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徽宗皇帝のブログ

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内乱最小化の原則
「人生は冥土までの暇つぶし」というブログに載っていた「月刊日本」という雑誌から引用された文章である。私が、天皇制というのはもしかしたら優れて未来的な政治システムではないか、と思う理由がここに書かれている。「内乱最小化の原則」とは、私流に言えば、「権威」が「権力」の暴走にストップをかけるシステムのことだ。
この「内乱最小化の原則」は日本の歴史によって明確に実証された、と私は信じている。たとえば、太平洋戦争の敗戦処理が平和裏に終わったのは、日本人の皇室尊重の念に由来するところが大きいだろう。つまり、天皇が、戦争は終わりだ、と言ったからピタリと戦争が終わったのである。それが無ければ、日本本土でのゲリラ戦が延々と続き、日本は焦土になっていたかもしれない。昭和天皇の戦争責任問題とは別に、この「一言で国家が大きく動く」という天皇の権威というものは、実は、愚民政治、大衆操作政治になりがちな民主主義の補完機構になりうるものとして考察に値すると思う。
山本太郎の「天皇直訴」を自民党政治家たちがキチガイみたいに非難したのは、山本太郎の行為が、まさにこの、目には見えない日本のシステムを顕在化させることを恐れたからである。
今、のんびりと書いている「国家改造論」の基本思想の一部がここにあるので、とりあえずメモしておく。

パソコンが正常に使えるようになったのでブログを再開したが、以前のように頻繁な更新はしないつもりである。まあ、この古いパソコンが完全に壊れるまで、細々と、不定期に更新するが、終わる時は、断り無しになるかと思う。



(以下引用)



ここで有史以来のわが国の統治の跡を辿ってみる時、いかなる時代の変化に際しても、「国民相搏つ内乱の悲劇を最小に抑える」という「内乱最小化の原則」が現れていることに気が付く。

これこそわが皇室の不朽の統治理念ではあるまいか、と推察するのは私だけであろうか。つまり、「皇室が敢えて親政を避け有力政治勢力を選んで大政を委任する」わが國體の本義は、権力者が創めた政体の備品、すなわち「時の官僚」が、自らを変革することが原則として不可能との先験的知見に基づくことを洞察しないでは、畢竟わが国史の理解はムリかと思うのである。

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コメント

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