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徽宗皇帝のブログ

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ユダヤ対ロシアの闘争史(2)


■■第3章:ハザール王室直系の子孫ラーザリ・カガノビッチの暗躍


■スターリンを操ったモンスター、カガノビッチの正体


10月革命以降、特に1920~1930年代に、ユダヤ人はロシアで「国家内国家」をつくっていった。それはまさしく、8世紀~10世紀ごろに栄えたハザール王国の再現であった。


ロシアにはハザール王国の皇帝の子孫がいたのである。スターリンは傀儡であり、ユダヤ人たちのロボットであった。スターリンは表向きの指導者であって、ユダヤ国家には陰の指導者がいたのである。その陰の指導者がすべての実権を握るほんとうの支配者であった。



第2代ソ連最高指導者ヨシフ・スターリン


それは誰か。世上、スターリンの片腕といわれたユダヤ人、ラーザリ・カガノビッチである(カガノビッチはいかにもロシア的な姓のように「ビッチ」を付しているが、祖父の時代にはカガンと名乗っていた)。


カガン(可汗)とはハザール人たちの言葉で、ユダヤ教の宗教の指導者、皇帝などを意味している。ハザール王国もハザール・カガン国と名乗っていた。カガノビッチの元の姓がカガンであるということは、彼がかつてのハザール王国皇帝の直系の子孫であることを示している。


ハザール王国は数世紀前に消滅したが、その皇帝の直系の子孫が生きていたのである。



ハザール王室直系の子孫だった
ラーザリ・カガノビッチ(ユダヤ人)


※ ウクライナのキエフ近郊のユダヤ人家庭の出身で、
スターリンの腹心として経済政策の多くを監督した。頑強な
無神論者として知られ、ロシア正教の「救世主ハリストス大聖堂」の
爆破をはじめ、数多くのキリスト教会や歴史的建造物の破壊活動を主導し、
ウクライナにおいては悪名高い人為的大飢饉「ホロドモール」を引き起こした
責任者としても知られる。また、1930年代後半のスターリンの「大粛清」に
おいても中心的な役割を果たし、180を超える粛清リストに個人的に署名して
数万人を死に追いやったとされる。彼はスターリンの命令を実行する上で、
その冷酷無比ゆえに「鉄のラーザリ」というあだ名で呼ばれていた。


スターリンは共産党書記長というポストについていたが、カガノビッチはただの書記にすぎなかった。しかし、実際にはカガノビッチやカガノビッチの補佐官が、すべての政策を取り仕切っていた。スターリンはこのカガノビッチの政策の執行者にすぎなかった。


ハザール王国では宗教的権威をもつカガン(皇帝)のほかに、実際の政務を行うビャク(執行者)があった。その意味でも、当時のソ連政府はまさしくハザール王国の再現であった。


一般に「スターリンの独裁」とよくいわれるが、事実はハザール人のハザール王国の指導者による独裁だったのである。この事実は決して触れられることがない。


■ハザールの王・カガノビッチがロシアを支配した


カガノビッチはどのようにしてロシアの国家内国家、すなわちユダヤ国家を指導していったのだろうか。共産党によったのではない。共産党も表向きの形式にすぎなかった。実際には裏の組織があった。それが国家保安省(後の国家保安委員会=KGB)である。国家保安省の幹部のすべてがユダヤ人だった。トップだけではなく、中間層も下層も、ほとんどがユダヤ人で占められていた。


国家保安省にはベリヤというきわめて危険な人物がいた。彼はユダヤ人(母親)とのハーフで、グルジアの北コーカサス出身のユダヤ人であった。ベリヤはカガノビッチの従兄弟にあたる。カガノビッチはベリヤ、すなわち国家保安省を通して、ロシア=ハザール国家を支配していったのであった。



ソ連国内の秘密警察組織の長官
ラヴレンチー・ベリヤ


※ 彼はカガノビッチの従兄弟であり、悪名高い
「カチンの森の虐殺」の主犯であり、シベリア抑留など
外国人捕虜を收容する収容所を管轄する最高責任者でもあった


またその頃、ユダヤ人は国家保安省の中に「収容所」という新しいシステムをつくった。ソルジェニーツィンの著書『収容所群島』には、このシステムについて詳しく述べられている。各収容所の所長は9割がユダヤ人だった。収容所システムを初めに導入した人物は、フレンケルというユダヤ人の革命家である。収容所はロシア人の奴隷を収容するためにつくられた施設だった。


■家族全員処刑されたロマノフ王朝一家の悲劇


革命が成功すると、ユダヤ人たちはロシア人を完全に支配下におこうとした。そのためにはロシアの「頭」を切り落とさなければならない。「頭」というのは日本でいえば天皇であるように、ロシアでいえばツアー、すなわち皇帝であった。



第14代ロシア皇帝ニコライ2世
(最後のロマノフ王朝一家)


※ 皇后の前に皇太子アレクセイ、皇帝の
右に四女アナスタシア。夫妻の後ろ左から、
三女マリア、次女タチアーナ、長女オリガ。


ユダヤ人はまず当時のツアー、ニコライ2世を家族もろとも全員暗殺した。革命の翌1918年7月、ユダヤ人はウラル山脈のエカテリンブルグ(現在のスベルドロフスク)のある家の地下室で、ツアーとその家族をすべて銃殺に処した。


そして、その家の壁にサインを書き残したのである。それはヘブライ語で「皇帝は暗殺された、国家は破壊された」と書かれていた。私(イワノフ)はそのサインを自分の目ではっきりと見ている。


エリツィン大統領は当時、その町の第一書記だったが、このエリツィンの命令によって、ツアーが殺害された家は完全に破壊されてしまった。今はもう誰もこのサインを見ることはできない。家も壁も残されていないからである。

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