「混沌堂主人雑記(旧題)」から、「逝きし世の面影」記事を孫引き転載。
私は、現代の感覚や常識で過去の人間を断罪するというのはナンセンスだと思うが、「過去に学ぶ」意味では、過去のネガティブな事実を参考にするのは大いに結構だと思う。
ついでに言えば、夏目漱石の「こころ」の中での「先生」の死は、乃木希典の明治天皇への殉死に衝撃を受け、その影響の下での自殺であり、いわば「殉死の殉死」と言えそうな面がある。つまり、それが当時の時代精神のひとつであったのであり、それを「今の常識」で批判するほど愚劣なことはない。それで言えば、江戸時代の「武士の常識」も「庶民の常識」もすべて批判の対象になるが、そういう批判は現代人の優越心を満足させるだけで、数十年後には今の常識が「過去の愚劣な心性」となるのである。
念のために言えば、立憲民主党党首の泉健太はかなり馬鹿で品性も低いだろうと私はその顔から判断しているが、政治家の大半はそんなものだ。顔で言えば、鳩山由紀夫が一番品のある顔をしている。私財を投じて民主党を作っただけでも偉いものである。
(以下引用)
私は、現代の感覚や常識で過去の人間を断罪するというのはナンセンスだと思うが、「過去に学ぶ」意味では、過去のネガティブな事実を参考にするのは大いに結構だと思う。
ついでに言えば、夏目漱石の「こころ」の中での「先生」の死は、乃木希典の明治天皇への殉死に衝撃を受け、その影響の下での自殺であり、いわば「殉死の殉死」と言えそうな面がある。つまり、それが当時の時代精神のひとつであったのであり、それを「今の常識」で批判するほど愚劣なことはない。それで言えば、江戸時代の「武士の常識」も「庶民の常識」もすべて批判の対象になるが、そういう批判は現代人の優越心を満足させるだけで、数十年後には今の常識が「過去の愚劣な心性」となるのである。
念のために言えば、立憲民主党党首の泉健太はかなり馬鹿で品性も低いだろうと私はその顔から判断しているが、政治家の大半はそんなものだ。顔で言えば、鳩山由紀夫が一番品のある顔をしている。私財を投じて民主党を作っただけでも偉いものである。
(以下引用)
逝きし世の面影 より
上記文抜粋
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「軍神」乃木希典と立憲民主党
WHAT IF I TOLD YOU
泉健太 午前0:04 · 2023年1月1日
新年明けましておめでとうございます。 2023年(令和5年)本年も、皆様どうぞよろしくお願いいたします。
逢坂誠二 12月31日
令和4年の大晦日、函館乃木神社で大祓式と除夜祭に出席しました。ウクライナ戦争、参院選挙中の元総理銃殺、円安、物価高、コロナ禍など激動の1年となりました。祭典後の挨拶で、これらに言及しながら今年の大晦日はとても大切である旨の話をさせて頂きました。
逢坂誠二衆議院議員(5期目)元立憲民主党政調会長、現在は立憲民主党代表代行(★注、泉健太立憲民主党代表も1月1日の午前零時にtweeterしているので野党第一党の立憲民主党最高幹部連中は2022年の大晦日に「軍神」乃木希典将軍を参拝していた)
前川喜平
明治天皇に殉死した長州閥の軍人を神と崇める行為。無自覚なのか意図的なのか知らないが、これにより失う支持者は、得られる支持者より多いだろう。
鈴木 耕
この人、ほんとうに世の中が分かっていない。乃木希典将軍は「軍神」ですよ。軍神にお参りする野党代表。自分の党の支持者がどう思うかがまるで分っていない。私なら、もしお参りしたとしても、こんなツイートはしないなあ…。
泉健太 1月4日「乃木神社に参拝したら軍国主義に追従すると批判されても仕方ない」とか、もう酷いもんだ。そうした考えの方がよっぽど危険。 私は過去の歴史に学ぶし、教訓にもする。乃木神社創建の経緯もある程度は知っている。でも当然だが、軍国主義者ではない。 本当に失礼な話。
想田和弘
過去の歴史に学ぶなら、政治家が乃木神社や伊勢神宮に参拝し、しかもそれを公言することには、とても慎重にならざるをえないと思います。泉さんの姿勢は、野党第一党である立憲民主党が、今まさに進行中の日本の政治の大政翼賛化の歯止めになりえないのではないかという疑念を募らせます。
@SaYoNaRaKiNo
立憲泉健太がテレビ出演し「初詣の際に何が祭神かをことさら気にして参拝する人ばかりではない」と主張。統一教会関連団体とは知らなかった、という自民党議員の釈明方法を広げて適用した形だ。また「多くの方にツイートをご覧いただけた」とも。極右へウイングを伸ばす狙いだったのかもしれない。
なぜ天皇は国民に崇敬されるのか?「軍神乃木将軍」が果たした役割とは 島薗進『神聖天皇のゆくえ』より
なぜ天皇はかくも大きな存在になったのか。象徴天皇制への移行によって天皇がもつ宗教性はどこまで変わったのか。近代日本において天皇崇敬が促されていった過程を整理し、宗教学から天皇を読み解く『神聖天皇のゆくえ』より、乃木希典将軍について語った一節を紹介。天皇のためにわが身を捧げる軍人が理想的人格として讃えられる際、圧倒的に強力なモデルとなったのが乃木希典だった。神聖天皇が広く国民に共有される明治末以降、軍神乃木将軍の果たした役割とは?
乃木希典と旅順攻略戦
乃木の天皇崇敬は長州萩の松下村塾の尊王の志士たちを育てた吉田松陰(1830~59年)の「天下は万民の天下にあらず、天下は一人(天皇)の天下なり」という一君万民思想とも近く、水戸学などの尊王攘夷の思想をそのまま引き継いで、その殉死にともなって天皇の忠臣としてのエピソードが新聞などで盛んに取り上げられ、情的で濃厚な忠誠心というものが国民の心に強く刻まれていく
日露戦争から乃木が凱旋入京したのは1906(明治39)年の1月14日。直ちに皇居に参内し、明治天皇に対し「復命書」を奏上。旅順攻略と奉天会戦での戦績を淡々と述べた後、まことに感動的に自らの感懐を述べる
死を覚悟した突撃を命じた乃木
戦闘より脚気で死ぬ兵士も多かったようですが、旅順攻略戦以来、乃木軍は全部で数万人が死にました。
旅順攻略戦の最終段階で乃木は白襷隊(特別予備隊)という3000名の部隊を組織。夜間に刀と銃剣をもって敵陣に責め込む攻撃隊に対する乃木の訓示は次のようなものでした。
今や陸には敵軍の大増加あり、海にはバルチック艦隊の廻航遠きにもあらず。国家の安危は我が攻囲軍の成否によりて決せられんとす。この時にあたり特別予備隊の壮挙を敢行す。予はまさに死地に就かんとする当隊に対し、嘱望の切実なるものあるを禁ぜず。一死君国に殉ずべきは実に今日に在り。希(こいねがわ)くは努力せよ。
乃木は整列する将兵の間をめぐり歩き、滂沱の涙を流して握手し、ただ「死んでくれ、死んでくれ」と言った。これは特攻隊に通じるもので日露戦争のとき、すでに特攻隊の基盤ができています。
明治天皇への乃木の宗教的心情
明治天皇は乃木に学習院の院長就任を命じました。「お前の子供二人はいなくなったのだから、お前には別の子供たちを与える」という情のこもった温かい処遇です。(★注、日露戦争後は学習院院長として明治天皇の孫のヒロヒト(迪宮裕仁親王 後の昭和天皇)の教育を受け持ったが、日本は未曾有の破壊と殺戮の後に崩壊しているのですから、乃木希典は軍人として駄目だった以上に教育者として最悪の人材だった)
乃木は明治天皇に対して二人称的な親しさ、またたいへん情的で美談にふさわしい関係をもっていた。かつては親分子分的とか浪花節的とか形容されたような情的な上下関係が人々の心に沁みたのです。乃木の天皇への親愛の情は、妻とともに自害した自邸で発見された乃木の辞世の歌にもよくあらわれています。
神あがりあがりましぬる大君(おおきみ)のみあとはるかにをろがみまつる(奉悼)
うつし世を神去りましし大君のみあとしたひて我がゆくなり(辞世)
「奉悼」は明治天皇の葬儀にあたってその死を悼む歌、「辞世」は自らが世を去る思いを詠んだ歌。いずれも宗教的な響きの強い歌で、わが身を捧げる献身的な軍人乃木希典の人物像は、日本の軍隊の宗教性を強める上で大きな役割を果たしました。
乃木は「天皇の軍隊」を構成する軍人・兵士の理想とされ、一般国民にも乃木大将を理想とする見方が広められます。また。乃木殉死の衝撃によって日本の軍隊は、乃木が天皇への宗教的忠誠心を象徴するものと見なした軍旗を御真影と同様の神的なもの、聖なるものとして遇するようになりました。日本の軍隊に広まっていくこうした宗教的傾向は明治天皇の死によって、またそれに続く乃木の殉死によってさらに高まったのです。わが身を犠牲にして戦うことをすべての兵士に求めるようになるのも、旅順攻略作戦が素晴らしいこととして伝えられ、教えられていったことが一つの要因になりました。
乃木大将と軍国美談
当時、日露戦争の旅順要塞の攻略戦で多くの戦死者を出した乃木希典の評価は大きく割れていました。しかし、殉死の後、世論は圧倒的に乃木賛美に流れていき、9月18日に赤坂の乃木邸から葬儀が行われた青山斎場に向かう行列にはたいへんな数の人々が集まりました。その後も乃木邸を見にくる人があり、そばに乃木を軍神として祀る祠ができて多くの人が参拝しました。そして1923(大正12)年に自邸の隣りに乃木神社が創建されます。明治神宮に明治天皇・昭憲皇太后が神として祀られた3年後のことです。
乃木希典は国定教科書の「軍国美談」とよばれるものの中でも、第二期(1910~17年)から第五期(1941年~45年)まで、もっとも長期にわたり頻繁に取り上げられたものとなりました。これまで尊皇物語で人気の忠臣には『太平記』の楠木正成がいましたが、南北朝時代の正成はさすがにも古いので、その人気が乃木希典へと継承されていったともいえます。
天皇のためにわが身を捧げる軍人や将兵が理想的人格として讃えられる際、圧倒的に強力なモデルとなったのが乃木希典でした。(軍国美談と教科書)楠公を尊んだ幕末期の尊皇論や国体論は、少数の武士らのもので、神聖天皇が広く国民共同体に共有される明治末以降の段階では、軍神乃木将軍の果たした役割は国定教科書だけではなく、通俗修養講和や講談、そして映画等を通して、「乃木神話」は強力に国民生活に浸透。乃木将軍の軍国美談は、皇道を掲げる大正維新や昭和維新の運動の基盤となる神聖天皇崇敬の欠かせない一部となっていったのです。
(抜粋)
韓国製反日カルト宗教「統一協会」とズブズブの関係の与党自民党と瓜二つの相似形だったのが野党第一党の立憲民主党(常時ヤクザとカルトの連合体「救う会」の青バッジ姿の泉健太代表)
町山智浩
乃木将軍が妻を殺した疑いは昔からあって、山上たつひこの『光る風』もそれを描いてましたね。
渡辺淳一は著書「乃木希典夫妻の生涯 静寂の声」で、静子夫人はその日、殉死するつもりはなかったが、乃木希典に強いられ脅され殺害された、と描いているようですね…。妻殺害疑惑を拭えない男を神と崇めることは…どうにも釈然としない
乃木希典の母、寿子も「せがれの側で死ねるなら思い残すことはない」と言い台湾に同行し、到着からわずか40日後にマラリアに罹り、台湾で亡くなってるんですよね…家族間ではありますが”一将功成りて万骨枯る”という言葉が脳裏をよぎります
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