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徽宗皇帝のブログ

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ミャンマーの「民主化」とイスラム教徒迫害
「イランラジオ」から転載。
ミャンマーは最後の経済的フロンティアだとかいうことで、最近話題に上ることが多いが、仏教徒によるイスラム教徒迫害という「人権問題」もあるようだ。しかも、政府までがその迫害に加担しているらしい。
まあ、被迫害者と同じイスラム圏であるイラン側からの記事だから、どこまで信憑性があるかどうかは分からないが、この記事が事実なら、もはや仏教は精神的に死んだと
言っていい。「不殺」は仏教で最も重い戒律のはずである。その仏教徒が、いかに他宗であろうと、人間を殺すことがあっていいはずはない。もちろん、直接的殺人ではなく、その住んでいる場所に放火することで居場所や財産を失わせ、死に追いやるという「間接殺人」であるが。
このイスラム教徒の悲劇は、ミャンマーにこれから起こる無数の悲劇の序曲であると私は見ている。ミャンマーの「民主化」とは「ミャンマーの資本主義化」であり、「新自由主義化」であるだろうからだ。それによって確かに一部の人間は富を得るだろう。だが、その富は多くの人間の犠牲の上に成り立つ富であり、さまざまな「便利な品物」で生活は満たされるが、それと同時に庶民の奴隷化もまた進行していくだろう。
私はミャンマーの「民主化」と「イスラム教徒迫害」がほぼ同時に起こったことに注目している。それが「民主化」の正体を表している気がするからだ。言うまでもなく、この「民主化」の背後には欧米の姿が隠れている。



(以下引用)


ミャンマー北西部難民キャンプでのイスラム教徒の人道上の悲劇






イラン国営衛星通信プレスTVは最近、ミャンマー北西部・ラカイン州にある、イスラム教徒の難民キャンプの悲惨な実態を明らかにした。

プレスTV記者が11日土曜、ミャンマー・ラカイン州(旧称アラカン州)から伝えたところによると、イスラム教徒であるロヒンギャ族の難民キャンプでは、深刻な食料・医薬品不足が指摘される上、設置されて40日にしかならないにもかかわらず、子ども数名を含めた18名が、既に死亡している、ということである。プレスTV記者は、ロヒンギャ族のイスラム教徒が収容されている難民キャンプの実態を間近に見ており、そうした実例として、重病と極度の衰弱により自分の力では動けない子どもの存在を挙げている。
さらに、この記者はミャンマー北西部のイスラム教徒居住区である、複数の村落が灰燼に帰したと伝えており、この地区のイスラム教徒の話として、ラカイン州の仏教徒が警察と共に、イスラム教徒の村落に放火し、彼らの住み処を奪ったとしている。この地区のイスラム教徒によれば、ミャンマー政府の支援を受けた仏教徒が、複数のモスクに放火したとされている。

この報告によれば、視察の対象となるキャンプは、ミャンマーのイスラム教徒が収容されている、最も状態のよいキャンプとされ、ミャンマー政府がその視察許可を出している。10日金曜には、駐ミャンマー・トルコ大使やインドネシアの副大統領が、さらに11日には国連代表がこのキャンプを視察に訪れている。

プレスTV記者はさらに、これらのキャンプ訪問がミャンマーの治安部隊による厳重な警備・監視の下に行われたとし、「このキャンプに収容されている人々は、他のキャンプの状態はこのキャンプよりはるかに劣悪だと語っている」と述べている。

この記者が、ロヒンギャ族のイスラム教徒の話として伝えたところによると、ミャンマーでは少数派の宗教であるイスラム教徒に対する民族浄化作戦が行われているとされ、同国ラカイン州の州都シットウェに住んでいたイスラム教徒7万人のうち、この町に残留したのはわずか6000人だということである。

現在、ミャンマーでは多数派である仏教徒が政権を握っており、この政権は同国のイスラム教徒を正式に認めず、彼らを違法な移民であるとさえ主張している。

ロヒンギャ族のイスラム教徒は、8世紀初頭にミャンマーに移住してきた。

国連人権委員会当局は、ミャンマーにおける暴力行為の責任は、同国の治安部隊にあるとし、この治安部隊が暴力行為を集結させるのではなく、イスラム教徒を標的にしているとみている。

国連人権理事会の見解でも、数十年にわたる差別により、ロヒンギャ族は難民となり、祖国を失ったとされている。さらに、ミャンマー政府はロヒンギャ族のイスラム教徒が居住する地域を軍事的に包囲することにより、同国のイスラム教徒の動向に制限を加え、彼らの居住権や、教育・公的サービスを受ける権利までをも剥奪しているのである。

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