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徽宗皇帝のブログ

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公教育をどう変えていくか
現在の教育から「入試のための学習内容」を削減したら、中学高校の授業内容は半減する。そうすれば、余剰人員が出て、かえって教育産業では人員が不要になるのではないか、という疑問が当然出てくるだろう。
そうではない。第一に、その半減した内容を教えるのに、これまでの倍の時間が使えるから、生徒に詰め込み教育をしなくてもよくなるのだ。生徒に十分に理解させながらカリキュラムをこなすことができるということだ。ここで参考になるのが、雁屋哲氏がオーストラリアのシュタイナー学校に子供を通わせた経験である。そこでは、教師が生徒全員を自分の子供か幼い兄弟であるかのように親密に教え、生徒は自分の頭で物事を考えることを学ぶという、日本の公教育ではありえない教育がなされている。それはマスプロ教育ではなく、手作りの教育なのである。そうした教育を行うには十分な人員と予算が必要である。
さらに、私が考える教育である、「社会人として必要な知識と技能の形成」を行うには、これまでのような「英数国理社」に偏った教育内容ではいけない。たとえば、自動車運転の技能などは、社会人として必要な技能だろう。それならば、それを公教育の中で行うべきである。あるいはパソコン技術もそうだ。後者はすでに部分的には高校教育に入っているが、まだまだ不十分だ。あるいは、社会人として必要な法律知識も公教育の中で教えるべきである。法学部に行った人間しか法知識がない、というのでは困るのである。国民に「推定無罪の原則」程度の法知識さえないから、マスコミと検察が共謀して罪の無い人間を社会的に抹殺するという暴虐がまかりとおるのである。

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