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徽宗皇帝のブログ

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中学生レベルの基本知識で世界を考える
「泉の波立ち」から転載。
本来の題目は「フェアトレード」(貧困国救済のために、商品価格に貧困国援助分を上乗せした高額商品)の話だが、私はそちらには興味が無いので、私の興味を引いた「植民地におけるモノカルチャー(単品生産)」の問題の部分だけ抜き出してみた。
もちろん、ここで「植民地」と言うのは、アフリカなどでの「実質的植民地」のことである。そのほとんどは今では名目上は独立国だが、経済的には白人の支配下にある。その支配されている原因がモノカルチャーにある、ということを昔、中学校で習った記憶があるのだが、その当時は意味も分からなかったし、興味も無かった。
今になって考えると、あの時に世界経済の実相というものを教わったんだなあ、と思う。しかし、女の子のことしか頭に無い中学生に世界経済や政治を教えるのは、なかなか難しいことだ。その知識が有益だ、というのは大人になってやっと分かるのである。その意味では、私は「中学までの教育内容」は有益だ、と思う。高校以降の教育で普通人にとって有益なのは語学だけだろう。その語学には国語(日本語)も実は入る。国語ほど一生に亘って必要で、人生を豊かにしてくれるものはない。古文や漢文などもそうであり、けっして無益な知識ではない。
さて、話が横道に逸れたが、アフリカの「モノカルチャー」を下記記事は肯定的に書いているように読めるが、これは私の「中学生レベル」の知識には反する。単品生産をする限り、同じ作物を生産する国家の間で価格競争が起こり、値段は限りなく下がっていき、それらの国の経済レベルはどんどん低下していく、というのが私が教わったことであり、この100年以上のアフリカの全体的貧困はまさしくそれを証明していたはずだ。
で、そうした貧困国が、自己防衛のために、国家と国家の間に下記記事にあるような「生産者団体」を作るのは難しいだろう。もちろん「オペック」のように成功した例もあるが、石油のようなエネルギーとは違い、コーヒーのような嗜好品の場合は「まったく買わない」こともできる。資金力さえあれば、購入側(欧米企業)はいくらでも待機戦術ができるのだ。
したがって、コーヒーの場合は「生産者団体」を作る試みは瓦解する、と私は見る。国と国の間で、抜けがけや「スト破り」が起こるのは目に見えている。
であるから、これは出発点そのものが間違いなのであり、国家が商品作物だけに特化した農業をやること自体が間違っている、ということだ。自国民を養えるだけの食糧生産を行った上で商品作物の生産をやる、というのが正解であり、それをやらなかったためにアフリカは今でも西欧の実質的植民地なのである。
とまあ、中学校では社会科の劣等生だった私は中学校社会科レベルの知識で考える。



(以下引用)




まず、次の情報がある。
 ある年の場合、「キリマンジャロ」を栽培するタンザニアの生産者の取り分はコーヒー価格の 0.9%でしかない。
 コーヒーの価格形成には次のような三つの不公正が働いていると論じる。第一にその基準価格がニューヨーク先物価格という、投機的金融の影響を強く受けるものに規定されていること、第二に多国籍企業による買いたたき、第三に生産者価格と消費者価格の間に巨大な格差が存在すること。
( → 出典 )
 なるほど、0.9%というのは極端すぎる。ここではもはや市場原理がまともに働いていない、とすら言える。コーヒー豆を買いたたく多国籍企業の横暴がある、とも言える。
 とはいっても、多国籍企業が横暴だからといって、フェアトレードの団体が自分でやれば、さらにひどいことになる。善意はあっても、非効率さがまかり通り、横暴さを上回る被害をもたらす。(それは上記で示したとおり。)
 こういうときには、どうすればいいか? 買いたたきに対抗するには、昔から方法が知られている。「生産者団体を作って、価格協調をすること」である。(一種のカルテル。先にも述べた正真正銘のカルテルとはちょっと違う。)
 つまり、買い手の力が圧倒的に強いときには、売り手の力が対等になるように、売り手が生産者団体を作ればいい。先進国では、農協などの生産者団体があるが、それと同様のことを、途上国のコーヒー豆の農業従事者もやればいい。
 現実には、そういう動きがあれば、多国籍企業が弾圧して、さっさと解散させてしまうだろう。「そんなことをする奴からは買ってやらないぞ」と圧力をかけるだろう。(不公正取引。)
 だから、そういう不公正取引を排除して、生産者団体がきちんと結成できるようにすればいい。つまりは、労働者や中小企業の権利をきちんと認めればいい。独禁法違反となるような不当な弾圧をなくせばいい。
 ただし、こういうことを実現するには、米国流の資本主義でなく、社会主義的な(労働者保護の)方針が必要となる。そして、それは、日本ですらなかなか実現できなかった。小泉時代には労働者がどんどん虐待されるばかりだった。日本でさえできなかったことを、途上国にやらせるというのは、ちょっと無理があるかも。
 とはいえ、日本も今や、民主党政権ができた。労働者の権利も守られるようになるようだ。
 とすれば、その方針で、途上国のコーヒー産業が自立できるように、日本政府が助力してもいいだろう。

 とにかく、大切なことは、物事の基本原理を知ることだ。多国籍企業が「横暴だが効率的」という方針を取っているときに、「善意だが非効率」という正反対の方針を取っても、善意が空回りするだけだ。
 ここでは、多国籍企業の「効率的」という点を排除する必要はない。「横暴」という点を排除するだけでいい。そして、そのためには、途上国で「企業の横暴さ」がまかり通らないように、「生産者団体の結成」を助力すればいいのだ。
 われわれが出すべきは、フェアトレード商品を買うための金ではなくて、賢い知恵なのである。その知恵で、途上国にまかり通る悪(横暴さ)を排除すればいい。それだけのことなのだ。
 そして、それを理解しなければ、人々は「フェアトレード」という善意ある詐欺にだまされて、金を奪われるばかりだ。(エコキャップと同様で、1円を援助するために 20円を捨てる、という形。)
 「無駄な金を出すより、賢い知恵を出せ」ということは、あらゆる場合に当てはまる。
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 [ 補記 ]
 経済学的な話。
 実を言うと、コーヒー豆には「市場原理」というものが成立しにくい。
 そもそも食料品には、「市場原理」というものが成立しにくい。人の食べる量は一定だ。「価格が半分になったから2倍食べる」というようなことはない。需要は常にほぼ一定。そこで供給が変動すると、価格は急上昇したり急降下したりする。たとえば、キャベツが高値になることもあるし、安値になりすぎてブルドーザーでつぶすこともある。……こういうことは、多くの農産物で成立する。
 コーヒー豆も同様だ。となると、価格はどうにでも決められる。多国籍企業が農家に対して独占的な地位をもつことがあり、価格を一方的に押しつけることも可能になる。しかも、農家はそれを受け入れるしかない。他社が買ってくれるわけでもないし、他の換金作物が作れるわけでもない。
 ここでは「市場原理が働かなくなっている」という根本的な問題がある。そして、それを放置して、「善意で高値で買ってあげよう」というのでは、何ら解決にならない。

 ──


 [ 付記4 ]
 本来のあるべき姿を示す。それは、こうだ。
 「生産者が、生産者団体(農協)をつくる。そこで、農協ブランドのコーヒーを販売して、多国籍企業に対抗する」
 これならば、何も問題はない。多国籍企業が買いたたきをするなら、多国籍企業に販売する量を減らせばいい。当然、ネスカフェなどのシェアは減少して、工場が遊休して、大赤字になる。将来的には、倒産するかもしれない。それではたまらないから、ネスカフェなどは、工場の稼働率を上げるために、販売価格を上げる。
 だから、援助団体がなすべきことは、生産者団体(農協)を設立することなのだ。なのに、そうしないで、自分たちで事業活動をして、自分たちが金を懐に入れている。(事業費や人件費の名目で。)
 それだったら、援助団体は、多国籍企業と同じ穴のムジナなのだ。どちらにせよ、自分たちの懐を豊かにするために、生産者団体(農協)の設立を阻害している。悪質きわまりない。
 ただし、援助団体は、多国籍企業と違う点がある。多国籍企業は、生産者からの買値を下げて、生産者から搾取する。援助団体は、消費者への売値を上げて、消費者から搾取する。……これがつまり、「フェアトレードとは詐欺である」ということの本質だ。

( ※ 生産者団体を設立させるべきだ、というのは、一種の社会主義的な政策である。そして、それを嫌がるから、慈善事業ふうに自分たちで事業活動をして、遊び半分みたいに非効率に生産して、高値で売りつける。……これはまあ、有閑マダムのお遊びである。フェアトレードというのは、慈善事業ではなくて、慈善事業のフリをした遊びなのだ。そして、先進国の人々の慈善ごっこという遊びのために多額の金が奪われると、そのせいで、途上国の人々に回されるべき金が消えてしまう。)

( ※ とにかく、消費者は、フェアトレードの商品なんか、絶対に買ってはならない。1000円のものを 3000円で買うくらいなら、差額の 2000円を直接 ユニセフなどに送金するべきだ。そうすれば、金はちっとも無駄にならない。 一方、フェアトレード商品を買えば、金のほとんどは途中で消えてしまい、途上国に入るのはごく一部だけだ。だまされないようにしよう。)
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この記事へのコメント
 
はじめましてdaimongと申します。少々気になった点がありました。
> 結局、正しい政策は、こうだ。
> 「コーヒー豆をほんのちょっと高額(略)
> 「先進国の人々は、コーヒーの価格が上昇する分、損をする。しかし、その一方で、衣料品や雑貨などの軽工業製品が価格低下するので、差し引きすれば、得をする」

正に今の中国などがそうで、衣料品や雑貨のみならず相当付加価値の高い商品まで世界に輸出しまくっています。その結果先進国、特に日韓米などの一般労働者の生活レベルが低下傾向にあります。これでも先進国の人々が差し引き得をしているといえるのでしょうか?
Posted by daimong at 2009年09月14日 10:35

>その結果先進国、特に日韓米などの一般労働者の生活レベルが低下傾向にあります。これでも先進国の人々が差し引き得をしているといえるのでしょうか?

それは経済学の問題なので、「泉の波立ち」の話を読んでください。「中国 野口悠紀雄」などの用語で検索すると、見つかりそうです。何年か前に書きました。

簡単に言えば、「比較生産費」の問題です。低賃金の労働は、途上国に任せるべきであり、先進国では、高賃金の労働だけをすればいい。

一方、先進国で失業があふれているのは、先進国の経済政策が間違っているからです。自分たちの国内政策の失敗を、外国のせいにしてはいけません。

本来なら、「低賃金の労働は、途上国に任せるべきであり、先進国では、高賃金の労働だけをすればいい」というふうになるはずであり、日本は中国の製品を百円ショップで安価に購入できて、幸せになれます。ただし、それとは別の理由で、日本では高賃金労働のパイが縮小しました。それは、中国のせいではなくて、日本政府の責任です。日本政府がきちんとした経済政策をすれば、問題はすべて解決します。

例。中国製や台湾製のコンピュータ部品を使った製品が日本であふれているおかげで、人々は安価なコンピュータを購入できる。国内で生産すれば、馬鹿高値になる。日本がなすべきことは、馬鹿高値の部品を作ることではなくて、高付加価値の製品を作ることだ。そのためには、正しい経済政策を取ればいい。

あくまで経済政策の問題。「泉の波立ち」を参照。
Posted by 管理人 at 2009年09月14日 18:07
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ブログオーナー様
初めまして。フェアトレードに関してのご意見、興味深く読ませていただきました。書かれていらっしゃる事、ごもっともだなと思いました。発展途上国への支援の問題は本当に難しいですね。私は現在タイに住んでおります。タイ自体はすでに発展途上国を脱却し、発展途中国くらいになっているかもしれません。ただし、首都バンコクだけで、地方に行けばまだまだ途上国並みの生活をしている人々が多いように見受けられます。以前は地方に行くと子供の労働者が特にガソリンスタンド等では多く見受けられましたが、これも殆ど無くなってきたように見えます。アルバイトで働いているような若者はたくさんいますが。首都バンコクでも物乞い、信号で停車中の車に走りよってきて、無理に窓磨きをするような子供もまだまだたくさんいます。物乞いは主に北部からでてきた少数民族の人が多く見受けられます。タイ語で話しても通じなかったり、言葉の訛や顔でそのような事が判断できます。物乞いはたいてい乳飲み子を連れています。やはり大人の物乞いだけより、幼気な子供がいた方が施しを受けやすいのでしょう。聞く話によると大抵子供は売られてきたとか、レンタルされている等と友達のタイ人から聞きます。しかし子供の物乞いを見る度に考えてしまいます。施しをした方が良いかしない方が良いか。物乞いの子供も施しを受けなければ、その親か、働かせている悪人に食事をもらえないかもしれない。施せば、また物乞いをさせられる。どうしたものか。大抵は施さず、心の中でごめんねと言っています。私も金銭に余裕がありません。学校を建ててあげるのは個人としては無理です。団体になれば出来るかもしれません。しかし、団体になったとしても限度がある。それではもっと大きな単位で先進国として何が出来るのか。戦前は欧米諸国はアフリカ、アジアを植民地にしてきました。日本もそれに習ってアジアに出て行きましたが、少しやり方が違ったと思います。非植民地側としてはそうとは受け取れないでしょうが。お金のある国は国として指導しながらインフラや学校教育を整備してあげるのが良いのではないでしょうか。今日本も海外にたくさんの援助をしています。しかし、お金を出して何も口を出さずだと何に使われるかは分かりません。日本の企業は安い労働力を求めてアジアから西へ西へと進んでいきます。やがてはアフリカに工場を造らなければいけなくなるのでしょう。日本の工場も、欧米の工場とは少し違うようです。やはり有色人種同士だからか、欧米のような工場や労働者への扱いは出来ないようです。少なからず、現場はそうです。これも、欧米の植民地化制作と日本の植民地のやり方が違うのに少し似ているかもしれません。植民地は良くないですが、搾取を目的とする欧米諸国のような植民地化ではなく国民のイデオロギーを変えないようなインフラ、教育を指導できるような日本国を作るしかないのではないでしょうか。台湾のような、朝鮮のようなインフラ整備。そして国民の自立を目指した。長々と駄文失礼しました。
Posted by sakuragi at 2011年11月29日 18:47

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