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徽宗皇帝のブログ

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中国計画経済の堂々たる歩み
「世に倦む日々」から転載。
刺激的で啓発的な記事である。
「計画経済」という、もはや「死語」と認識された言葉の意義を現代に甦らせる好記事だ。

「資本主義と社会主義を足して2で割った新しい段階を、という想念は、プリミティブだけれども正論の哲学で、日常社会の中で誰もがその到来を希求していた理想論だったと言える。」


これは私が前々から主張していることで、その主張をプリミティブ(=原始的。まあ、子供っぽい、ということでもある)だが正論だ、と評されたのは光栄である。(笑)
現在の中国が、まさにその「資本主義と社会主義を足して2で割った」経済を施行し、試行してるというわけだ。その核が「計画経済」だ。
実際のところ、資本主義社会でも計画経済は行われているのであり、それが政府ではなくユダ金主導で行われ、その実行手段に「戦争」などが組み込まれているという「ブラック経済計画」だ、ということではないか。そして、その手足である政府そのものが邪魔くさくなってきたからTPPなどという「政府超越」経済計画を取ろうとしているわけである。
中国の計画経済がここで称賛されているほど立派なものか、まあ、答えは、例によって「中国経済絶望論」との中間にあるのだろうが、中国経済批判論者も、下の記事(長いので後半は省略したが)でも読んでみれば新たな目が開けることだろう。


(以下引用)

人民元国際化と社会主義市場経済 - お手本は日本の円の国際化だった

AIIBの設立は、ブレトンウッズ体制に挑戦する戦略の一里塚に他ならず、米国が支配する国際金融秩序を根底から崩そうとするチャレンジである。人民元国際化のプロジェクトの狙いは、ドルに並ぶ国際通貨の育成であり、ドルをリプレイスして基軸通貨にすることが最終ゴールだ。柯隆によれば、その実現は30年後だと言う。中国がその野心的な<計画>を公言したのは、2008年秋のリーマンショックのときだった。前回、7年かけて進めた人民元国際化を概観したが、その初発に中国がどう目的を宣言したか、2008年10月24日に人民日報1面に掲載された石建勲の言葉を再び確認しよう。「人々はようやく米国が自国通貨の優位性を利用して世界の富を搾取していたことに気がついた」「米ドルは信頼を失いつつある。世界は早急に、国際機関を通して民主的かつ合法的に、米国一国支配の経済構造と米ドルの優位性の上に立脚している現在の国際金融システムを変えなければならない」。まるで往年のゲバラかカストロの演説を聞くような、ラディカルな言葉でドル支配体制の矛盾が告発され、その変革の必要が力説されている。人民日報は中国共産党の機関紙で、1面の論評は党中央の方針を示す。上海の同済大学教授の石建勲は現在も意気軒昂で、昨年5月には「米国はドル覇権を自ら放棄すべき」と人民日報のコラムで激論していた。

人民元国際化の原点をなす宣言文とも言える、この人民日報(石建勲)の論評を見るとき、われわれはあらためて、中国が社会主義国であり、自らを第三世界のリーダーとして位置づけて国際社会で振る舞ってきた歴史があったことを想起させられる。国家の基本は変わってない。7年間の人民元国際化の経過と業績をサーベイしながら、私が思ったことは、資本主義とか市場経済というものが、決して雨が降ったり風が吹いたりするような自然現象的なザッヘ(sache)ではなく、きわめて主体的で作為的で人工的な、人間が創意によって合目的的に設計、建設、改良するものだということだった。われわれは、市場経済について、アダム・スミスの「神の見えざる手」の教説と観念によって、それをあまりに自動調節と予定調和の「自然」の表象で捉えすぎている。市場経済は、決して自然に最初からそこにあるものでもなく、自然に生成されるものでもない。人がデザインして作るものだ。プラトン的なイデアがあり、制度を作り、循環と構造と運動を作るものである。7年間の人民元国際化のプロジェクトで実現している現在の中国の金融経済は、人が理念を持ってそれを構想し、法制度を敷き、諸事業を成功させて到達した姿だ。そこには理念があり、理念が何かは石建勲の檄文が代表している。社会主義市場経済。

中国の7年間の人民元国際化について、それを成功と呼んで内在的に意味を汲み取るなら、そこで発見できることは、計画経済と市場経済は原理的に矛盾するものではないというエコノミクスの真実である。人民元国際化のプロジェクトは、合目的的に、構想と設計と施策によって、まさしく計画的に進められた経済建設の所産であり、現時点の成果を積極評価するなら、それは計画経済の成功に他ならない。戦後日本にも、「経済自立5ヵ年計画」や「所得倍増計画」や「全国総合開発計画」の歴史があり、これらはまさに計画経済と正しく呼ぶべきものだろう。計画経済の概念がソ連の統制経済の失敗史にイコールで結びつけられ、ひたすら暗黒化されたイメージで押し固められていることは、社会科学にとって不幸であり、現代人の経済についての想像力を貧しくするものだ。これは、90年代以降に世界を席巻した新自由主義のイデオロギーの影響であり、経済というものは、公的政府が干渉しなければしないほどよい結果を導くのだという思想が刷り込まれたことの帰結である。人民元国際化を説明した日本のエコノミストの文章には、何度も「規制緩和」という語が登場するけれど、そもそも何もない更地の地面の上に制度を構築して行き、中国初の国際金融のシステムを組み上げて行ったのだから、これを「規制緩和」の語で論じるのは適当だろうか。

中国は資本主義の国であり、独自の市場経済を採用し推進している国である。そこには鄧小平の理念とイマジネーションがあり、社会主義市場経済という独自の地平を実現しようとした決意がある。その延長上に、ドル支配の国際金融体制を打破しようとするチャレンジがあり、現行の人民元国際化のプロジェクトがある。そして、そのモデルとして研究し模倣したのは戦後日本の経済政策の一つ一つだった。例えば、1970年代に青少年期を送った者なら、誰でも同じ思いだったのは、資本主義のいいところと社会主義のいいところと、両方を巧く取り入れた理想社会というものはないだろうかというナイーブな発想である。世界が原理的に二つに分かれて不毛に対立し抗争するのではなく、互いの美点と長所を学び合って、双方が自己改造し、高いレベルの理想社会へと止揚発展できないものかという素朴な思考だった。こうした純粋な願望と心情は、子どもだったわれわれが抱いていただけでなく、20世紀のポーランドという厳しい試練の地で生きたヨハネ・パウロ2世も等しく共有していたし、当時の米国で活躍した民主党の重鎮論客であるガルブレイスのコンバージェンス論の核心でもあった。資本主義と社会主義を足して2で割った新しい段階を、という想念は、プリミティブだけれども正論の哲学で、日常社会の中で誰もがその到来を希求していた理想論だったと言える。

前回、人民元国際化の動きについて、宿輪純一の記事を見ながら全体のアウトラインを把握していったが、ネットの中を検索して調べると、さらに内容が濃く情報が多い本格的な経済レポートが見つかった。三菱東京UGJ銀行経済調査室の萩原陽子によるレビューで、構成がよく、要点と数字がきれいに整理され、読者が知りたい関心事が専門家の知見の提供として簡潔にアウトプットされている。図表のレイアウトもいい。この13ページの資料を読んで順番に中身を理解すれば、人民元国際化の基本的知識が頭に入る。7年間、中国の金融経済の実務に携わった者たちは、複雑で大胆なオペレーションを実に多く矢継ぎ早に精力的にやっている。(1)人民元建て貿易決済の起動と拡延、(2)オフショア人民元センターの設置と拡充、(3)香港での点心債発行、(3)各国政府との資金スワップ協定の締結、(4)人民元による対外対内投資の解禁、(5)海外での外資銀と中国銀による人民元建て債券の発行、(6)上海自由貿易試験区の設立と金利自由化の試験先行、(7)シルクロード基金・BRICS銀行・AIIBの設立発足。これら諸施策は、7年前のリーマンショックの時点では、まだ何も目鼻がついてなかったものだ。プログラム全体を項目化して列挙すると、まさに怒濤の奔流の感があり、中国の官民が昼夜なくエネルギッシュに人民元国際化の事業を準備した状況が分かる。現場はスピード感に溢れている。

日本から見ると、中国経済の7年間は特に何も変わってないように映る。ただ、象のように図体が鈍くデカくなっただけで、GDP拡大に伴って格差が絶望的に広がり、PM2.5の大気汚染が末期症状になり、ブラックマネーが肥大化して破綻秒読みの危機となり、汚職官僚や富裕層が北米へ逃げ、海外への資金流出が加速しているという、ネガティブな要素だけで既成概念が作られて語られている。われわれは、中国の経済建設の実務現場を知らず、そこから目を背けていて、また、日本人が中国経済を悲観しているように、きっと中国人も中国経済を悲観していると思い込んでいるのだ。そうした決めつけを中国認識に被せ、歪んだ悲観論だけで全体を合理化して唯一の真実のように了解している。事実を見れば、そこにはプラスとマイナスの両面があり、深刻な問題を抱えながら、政府も人々も前向きに動いているリアルな中国の姿がある。中国を頭から全否定する意識からは見えないが、中国は7年間のプログレスの上に現在があり、ドルに代わって人民元を基軸通貨に据える夢へ13億人で歩いているのだ。(以下略)

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