「馬鹿国民帝国日本の滅亡」から転載。
私が頭の中で朦朧と考えていることを明確に説明してくれたような文章である。
都知事(組織の頭)なんて誰がなっても同じだ、と言う人もいるかもしれないが、地方自治体トップの権限は、使い方によっては極端な独裁体制を作り上げることもできる、というのは橋下で証明済みである。
まあ、舛添にしても細川にしても官僚の操り人形にしかならないだろうし、当選後のシナリオも既にできているだろう。どちらが当選しても同じ話だ、と支配者たちは笑っているはずだ。本来なら、舛添と宇都宮との一騎打ちになっていた選挙を茶番に変えた戦略は、相変わらずの「分断工作」ではあるが、見事に今回も成功である。それでいながら、「一本化に応じて選挙から降りなかった宇都宮が悪い」「宇都宮のバックに共産党がいるのが悪い」という論法を振りかざすネット弁士たちは無数にいる。私はそういう連中にはほとほと愛想が尽きている。
もちろん、彼らの言説は小さなネット世界だけの影響しかないから問題にするほどの話でもないのだが。
今回の選挙は、そういうネット弁士や選挙応援有名人たちのリトマス試験紙となっただけでも、収穫はあったと言うべきだろう。
(以下引用)*前半略。
それで三度、今回の異様な都知事選について述べたいと思うのです。
戦時体制というのは、”負けたら大変”詐欺、”勝つまでの辛抱”詐欺です。
この「大変だ!」(恐怖アピール)と「勝ち負け」は、セールスや洗脳での常套手段。
おぼこい現代日本人には免疫がまったくできていないのか…
「脱原発」カルト翼賛選挙運動が、見事にできあがってしまった感があります。
「勝てる候補」…なんて言うのですが…
そーゆー考えでやってきたから都議会が自公だらけになったのではないの?
それを…「自公だらけの都議会相手に宇都宮では勝てない」などという…
マッチポンプじゃないですか…
じゃあ、細川なら勝てるのかというと、根拠はどこにもない。
第一選挙に勝ったとしても、「脱原発」をやる保証がない。
選挙とバクチの区別も日本人はつかなくなったのだろうか?
消費税に最初に言及した元総理である細川は新自由主義者だと言われています。
それでどうして「脱原発」になるのでしょう?
マルチにはまる人って…
「この前は商品が悪かった。今度は大丈夫」といって、懲りずに続けるらしいです。
「この前は小泉は間違えた。今度は反省しているから大丈夫」って、言ってますが…?
何度も言うように、いまどきはツイッター分析で、何を話題にすればウケるかはわかっています。
それを「細川が一番長く原発の話をしたから”脱原発”だ」などと思い込みも甚だしいのでは?
「勝たなきゃ意味がない」…?
そういう考えでやってきたから、今日の日本があるってことを、すっかり忘れています。
勝っても意味のない政治システムになっているのに、目先の勝利にこだわってどうするの?
勝負は水物。だから、確実なことをひとつひとつ積み重ねていかねばなりません。
そのためには、事実の共有、方策の共有がなければなりません。
いまだに「原発のコストが安い」とか、「反対してるのはサヨクだけ」とか、一般人が言ってるようでは「脱原発」は実現しません。
国民の程度が低いから、政治のレベルも低い。
国民の市民としてのレベルの底上げしか、救われる道はないのです。
バカこそが「敵」なのです。
それが…
「勝つため」の選挙と言った瞬間、政策論議、事実共有の作業が吹っ飛んでしまう。
「勝てる候補」と言った瞬間、人々の興味は「だれなら勝てるか」になってしまう。
政策の吟味は、どこへいったのか?
万民が、事実と方策を共有してこそ、だれが当選しても人民に奉仕せざるを得なくなる状況がうまれるというのに、その機会を翼賛派は、自ら潰しているのですよ。
まだ「人任せ」で、都合のいい「救世主」や「白馬の騎士」を頼みにするのですか?
選挙では…「人を選ぶ」のか?それとも「政策を選ぶ」のか?
「脱原発」というお題目をたくさん唱えることが”政策”だなどと思ってやしないですよね?
それから翼賛派は、「戦略」という言葉を使いますが、それは「自分たちがどうすべきか」なのであって、「相手がどうすべきか」なんて「戦略論」ではないですよ!
細川応援団は「戦略」と称して「細川に一本化しない宇都宮派が悪い」みたいに言います。
しかし、それは両陣営に対話が成立していて初めて言える言葉ですよ。
こういう論理矛盾を平気で並べていられる人たちを、私はまったく信用できません。
ファシズムは人々の力の結集を図るものです。
大衆を”釣る”ためなら、旗印はなんでもよい。
そこに勝負と物語と様々な感情を織り込んで盛り上げる…
その本質は”興業”であり、”陶酔”と”快楽”に人々を誘うものです。
感動と熱狂…「戦っている」という充実感…「勝った」という歓喜…
ちょうどソチオリンピックも始まって…舞台準備は万端…
それにしても…まあ…日本人ほぼ全滅みたいな様相ですね…
都知事選運動でファシズムを作り上げ、「戦争を回避する」って…サギの最たるものでしょう。
さて、ここで舛添を逮捕または起訴して、翼賛劇場は完成を迎えるってことなのでしょうか?
すべては”茶番”…嘘つきは日本人の始まり????
私が頭の中で朦朧と考えていることを明確に説明してくれたような文章である。
都知事(組織の頭)なんて誰がなっても同じだ、と言う人もいるかもしれないが、地方自治体トップの権限は、使い方によっては極端な独裁体制を作り上げることもできる、というのは橋下で証明済みである。
まあ、舛添にしても細川にしても官僚の操り人形にしかならないだろうし、当選後のシナリオも既にできているだろう。どちらが当選しても同じ話だ、と支配者たちは笑っているはずだ。本来なら、舛添と宇都宮との一騎打ちになっていた選挙を茶番に変えた戦略は、相変わらずの「分断工作」ではあるが、見事に今回も成功である。それでいながら、「一本化に応じて選挙から降りなかった宇都宮が悪い」「宇都宮のバックに共産党がいるのが悪い」という論法を振りかざすネット弁士たちは無数にいる。私はそういう連中にはほとほと愛想が尽きている。
もちろん、彼らの言説は小さなネット世界だけの影響しかないから問題にするほどの話でもないのだが。
今回の選挙は、そういうネット弁士や選挙応援有名人たちのリトマス試験紙となっただけでも、収穫はあったと言うべきだろう。
(以下引用)*前半略。
それで三度、今回の異様な都知事選について述べたいと思うのです。
戦時体制というのは、”負けたら大変”詐欺、”勝つまでの辛抱”詐欺です。
この「大変だ!」(恐怖アピール)と「勝ち負け」は、セールスや洗脳での常套手段。
おぼこい現代日本人には免疫がまったくできていないのか…
「脱原発」カルト翼賛選挙運動が、見事にできあがってしまった感があります。
「勝てる候補」…なんて言うのですが…
そーゆー考えでやってきたから都議会が自公だらけになったのではないの?
それを…「自公だらけの都議会相手に宇都宮では勝てない」などという…
マッチポンプじゃないですか…
じゃあ、細川なら勝てるのかというと、根拠はどこにもない。
第一選挙に勝ったとしても、「脱原発」をやる保証がない。
選挙とバクチの区別も日本人はつかなくなったのだろうか?
消費税に最初に言及した元総理である細川は新自由主義者だと言われています。
それでどうして「脱原発」になるのでしょう?
マルチにはまる人って…
「この前は商品が悪かった。今度は大丈夫」といって、懲りずに続けるらしいです。
「この前は小泉は間違えた。今度は反省しているから大丈夫」って、言ってますが…?
何度も言うように、いまどきはツイッター分析で、何を話題にすればウケるかはわかっています。
それを「細川が一番長く原発の話をしたから”脱原発”だ」などと思い込みも甚だしいのでは?
「勝たなきゃ意味がない」…?
そういう考えでやってきたから、今日の日本があるってことを、すっかり忘れています。
勝っても意味のない政治システムになっているのに、目先の勝利にこだわってどうするの?
勝負は水物。だから、確実なことをひとつひとつ積み重ねていかねばなりません。
そのためには、事実の共有、方策の共有がなければなりません。
いまだに「原発のコストが安い」とか、「反対してるのはサヨクだけ」とか、一般人が言ってるようでは「脱原発」は実現しません。
国民の程度が低いから、政治のレベルも低い。
国民の市民としてのレベルの底上げしか、救われる道はないのです。
バカこそが「敵」なのです。
それが…
「勝つため」の選挙と言った瞬間、政策論議、事実共有の作業が吹っ飛んでしまう。
「勝てる候補」と言った瞬間、人々の興味は「だれなら勝てるか」になってしまう。
政策の吟味は、どこへいったのか?
万民が、事実と方策を共有してこそ、だれが当選しても人民に奉仕せざるを得なくなる状況がうまれるというのに、その機会を翼賛派は、自ら潰しているのですよ。
まだ「人任せ」で、都合のいい「救世主」や「白馬の騎士」を頼みにするのですか?
選挙では…「人を選ぶ」のか?それとも「政策を選ぶ」のか?
「脱原発」というお題目をたくさん唱えることが”政策”だなどと思ってやしないですよね?
それから翼賛派は、「戦略」という言葉を使いますが、それは「自分たちがどうすべきか」なのであって、「相手がどうすべきか」なんて「戦略論」ではないですよ!
細川応援団は「戦略」と称して「細川に一本化しない宇都宮派が悪い」みたいに言います。
しかし、それは両陣営に対話が成立していて初めて言える言葉ですよ。
こういう論理矛盾を平気で並べていられる人たちを、私はまったく信用できません。
ファシズムは人々の力の結集を図るものです。
大衆を”釣る”ためなら、旗印はなんでもよい。
そこに勝負と物語と様々な感情を織り込んで盛り上げる…
その本質は”興業”であり、”陶酔”と”快楽”に人々を誘うものです。
感動と熱狂…「戦っている」という充実感…「勝った」という歓喜…
ちょうどソチオリンピックも始まって…舞台準備は万端…
それにしても…まあ…日本人ほぼ全滅みたいな様相ですね…
都知事選運動でファシズムを作り上げ、「戦争を回避する」って…サギの最たるものでしょう。
さて、ここで舛添を逮捕または起訴して、翼賛劇場は完成を迎えるってことなのでしょうか?
すべては”茶番”…嘘つきは日本人の始まり????
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