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徽宗皇帝のブログ

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共謀罪という凶暴法案
自由法曹団のサイトの「共謀法」の説明である。長いので、特に大事なポイントだと私が思う部分だけ転載する。
要するに、犯罪の事実が無くても、「思想(計画、と言ってもいい)段階で取り締まる」法律だから、とんでもなく恣意的な拡大が可能だ、というのが共謀罪の最大の問題点だろう。私など「安倍氏はいい人だから、ぜひ天国に行ってほしい。」とブログに書いただけで、安倍暗殺を計画した、とされて逮捕、死刑にされるのではないかwww なお、「俺はあいつが大好きだ。だからさっさと天国に送ってやろう」は、シェークスピアの「リチャード三世」に出て来る名台詞。 




(以下引用)




Q3 共謀したかどうかは、どうやって調べるのですか。

いまの捜査では役に立たない


 刑事訴訟法は、すでに行為が行われ、結果が発生した犯罪の捜査と犯人の検挙を目的とする捜査方法に限って認めています。憲法で保障された人権を侵害することを必要最小限にするために、捜査機関の権限をしばっているのです。
 ところが、犯罪の実行がある前の「意思の連絡」自体を把握し記録するためには、「意思の連絡」をしあう場所や通信手段をおさえなければなりません。これまでの捜査方法では対応できません。
 そこで登場するのが、盗聴と内部通告者です。


盗聴法のモンスター化


 1999年に犯罪捜査のための通信傍受に関する法律が成立しました。通信の秘密を定めた憲法のもとで初めて警察の盗聴を合法化する法律です。犯罪と無関係な会話も盗聴できる仕組みがつくられ、市民のプライバシーを危うくするものとして、国民の批判が大きく高まりました。その成果として、対象犯罪を薬物・銃器・組織的殺人にしぼる、対象犯罪が発生した後であることや対象犯罪に関連する事項を内容とすること、令状の有効期間を10日間とすることなどの歯止めがかかっています。
 ところが「共謀罪」の捜査は、これから犯罪がおこるかもしれないことを追跡するものであり、そもそも特定の事件を想定すること自体ができません。この盗聴法でも役立たないのです。
 使える盗聴法とは何でしょうか。それは、令状は特定の事件を単位に発布するという原則をとっぱらって、警察が怪しいとにらんだ特定の人物の使用する通信手段を、数ヶ月の期間、24時間、リアルタイムで盗聴し、記録することです。米国では、すでに反テロ法のもとで、人物さえ特定すればその人物が用いるあらゆる電話の盗聴が可能となっています。
 もうひとつは、口頭会話盗聴の合法化です。これは開放された場での会話を密かに傍受し記録することを合法化するだけでなく、住居・事務所等に隠密に侵入して盗聴器を仕掛け、室内での会話を傍受することを合法化することを含めてのものです。わが国で通信盗聴法案をめぐって攻防がなされていた時期に、ドイツでは室内会話盗聴を合法化するための基本法改正案が国会にかけられ、激論の末に成立しました。わが国でも盗聴法を推進した人たちは、口頭会話盗聴の合法化も憲法上許されるとの主張をしています。


卑劣なスパイ横行


 共謀罪法案では、実行の着手前に警察に届け出た場合は、刑を減免することになっています。犯罪を未然に防止するということが立法理由と説明されています。しかし、このしかけはでっち上げに悪用されるおそれがあります。権力機関が、市民団体のなかにスパイを送り込み、犯罪にふれることをたきつけ、その相談の様子をテープにとって、内部通告者のように警察に届け出ることもあり得ます。治安維持法の時代、思想を取締る特高警察はスパイの養成を治安対策の柱にしていました。このようにして捕えられた対象者は、苛烈な方法で、徹底して自白を強要されました。
 いずれにしても、警察の権限は大幅に拡大・強化されるでしょう。


Q4 なぜ、共謀を処罰してはいけないのですか。

人間の自由は限られた場合にしか制限できない


 近代憲法のもとでは、人は生まれながらに基本的人権を享有します。国家権力がある人の自由を制限できるのは、ある人が自由にふるまうことが、他の人の自由と矛盾・抵触するため、それらを調整する必要があるときに限られます。これを刑罰についていうと、国家が刑罰権を発動しうるのは、その人が社会に対して害悪をもたらす行為をした場合に限られる、ということです。
 これは2つの内容をもっています。1つは、処罰の対象はあくまで「行為」に限られることです。単にある考えや思いをもっているという、「行為」としてあらわれていない段階では、国家が人を処罰することは許されていません。もう1つは、その「行為」が社会に対して「害悪をもたらす」ことが必要だということです。そうでない限り、人はどのような「行為」をしようとも自由であり、そのことに国家刑罰権が干渉すべきいわれはないのです。


刑罰にしばりをかける人権の力


 封建時代の刑法は、特定の思想・信条を有していることを直接の処罰の対象としました。ヨーロッパ中世における異端審問などがそれです。日本では、絶対主義的天皇制下において、治安維持法など、思想それ自体を処罰する法律が猛威をふるうこととなりました。
 近代憲法は、こうした歴史を重く受け止めて、基本的人権として思想・信条の自由を確立し、人はその思想・信条ゆえに差別されてはならず、国家はその自由を侵してはならない、としました。この憲法原則を受けて、刑法思想においては、いかなる思想・信条であろうと、それをもっていること自体を処罰してはならないとの考え方が、導かれることとなりました。
 さらに、外部にあらわれた「行為」ならばどのようなものでも処罰できるとすれば、国民の自由は著しく制約され、基本的人権の保障という近代憲法の基本原則と真っ向から反することとなってしまいます。そこから、社会に害悪をもたらす行為だけを犯罪として扱うべきだ、という考え方が導かれることとなりました。「社会に害悪をもたらす」というのは、他人の生命、身体、財産などに被害をもたらし、もしくはその危険を発生させることです。


刑法の大原則では


 日本の刑法では、何らかの被害が発生したときに限りそれをもたらした行為を処罰するのが原則です。未遂罪、すなわち被害発生の危険は生じたが、被害発生には至らなかった場合には、刑法にとくに規定がある場合に限り処罰されます。危険が生ずるとは、差し迫った危険の発生と解釈されています。判例では、例えば、お金を盗むために他人の家に入っただけでは、まだ窃盗の未遂罪は成立しません。家に入り、財布を探すためにタンスに近づいても、まだ未遂罪ではありません。タンスの引き出しをあけるなどの物色行為があってはじめて未遂罪が成立するのです。人を殺すために、毒入りウィスキーを小包で発送しても、まだ殺人の未遂罪ではありません。その小包が被害者のところに届いたときに、はじめて未遂罪が成立するのです。
 共犯の場合、「共謀共同正犯」といって、犯罪の実行行為を分担しない者でも、「共謀」に加わっただけで、実行行為によって発生した結果につき、処罰されます。たとえば、殺人の謀議に加わった暴力団の親分は、自分ではピストルを発射しなくても、子分がその謀議を実行するためピストルを発射し、人が死亡すればその結果について、殺人罪として処罰されます。しかしこの場合も、実際に被害が発生するか、もしくはその切迫した危険が発生しない限り、処罰されることはありません。


内心を狙う共謀罪


 共謀罪は、「共謀」が成立しただけで処罰をするというものですから、被害の発生も必要がなければ、その差し迫った危険の発生すら必要ではありません。それは単に心の中で思ったこと、考えたことを処罰することに近づきます。それゆえ、いかなる思想・信条であろうと、それをもっていること自体を処罰してはならない、という原理を骨抜きにする内容をもっています。さらに、被害の発生、もしくはその差し迫った危険を発生させることすら必要とせず、人を処罰をすることは、社会に害悪をもたらす行為だけを処罰するべきだ、という原理を形骸化することとなります。
 これらの刑法の基本原則がたたかい取られるまで、人類がいかに多くの無辜の人々の血を流したかを思えば、さしたる立法事実もないまま提案された今回の法案には、重大な疑義があります。 

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