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徽宗皇帝のブログ

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人権と「人間の値段」
「ネットゲリラ」氏が珍しく長文を書いていて、その内容もなかなか知識と教養がにじみ出ていて面白いので転載する。特にどこが面白いかと言うと、人間の値段の安さである。人間は商品でもある、というのは現代でも同じだろう。こうの史代の「この世界の片隅に」で、主人公の女性の出会った女郎が、「(子供は)困りゃあ売れるしね!」と言ったのを想起した。実際、ほんの二世代ほど前までは、そういう認識は珍しくもなかったのではないか。もう一つ思い出したのは、イタリア中世の女傑領主の話で、敵に捕らわれた彼女は、自分の息子を人質として差し出し、敵陣から脱出するが、その後すぐに敵への攻撃を開始する。怒った相手が、彼女の息子を目の前で殺すぞ、と脅すと、彼女は自分のスカートをまくりあげ、「そんなのはここからいくらでも産める。子供というのはこういう時のためにあるんだ」と言ったとか。
現代の人権意識からすると言語道断、という話だろうが、逆に、現代の意識で過去を見たり、あるいはおためごかしの人権擁護発言の裏に隠れた政治的意図を見逃すという誤りを我々はしばしばやっているのではないか。

蛇足だが、日本は江戸の幕末まで鎖国したために、西洋の侵略からかろうじて免れていた、という見方もできるわけで、私がしばしば「日本は鎖国すべきだ」と書いているのは、同じ考えによるものである。現代は国家による侵略ではなく、多国籍企業や国際金融、新自由主義思想による侵略だが、こちらの方が厄介である。



(以下引用)



Hungry?

野次馬 (2013年6月 7日 00:19) | コメント(10)





アジアでは、フィリピン以外の土地はみんな、それぞれの文化圏と国家を持っていた。なので、西欧諸国が手を引いたら割とすぐに国家を復興できたんだが、アフリカは違う。もともと部族単位で争っていて、ちゃんとした国家体制というのが形成されてないところに西欧が入り込み、部族の争いを利用して奴隷貿易を始める。奴隷貿易って、奴隷として売り飛ばす現地人がいて、始めて成り立つ物だ。西欧の連中が自分たちで奴隷を強制的に拉致したわけじゃなく、「買った」のだ。いわゆる「従軍慰安婦」と同じw 奴隷が売れるとなると、部族間の争いはますます激しくなる。やたら戦争を繰り返し、相手を捕まえて奴隷として売り飛ばす。その時代のアフリカではお金というのが普及してないので、奴隷と交換されるのはベネチア製のトンボ玉です。これ、アフリカでは今でも大量に出土する。藁で一連に纏められた状態でアンティーク市場に出て来るんだが、おいらが仕入れる価格というのは、一連で数千円です。大量生産の品物ではあるんだが、ベネチア以外では作れなかったので、アフリカの有力者はせっせと奴隷を「作って」交換した。おいらの持ってるだけでも、奴隷数十人分あるか。なんでも、一連で一人というのが相場だったらしい。まぁ、奴隷はアフリカだけじゃない、イギリスはマレー半島を開拓するに当たって、マレー人が嫌がって協力しないので、中国から奴隷を買って来て、労働力としてこき使った。代償は阿片です。金持ちや有力者が阿片の快楽に溺れるために、貧乏人を奴隷として売り飛ばした。今、シンガポールとかマレーシアにいる華人というのはその子孫です。100人のうち95人くらいまでは、猖獗の地でマラリアに倒れたが、生き残った連中が本国から妻を呼んで繁殖した。それだけじゃない、日本だって、鉄砲に使う火薬欲しさに、女子供を奴隷として売り飛ばしていたんだから、偉そうな事は言えない。信長が全国統一し、家康が鎖国してなかったら、日本もガラス玉欲しさに戦国時代を続けて、今ごろは日本人奴隷の子孫がアメリカの大統領になっていたかもw 





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