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徽宗皇帝のブログ

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ファシズムとは国家私物化のことである
「混沌堂主人雑記」から転載。
古い紙面だから、古い書物から取ったものと思われるが、これはコピーして各家庭と各中学高校の壁に貼っておくべきものだろう。今の安倍政権が倒れても、同じような政権がまた現れるはずだ。
というのは、ファシズムとは政治理念でも何でもなく、「権力者(集団)による、国家完全私物化」のことだからである。権力と私的欲望が結びつくことは永遠に絶滅できないだろう。
なお、ファシズムがなぜ「強情なナショナリズム」を推進するかと言えば、自分(たち)の意思を「国家の意思」だということにすれば、自分(たち)の意思がすべてに優先するからである。言い換えれば、そのことに意識的か無意識的かはともかく、国家と自分を一体化させれば、何でもしたい放題やりたい放題になるだろう、という目論見である。(「意志」と書かずに「意思」と書いたのは、「意志」と書くと、彼らの自利自欲の下品な欲望がまるで立派な「志」であるかのように見えるからだ。)
端的に言えば、「朕は国家なり」となるのがファシズムの最終地点だと言える。つまり、絶対王権的な政治である。その近代的な外装がファシズムなのである。
国家私物化の主体が一個人であれば独裁が目立ち、集団や組織による国家私物化だとそれが目立たないだけの話で、ムッソリーニがファシストと言われ、また独裁者と言われたのは、ファシストも独裁者も同じことだからだ。いや、独裁とは「政治決断を一人だけの考えで行う」だけの話で、そこに私的欲望があるかどうかは別問題だ。(無私の心を持った名君の独裁は最高の政治にすらなる。中国でも日本でもしばしばそういう人物は現れている。)しかし、ファシストとは、自分(たち)以外の全国民を奴隷化することを意図するもので、単なる独裁よりはるかに悪質だ。

安倍総理とその一味が愛国者でも何でもなく国家私物化集団であることを明白にしたのが森友加計問題だと言える。


なお、ファシズムを「全体主義」と解するのは浅い理解であり、「国民全員を束ねて国家(実体は、政府という権力組織)に奉仕させる思想」と考えるべきだろう。現代の日本が民主主義を偽装したファシズム政治である、あるいは、少なくとも、そうなりかかっていることは言うまでもない。



(以下引用)





     
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