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徽宗皇帝のブログ

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人間の多様性を認める社会
「ユルネバ!」から抜粋転載。
昨日の「車の無い町」と通底する話である。単なるニッチ(隙間)産業の話ではなく、文明の今後の進むべき方向についてのヒントだ。
要するに、これまでの産業(ひいては社会全体)は一般大衆の「最大公約数」、あるいは「同じように考え、同じように感じる大多数」を対象としてきたが、今後は、「人間はそれぞれ考えも感じ方も違う」ということを大前提として教育や産業を構築していく必要があるのではないか、ということだ。それは、別の言い方をすれば、「勝ち負け」や「数の大小」だけで判断する、という従来の価値観を見直すべきではないか、ということだ。
たとえば、内向的(消極的)な人間は価値が無く、外交的(積極的)な人間は価値がある、というのが現在の学校教育に埋め込まれた価値観であることは多くの人が認めるだろう。だが、思慮深い人間は消極的であることが多いものだ。外部の状況が分からなければ動くことをしないのだから、思慮深い人間が消極的になるのが、或る意味では当然だろう。つまり、真に優れたリーダーは、案外消極的なものだ、という見方もできる。もちろん、毎秒ごとに変化する現実に対処するには、どこかで踏ん切りをつけて行動に移るしかない。ただ、暴勇を積極性として高く評価しすぎてはいけない、ということだ。ところが、現在の学校教育に埋め込まれた価値観では、内向的(あるいは消極的)な人間には居場所が無く、劣等感を感じながら生きていくことになる。
以上は、私の考えではなく、内向性の価値の見直しを説く、ある講演動画の書き起こしを私流にアレンジしたものだが、人はそれぞれ違うし、その価値の優劣をあまり強調しすぎてはいけない、ということである。
現在の入試のように、1点の差で、ある学校に入れるか入れないかが決まる、というのもおかしな話であり、その入った学校名で一生の待遇が決まる、というのはもっと理不尽な話だろう。
これは、同一の価値観による人間の輪切り、ということがこの社会で普通に行われているからである。
私は「みんな違って、みんないい」というフレーズは、あまりに「全肯定」的すぎてあまり好きではないのだが、「みんな違っていてもいい」というのなら、それは素晴らしい社会だろう、と思う。


(以下引用)



 でここから個人的な映画の内容と関係ない感想。
 わたしどうも子供の頃から「3D視」の能力が低いみたいで、
「わあ凄い飛び出てる!」
というのに、もちろん理解はできるのですが、感動が無いんです。
 少し前にニンテンドー3DSのデビューと相前後して薄型TVでも3D訴求の激しかった時期がありましたが、何うじゃく度も覗いては観たものの
「はぁ……」
という感じです。
 なんと言いますか、手前・中・奥ぐらいの三層レイヤー構造ぐらいに見えて、舞台劇で手前に茂みや木の大道具があって人間が動いてて奥が書割、みたいな。

 なので、日本公開前からたいへん評価の高い本作の3D映像と(撮影・CG技術もさることながら、宇宙空間での内容もこれ以上無いぐらい向いている)、おそらく現在最強の再生環境であるIMAXとが組み合わされば、あるいは僕の3D観をひっくり返してくれるのか……と期待して行ったのです、が、
 結果は変わらず(笑)

 で、これで無理だったらたぶん永遠に無理なんで、僕が「3Dだから」にプレミアムを払うことはもう無いと思います。
(もちろんあからさまに画期的な技術が出現すれば別)

 たぶんその「リアリティ」という感覚にはボトルネックがあって、それが今までは視覚だったんですけど、3Dになると視覚以外、例えば加速度とか、振動とか、になるんじゃないか、と妄想しました。
 視覚でビューンと動いてる時に加速度感じないともうそこで「はい嘘ー」と「身体が」判断してしまう。
 だからむしろそんな場合は、視覚が3Dの方がリアリティを失うことも、理論的にはありうる。

 というわけで、さっき言いましたTVの3Dがイマイチ盛り上がらないのは
「対応コンテンツが無い」
「メガネが要るからだ」
「画面が暗くなったり、技術的にまだ未成熟だ」
などなどいろいろ言われていますが、僕思いますに僕みたいな3D能力の低い(むしろ高い?(笑))人間が実は相当な割合、2割とか3割とか居て、その人達にはまったく魅力になってない、のかもしれません。
 さらに過敏方向の方ももちろんおられて、すぐ酔っちゃうからダメ、となるとそっち側も何割か削られてしまうと、実は人類の半分ぐらいの人しか(現在の技術における)「3D視」に魅力というか意味合いを見いだせない、のかも。

 今まで技術というのは基本的には「どなたでも幸せ」(幸せの定義がまた大変ですが)な物だったと思うのですが、人間の感覚に寄ってくればくるほど「引っかからない」人が増えてきて、難しくなるのかな、と思った一件でした。
 映像なら他にも4Kに8K、音響ならハイレゾ、「データ量を増やせば……」という商品企画が続いていますが、どうなんでしょう?

 というより、「美味しい」とか「美しい」とか、人間の感覚というものは普通そうで、ようやく視覚技術がその領域に辿り着いた、とも言えるかもしれません。




(徽宗補注)前説の中に書いたのは、下のスーザン・ケインの講演のことである。非常に素晴らしい内容なので、多くの人(特に、教育関係者)に読んでもらいたい。


小田嶋隆 @tako_ashi 3月4日

御意。 RT このような論調がもっと出てくる必要がありますね。→スーザン・ケイン: 内向的な人が秘めている力 | デジタルキャスト





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