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徽宗皇帝のブログ

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労働運動の堕落・衰退と「すき家の乱」
「播州武侯祠遍照院」さんのブログで知った「両生歩き」というブログからの転載である。
筆者はオーストラリア在住の日本人で、こうした海外からの視点というのは、日本という閉鎖空間にいる我々にとって非常に示唆的な内容を持つことが多い。
労働運動の堕落は日本でも同じことで、「連合」の大企業や政権との癒着ぶりは目に余るものがあるが、(連合による春闘など、プロレス興行と同じである)本来の労組というものが労働者の権利を守るためにどれほど重要なものかは言うまでもない。ストライキやロックアウトなどの過激な行動も、労組側の言い分にまったく耳を貸さない経営者側と戦うためには必須の手段なのである。それらの闘争なくして、労働者の待遇改善は無かったはずだ。そして、世界的に労働者の権利が再び低減させられつつあるのが現状であるが、それは、経営者側が団結して政治をそう動かしてきた結果であるだけでなく、労働運動を労働者自体が軽視し、あるいは蔑視してきた結果だろう。

日本では「すき家」での集団同時罷業(昔風に「逃散」と言うのがぴったりだが)で、「すき家」は大打撃を受けているらしいが、店舗や設備の改装には何億という金を平気で使うのに、労働者の待遇改善にはまったく金を出さす、労働者をロボット以下の奴隷的存在と看做す経営者の姿勢は「すき家」だけではなく、今の日本や世界に瀰漫している。その結果起こるのは、大昔のローマの奴隷剣士たちの反乱、「スパルタクスの乱」にも似た、奴隷的労働者の反乱だろう。世界ではもうすでにその種のデモがたくさん起こっている。「すき家の乱」が、日本でのその嚆矢となれば面白い。

*「すき屋」を「すき家」に訂正しました。何しろ、外食はしないので、名前もよく知らなかった。(笑)


(以下引用)


  ある歴史的断末魔

   熱力業風景(その14)


 


ほぼ一年ぶりの当風景ですが、いまオーストラリアで、ひとつの歴史の終焉を見る思いの出来事が展開されています。それは、ある意味で、先進国のいずれの国にでも見られるものとも言え、労働者が団結力をもって達成してきたその究極の頂点であるはずの世界が、金、癒着、悪徳にまみれた堕落界に陥ろうとしているシーンです。


働く人々にとって、極めて悲劇的なその断末魔を見せているのは、まず、CFMEUという建設・資源関係の大手労働組合です。


その堕落の伝え聞く主な実態にはこういったものがあります。


現役の労働組合役員が、交渉相手であるはずの企業と結託し、争議をおこさぬ密約と引き換えに個人的に金品を受け取り、他方企業はその労務平安をたてに、大プロジェクトの受注をはかるというものです。


あるいは、引退したかっての労組役員が、組織暴力団とつるんで労働者派遣会社を設立し、建設、運輸、警備などの産業に進出、労働市場の規制緩和や民営化の受け皿として暗躍しています。


また、医療関係労働組合では、幹部役員で後の国会議員が、組合公務用のクレジットカードを乱用し、私的飲み食いはおろか、常習に買春まで行っていたというものです。


さらには、上記建設・資源労組の元幹部役員は、ニュー・サウス・ウェールズ州の労働党政府と結託し、非公式に地下資源事業開発許可を法外に安く取得し、引退後、その利権で莫大な利益を得たりもしています。彼は国際労働運動面でも名の知られた人物であっただけに、その行為がもたらしたダメージには計り知れないものがあります。


アメリカでも、チームスターズという運輸関係の労働組合が、ギャング組織と一体であることは有名な話です。


こうした醜態は、労働組合がその活動の目的を金銭的獲得にのみ捕らわれた結果、ある意味で、なるべくして陥ってゆく必然的な落とし穴です。


その行き過ぎをチェックすべき資本主義の生み出した鬼っ子であるはずの労働組合が、その同じ穴のむじなと化した話ともいえます。


また、こうしたスキャンダルは、政権を奪還した保守政府に逆用され、規制緩和という名のもとに、従来の労働者の権利がはく奪されてゆく展開も、これまた定石ともいうべき発展です。


先に、「『労使関係クラブ』の復活」という記事を掲載しましたが、1901年の連邦国オーストラリアの誕生以来のこの国の重要な国是が、経済のグローバル化と労働組合運動のこうした堕落によって、その柱を腐らせてきています。労働者の健全な労働条件なしに健全な企業発展もないどころか、まともな国の骨格も、こうして金にまみれて、骨抜きとされつつあります。


つまり、かく至りついた醜悪な歴史発展の結果、健全な労使対立を国の制度の基盤のひとつとして保護・規制・裁定するオーストラリアの労使関係制度が、その前提を失い始めています。


 


いまや、伝統的かつ公式の組織や制度や慣行は、こうして信頼性を失いつつあり、経済の健全性を維持するためには、こうした公式の組織から野に下り、そういう意味では、“非公式”かつ“民間”の、良識ある諸人材の組織化が不可欠となっています。


こうした混乱と変動の時代になればなるほど、必要な事業現場の実務を健全に図ることは待ったなしです。そこでは、時代の汚名にまみれず、不必要な逸脱や損失を回避するには、選りすぐられた当事者の協力態勢を築くことを求めるしかありません。


この流動の時代に、その「選りすぐり」を、ありうる限りベストな形で現実に提供する、そういうコンサルタント機能が必要で、それを目指しています。





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