逆転し、戦後になっても有色人が胸を張って闇歩する状況が続いた。

ジョン.ダワーは「今日のアメリカ人に第二次世界大戦中に、どのように人種差別から残虐行為が行なわれたかと尋ねれば、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を挙げよう。しかし、戦時中に、アメリカ人に対して最もひどい『仕打ち』を働いたのは、ドイツではなく、日本だった。『人種問題』は、アジアで起こった。日本の侵略は、『白人の優越』を転覆して、白人にとってこの世の終わりのような惨状を世界にもたらした」と、書いている。太平洋戦争はイギリス人はもとより、白人に大きな衝撃を与えた。

イギリス軍とニュージーランドの先住民の熾烈な戦いを研究した、学者のジェームズ・ベリチは、「日本軍の『白人への攻撃』が、あまりにもすさまじかったので、イギリス人はまるで悪夢から目覚めた子どもと同じように、何も起こらなかったのだと、自分に言いきかせて、全てを忘れようとした」と、記した。

アメリカの高名なジャーナリストのセオドア・ホワイトは一九七五年になって、戦時中の体験にっいて語った。「アジアで何年も取材したが、アジア人の白人に対する憎悪にっいては、まったく書くことができなかった。アジア人は誰もが、我々白人全員を嫌悪していた。それは歴史をみれば、当然のことだろう」と、アジア人が耐えてきた植民地主義のもとで行なわれた、人種差別の歴史に言及した。

ホワイトはアメリカの友だった蒋介石でさえ、「本心では、白人を嫌っていた。アメリカのなかでは黒人だけが、白人によってアジア人がどれほど苦しめられていたか、理解できるだろう」と、話している。戦前から戦中にかけ、日本はアジア人の白人への敵愾心を利用した。

イギリスは、日本軍による白人に対する「残虐行為」が明らかになると、「ほとんどの中国人が、そのことに関心を示さない」「中国人は日本軍がそのような行為に及んだのは、白人をはずかしひそ辱めて、アジアから追放するためだと思って、むしろ密かに喜んでいる」という、報告を受けていた。

白人側が使った人種差別の宣伝とは

ところが、事実を捻じ曲げて、「日本軍がアジア人に対して、ありとあらゆる『残虐行為』プロパガンダに及んでいる」という、宣伝が行なわれた。日本軍が白人に対して「残虐行為」を行なっていると報告すると、かえって「アジア人のために戦う日本」のイメージを広めかねなかったからだった。

白人と有色人種が平等だという戦後になってからの人種政策や「白人の優越」が否定されることは、日本軍の進攻によってすでに戦時中から明らかになっていた。

アメリカはイギリスよりも、人種問題に敏感だった。先住民を虐殺し、黒人を奴隷にすることによって建国したからだった。

一九四二年半ばに、アメリカの心理戦争合同委員会は、イギリスに「太平洋戦争を、『大東亜戦争』にすり替える日本の宣伝を阻止することが、重要だ」との極秘の提案書を送った。

「アメリカの白人社会に対して、有色人種に対する激しい人種差別を和らげる宣伝を行なうべきである。そうした宣伝は、人種偏見に直接、言及してはならないが、有色人種のよい面を伝えることで、間接的に可能だ」と提言し、「『こびと』『黄色い』『細目の』『原住民』といった表現を避ける」ことや、「アメリカの黒人活動家が、白人を非難する日本の宣伝を受け売りしていること」にも言及した。

戦争が終結に近づくにつれて、後に「ポリティカリー・コレクト」という表現が用いられるようになった戦後の人種への対応が、形成されようとしていた。過去に人種差別を蒙った人々ジム・クロウについて、むしろ国際的な場で「黒人のリーダー」を前面に出すことで、黒人蔑視に対する批判を避けようとした。

オーストラリアでは「人種の優越」に言及することをやめるように、極秘の指令がただくさぴ出された。唯一つ許されたのは、日独間に楔を打ち込むために、ドイツの人種政策を利用することだった。ドイツはかつて「ドイツ民族は全ての民族の中で最も優れ、日本人は奴隷に適している」と、主張していた。また、「インドシナでは黄色人(日本人)がのさばって、白人より優れていることを誇示していた。このために、戦後もベトナムがフランスの植民地に復帰することは困難だ」とする報告もあった。白豪政策を取っていたオーストラリアは、かっての人種差別政策を、表面上、撤廃した。

アメリカもイギリスも、日本の「人種戦争」に、どのように対応すべきか戸惑った。日本の人種政策と一線を画さなければならなかったが、同時に自ら実行してきた人種差別を緩和しなければならなかった。

イギリスは大西洋憲章によって民主主義を高揚したかたわら、アジアやアフリカの植民地では、民主主義を否定していた。特にイギリスは戦時中に起こった人種の地位の大転換に、当惑した。ひとつの対応法は、沈黙を守ることだった。中東でもパレスチナ間題に直面したが、肌の色や人種のような問題に、できるだけ触れないようにした。

結局、大英帝国に対する人種戦争の衝撃が白日の下に晒され、沈黙を続けることができなくなった。さらに事態を複雑にしたのは、第二次世界大戦前に人種差別主義がもたらした罪が、ほとんど問題とされなかったことだった。帝国主義を非難していた評論家さえ、人種差別には批判の眼を向けなかった。

当時は、どのようなイギリス人も、植民地の人々の状況にほとんど関心を抱かなかった。教科書も植民地の状況については言及していなかった。イギリスの下院でも、戦後しぱらく論じられなかった。日本が香港で白人収容者に「残酷な人種差別」を行なったのに、その悲惨な体験は思い出すこと忌まわしいのか、あまりにも苦痛を伴うのか、ほとんど伝わってこなかった。

日本は自衛のために戦った

一八五三年に、マシュー・C・ペリー提督が浦賀にやってきた。日本の二世紀以上に及ぶ鎖国が、破られた。これは、衝撃的な出来事だった。ペリーは上陸すると、背が高い屈強な黒人奴隷を二人伴って行進した。歴史的な舞台に、黒人に一役を担わせた。日本人は蒸気船にも驚いたが、久しぶりに見た黒人に、興味津々だった。

なぜ、ペリーが黒人を連れていたのか。理由はわからない。日本人を黒人のように奴隷にし得ることを、示したかったのかもしれない。理由が何であれ、この黒船襲来が、人類史上に輝く偉業である「明治維新」をもたらし、「白人の優越」を断固拒否する、アジア人の先進国家が建設される道筋をひらいた。(P24~P31)

 


(私のコメント)

中国の株式市場が不安定なようですが、今年は中国経済の崩壊が世界経済に大きな影響をもたらすだろう。中東もサウジとイランが国交を断絶しましたが、アメリカの後退によって中東の勢力図が変わろうとしている。アメリカが後退した空白は日本が埋めるべきなのでしょうが、大東亜戦争でアメリカに敗れた事で犯罪国家とされてしまった。

アメリカでは「太平洋戦争」と呼ばれていますが、日本は日米戦争では敗れたが、大東亜戦争では東南アジアの占領地域はほとんど維持されていた。アメリカの植民地だったフィリピンは奪還されたが、イギリスやフランスやオランダの植民地では宗主国は奪還することが出来なかった。だから日本は3勝1敗であり、英仏蘭は本当は敗戦国だ。

特にイギリスはインドと中国と言う大きな植民地を失う事で覇権国家と言う地位を失ってしまった。ポンドも基軸通貨の地位からローカル通貨になってしまった。大英帝国はインド兵を使う事で広大な植民地経営を行ってきましたが、香港もインド兵やインド人を使った統治が行われていた。

香港要塞やシンガポール要塞が簡単に陥落してしまったのは、日本軍が強かったせいもありますがイギリス軍が主力がインド兵によって構成された軍隊であり、日本軍のような正規軍だと寄せ集めのイギリス軍はもろかった。頼みのロイヤルネービーも日本海軍に敗れて海の藻屑となり、「白人の優越」神話は崩壊してしまった。

中国にとっては香港は大英帝国の植民地支配の象徴であり、中国をイギリスの植民地から解放したのは日本であり、その事を中国の歴史では教えていないようだ。むしろ香港でも中国人に対して日本軍は残虐な事を行ったと教えている。満州にいるロシア軍を追い払ったのも日本軍ですが、中国人はその事を忘れている。

毛沢東や蒋介石が日本軍に寛大だったのは中国からイギリス軍やロシア軍を追い払ったのは日本軍であったからだ。フィリピンからもアメリカ軍を追い払いましたが、マッカーサーはフィリピン人にアメリカ軍は日本軍よりも強い事を見せ付ける必要からフィリピンを奪還した。

しかし「白人の優越」神話が崩壊してしまえば、後の祭りであり、戦後になってイギリス軍やフランス軍やオランダ軍が戻って来たが、神話が崩れてしまっては植民地を支配することは出来なかった。連合国は日本を侵略戦争を行った戦争犯罪国家としたが、それが東京裁判史観であり、アメリカは歴史を書き換えてしまった。

しかし戦後70年も経てば、冷静な分析も出来るようになり、それは「人種戦争」と言う本を読んでみれば、アメリカでも歴史の見直しが行われている。しかしこの本の著者が黒人の大学教授であり、戦時中においても黒人はアメリカ軍の中でも警戒された存在であり、黒人の将校は大戦末期になるまで存在しなかった。

戦後になってもアメリカは人種差別の総本山であり、「白人の優越」は50年代の映画を見ても明らかだ。白人のジョン・ウェインによってインディアンがバタバタと殺されている映画がある。オーストラリアでもアボリジニは狩猟の対象であり「駆除」される存在だった。

大戦中では日本人はサルの仲間の類人猿とされてポスターなどに描かれた。白人たちが有色人種をサルの仲間とみなしていた事は知られたくない真実であり、それを変えたのは大東亜戦争における日本人の戦いだ。しかしこのような見方はアメリカでは受け入れられない事実である。



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バカバカしい。日本は米英の傀儡で、明治維新も朝鮮併合もイギリスが一番儲かった。日露戦争も、欧州の覇権争いの為に日本は手駒としてイギリスにこき使われただけです。
白人の傀儡として周辺アジアの血肉をすする恥知らずなスネ夫君が日本で明治以降現在まで同じスタイルですよ。 ドイツに便乗して米英に刃向かって、逆に伸されただけで、日本の行ったのはイギリスの猿真似の植民地支配を参考にしたそのものであって、アジアの解放なんてとんでもない。
イギリスに刃向かった躾の悪い犬が殴られて反抗を辞めた程度の負け犬ならぬ媚び犬で、周辺アジアへ餓鬼【小鬼】と揶揄されていたのが証拠のそのものである存在で有って、周辺アジアを解放したのはアメリカですよ。当時アメリカは、イギリスの植民地支配を辞めて覇権主義に切り替えていたので、それにたまたま上手く合致しただけです。アメリカの覇権主義や産業革命による富の収奪や繁栄も理解していないのに何を理解できると思っているのか疑問です。
りょう 2016/11/03(Thu)18:20:00 編集
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