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徽宗皇帝のブログ

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原発ゴールドラッシュの後に
一日に何度も更新するのが私の悪い癖だが、やはりこういうニュースは記録しておきたい。まあ、「ネットゲリラ」を読んでいる人には今更のニュースではあるが、この中にはいろいろな情報が詰まっている。たとえば、原発で潤った町が、土地の老人の百歳の祝い金に100万円を渡すとか、他の土地では考えられない狂った金銭感覚になっていたことなどだ。原発に関しては、ジャーナリストや文化人が原発擁護のニュアンスの、軽い文章を書いたらそれだけで500万円の原稿料とか、原発地元の箱モノはほとんど東電の金で作られ、それに何億、何十億と出しているとか、ほかにもいろいろ聞いている。
原発受け入れに反対した地元の人間もいたはずだが、そういう人たちはおそらく村八分状態だったのではないかと推察する。
金というものは人間をキチガイにする、ということだ。


(以下「ネットゲリラ」より引用)


電力マフィアの手羽先になっているTV局では絶対に流せないネタなんだが、物凄い内部告発です。事故が起きた福島第一原発の近所に住んで、東京電力の「モニター」までやり、東京電力の社員家族とも付き合いのあった女性なんだが、田舎のオバチャンによくあるようなオシャベリで、それだけに脚色なく、延々と一時間にわたって愚痴を垂れ流しているというインタビュー映像です。まぁ、素人なので、2号機爆発の真相がどうのとか、そういう話ではないんだが、もっと根本的なところで原発の本当の姿というのを見せてくれます。





「東京電力の原発が来たために、日本で一番金持ちの町だ、ということで、みんな、ありがたいと思っていた」
物凄い勢いでカネをバラ撒いて、地元を篭絡して行く東京電力。近隣の農家が雇われての建設作業からそれは始まる。ニワカ作業員たちは、雨が降るといわきの繁華街で豪遊し、財政が豊かになった町は、百歳のお祝いに100万円を配るというバブルぶりで、そんな中、この人も「女性モニター」として雇われる。モニターとは何かというと、全国各地の原発を視察して歩き、繰り返し「原発は安全です」という神話を叩き込まれる、というお仕事らしいw で、それだけ原発と東京電力に依存して生活していた地元民たちなんだが、地震と津波で全てが変わる。

最初は何の情報もないまま、ただ町の広報で「原子炉から3km離れるように」という指示だけで逃げたんだが、そのうちラジオから入ってくる情報で10kmになり、あちこち避難所を点々とするんだが、まったく情報は入らない。そんな中で、この女性はたまたま幼児を預かるという仕事をしていたわけで、預っていた子供たちの安否確認の電話をかけまくるんだが、やっと一件だけ繋がったのが東京電力職員の妻だった。

それが、何と、地震の起こった11日に、家族で栃木県に逃げていた、というのだ。
「東電社員たちは、あれだけの地震が起こったのだから、原子炉が危ないことを知っていたはず。で、他の人には教えないで、自分たちだけ逃げてましった。
その子の母親が、避難した先の栃木から、危険だから早く、そこから逃げたほうがいいですよ、と私に言っていた」

「その東電の社員は、現場の重要なポストにいた人なのに、機械の運転も放り投げて、自分たち家族だけは、誰にも知らせないで逃げてしまった。
あまりの無責任さに、驚きと憤りを感じている」
亭主は、福島第一原子力発電所でも重要なポストにいた人物だというんだが、地震の直後、仕事を投げ出して家に戻ってしまった。そして家族を引き連れて、その日のうちに栃木まで逃亡してしまったというんだから、ここんとこは追求される必要がありますね。

そういえば、二階堂.comでも、3月11日当日、郡山で飲んでいた社員の話というのが出て来るんだが、多くの社員は地震直後に現場から逃げていたわけです。まして、管理職が逃げたというコトになると、「津波の前から原子炉は壊れていた」というおいらの推測が当たっている、というコトですね。予備電源が津波で失われたのが、事故の原因だ、と東電は主張しているんだが、何のことはない、その前からとっくに壊れていて、だからこそ、社員が逃亡しているわけだ。

まぁ、菅直人や枝野が、この段階でそんな状況を知るはずがないです。東電の本社はどれだけ把握していたのかね? 知らないでは通らないんだが、まぁ、知らないフリして、電源が、電源が、と寝言ほざいてたわけだ。電源なんか来たって、そもそも配管が地震で壊れているものが、まともに動くわけがない。だからこそ、津波前に社員が逃亡しているんだが、こうして正確な情報をどこにも出さないままで現場は逃亡し、事態は刻々と悪化していく。誰にも止められない。

もし、この段階でとれる手段があるとすれば、それは廃炉を覚悟で海水を投入する事しかなかったんだが、現場から責任者が逃亡してしまって下っ端しか残ってないのでは、とてもそんなコトは望めませんね。で、現場では誰も責任をとる人がいないまま、カウントダウンの時が刻々と過ぎて、水素爆発の15日を迎える。

つうか、そもそも地震の起きた日には、東電の会長さんはマスコミを接待しての中国旅行のまっ最中ですw 社長の清水は関西に出張。11日には既に、原子炉が制御不能であるコトが判っていたのに、素早い対応が取れなかったというのは、そこら辺の、東電全社あげての無責任体質が大きいわけだが、無責任な事では官僚たちも引けを取らないですねw

当初、原子力安全・保安院の職員たちは、原発からおよそ5km離れたオフサイトセンターで待機していたんだが、水素爆発の起きた15日の午前には、さっそく50km離れた郡山市に退避、一部の職員は福島まで逃亡して一週間帰って来なかった。彼らは何が起きているのか把握していたわけだ。

で、インタビューの女性はその頃には家族と会津若松まで逃げて、避難者の足元につけ込んでボッタクリ価格で値上げした東横インに宿泊、当分戻れそうもないので大阪に来た、というわけです。この間、東電側からの世話も指示も何もなし。原発を作るときだけは、あれだけカネをバラ撒き、甘言を弄して騙したものの、イザ、事が起きてしまえば知らんぷりは酷い、と訴えるわけだが、ある意味、今まで美味しい思いをしてきた地元民というのは被害者であるとともに加害者でもあるわけです。

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