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徽宗皇帝のブログ

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ネトウヨは戦争と戦場の現実を知らない
「バカ国民帝国日本の滅亡」から転載。冒頭だけ省略。要するに、「従軍慰安婦問題」について、我々の時代には常識だった事柄がどんどん隠蔽され、歴史改造が行われているという問題への一石である。戦時中に日本軍が戦地住民に行った非道行為は無数にある、というのはたとえ戦後生まれでも昭和生まれの人間には常識なのだが、威張って認めることのできることではないので、「当事者」(戦後社会で上級国民になった人も多い。)は誰もが黙っているだけの話である。「兵隊やくざ」その他、従軍慰安婦の出て来る映画は無数にあったが、それらはなぜかテレビで放映されなくなっているようだ。

(以下引用)


まあ、それもそうですが…産経は決して朝日を批判する資格などないのです。


 


なにせ、「南京虐殺はなかった」「慰安婦はなかった」というデマ


 


流し続けているからです。


 


 


このまえは「南京虐殺はなかった」デマについてやりましたので、


 


きょうは「慰安婦」についてやりましょう。


 


 


>産経新聞社がまだ「サンケイ新聞社」という名称だった1983年11月、


 


現在の産経新聞出版の前身である「サンケイ出版」が対談本を刊行しました。


 


『いま明かす戦後秘史』


 


対談主は、当時の産経新聞社の社長だった鹿内信隆と、


 


戦後日本の財界で「四天王」のひとりに数えられた櫻田武でしたが、


 


ふたりは、ともに陸軍将校として勤務した経歴の持ち主です。


 


 


鹿内:(略)これなんか軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、


 


戦地に行きますと「●●●」(慰安婦の別称)屋が…


 


櫻田:そう、慰安所の開設。


 


鹿内:そうなんです。そのときに調弁(戦地で調達すること)する女の耐久度とか消耗度、


 


それに、どこの女がいいとか、わるいとか、


 


それから(入口の)ムシロをくぐってから出てくるまでの「待ち時間」が、


 


将校は何分、下士官は何分、兵は何分…といったことまで決めなきゃいけない。(笑)


 


料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『●●●屋設置要綱』。


 


経理学校で教わった。


 


 


(--)b いま、ジャニーズの話が出ていますけどね…


 


上のような会話をしている連中が、新聞社の社長だったわけですよ。


 


「Me To 運動」は、この問題はスルーするのですか?


 


 


産経新聞がLGBT法に反対しているのは、


 


こうした「前科(?)」に基づく不純な動機に基づくものではないですかね?


 


 


上の対談部分からでは、「慰安婦は売春婦だった」みたいな反論(?)に対して、


 


こいつらの関わり度合いや悪質さが、いまいち明瞭ではありません。


 


 


しかし、ぱっと見、「性奴隷」という表現がなされるのも当然だと思いませんか?


 


 


鹿内:(略)その人の報告は要するに「すばらしい」というのです。


 


マニラ大学の女の学生は全部セレベスとか、ほうぼうの島々の豪族の娘たちが集まっていた。


 


日本がマニラに上陸したら、島に帰れなくなっちゃった。


 


寄宿舎にいる奴が、みんな孤立しちゃった。それを日本の将校がいただくわけだ。


 


それが、いかにすばらしいかという報告で終始一貫終わっちゃうんです…


 


 


(--) こんなことやってるから、マッカーサーが戻ってきたときには、


 


原住民は、ほぼみんな敵だった。


 


…んで、これらが仮に「売春婦」だったとしても、


 


それなら「性奴隷ではない」と言えるのか?


 


 


近衛師団の無線小隊長だった者が、1983年に


 


「南海のあけぼの」という戦記を上梓しているという。


 


「慰安婦がかわいそうだった」というエピソードである。


 


 


(場所は、シンガポール)彼が行ってみると、


 


薄板を張って小部屋を仕切った急増の慰安所のそれぞれの部屋の前には、


 


兵たちが、いくつもの列を作って、並んで待っていた。


 


前の奴が時間をかけていると、なにしろ、みな気がせいているから、


 


「何をしているか、早くすませて代われ。あとがつかえているんだぞう」と、


 


叫んで扉をドンドン叩いたという。


 


英軍時代には、一晩にひとりぐらいを相手にして、(なかには?)


 


自分も楽しんでいたらしい女性たちは、すかり調子がくるってしまった。


 


(その結果)


 


「もう、だめです。体が続かない」と、前を押さえてしゃがみこんでしまった。


 


それで係りの者が「きょうは、これまで」と打ち切ろうとしたら…


 


猛り狂った兵士たちに殺されそうになって…


 


それで、恐れをなして女性の手足を寝台に縛り付け「さあ、どうぞ」と戸を開けた。


 


そのとき、ちょうど順番だった衛生兵が、それをみて怖くなり、


 


這う這うの体で逃げ帰ってきた。


 


 


(--)b のちに、ソビエト兵に日本住民も似たような被害を受けたのだけれど…


 


自分たちのことは、いつも棚上げして「ソビエトが~」と彼らは言うのだ。


 


 


日本人も、ほぼ「同じこと」をやったのだから…


 


ソビエトが受けるべき報いは日本も受けなければいけないよねぇ?


 


 


「東京裁判で日本だけが悪者にされて裁かれた」というのだが…


 


そのときの「裁き」を逃れて、


 


のうのうと戦後日本で「いい暮らし」をしている輩がいる。


 


 


彼らが秦郁彦氏を攻撃したのも、戦時中の罪を暴かれていたからでしょう。


 


秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』では、


 


フィリピンでは、駐留する日本軍の末端組織による


 


「計画的と思われる女性の自宅への襲撃」「作戦行動中の強制連行」で、


 


女性が「拉致」され、民間業者が経営する「慰安所」という形態とは異質な、


 


駐屯地に監禁された上での組織的な「レイプ」が多数発生していた事実に言及。


 


 


ちなみに、先のシンガポールの慰安所関連ですが…これは…


 


1937年に南京で起きたレイプ多発の教訓から、直ちに開設されたものだそうです。


 


ここでは、日本人と朝鮮人の慰安婦に加え、現地で軍令部が告知した慰安婦募集に、


 


「今までイギリス兵を相手にしていた娼婦」が応募してきたのをトラックで運んだそうです。


 


 


(--) それで、順番が来たひとりの衛生兵が


 


チビって逃げてしまうような惨状が展開されていた…というワケだよね~


 


 


そして、このような「不都合な歴史」の隠蔽に、あべ一派は積極的に加担した。


 


だから、「殺されてよかった」みたいな発言が出てくるわけだが…


 


そのうち、


 


あべの悪事が国際社会に明らかになって、これを「国葬」した国民として、


 


今度こそ「根絶やし」にされることになるかもしれないというのに…


 


な~んで、「遺族の気持ちを」がどうとか、


 


あべやあべシンパの肩をもつのがいるのかね?


 


 


だから、いまのうちから、アピールしておく必要があるのだよ。


 


うちらは、「あべの仲間」なんかではありません!…とね…


 


 


むかしの皇帝が死んだときには、その奴隷とかも、生きながらに埋められた。


 


そんなにあべのことが大事なら、一緒に埋められてはいかがか?


 


 


上から土をかけてやるくらいは、してやらないでもないぞ?


 



 


もっと、ネタはあるが、それらは、また今度にしよう…


 


 

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