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徽宗皇帝のブログ

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咎無くて死す、とはならないように祈っているよ
「板垣英憲のブログ」から転載。
私も小沢を大石内蔵助にたとえた文章を書いたりしたが、やはり同じようなことを誰でも考えるものだ。
しかし、面白いねえ。下手なテレビドラマより現実のドラマのほうが面白いのだから、政治経済に興味を持たない人ってのは、人生をかなり無駄にしているよ。
まあ、そんな呑気な事が言えるのはこちらが天井桟敷や平土間の観客だからで、演じている当人たちは人生を賭け、場合によっては命を賭けたドラマである。ある意味、これぞよくこの世にうまれけり、という痛快な生き方である。羨ましくもある。
とにかく、観客の9割9分は小沢内蔵助とその一党を応援しているのだから、野田上野介の首を早く取ってくれ! いや容貌で言えば吉良上野介にぴったりなのは仙石(あるいは経団連の御手洗)なのだが、連中は今回は黒子役である。まあ、黒子も一緒に叩き斬ってくれ!
若い人のために蛇足的に解説すれば、引用文中最後の都々逸の「実があるなら」は「ミがあるなら」じゃなく「ジツがあるなら」で、「誠意があるなら」ということ。「今のうちに小沢新党に参加しないと、バスに乗り遅れるよ。流れが小沢グループに傾いてからは、雪崩を打ってみんな馳せ参じるのだから、その時には遅いって」という趣旨である。


(以下引用)


小沢一郎元代表の今回の離党・新党結党の動きでも、一旦、盟約を交わした者のなかから、やはり脱盟者(脱落者)が出てきた。約310年前の「忠臣蔵」と同じである。大石内蔵助は、お家再興の努力を重ねていたにもかかわらず、望みが叶わないと判明したとき、「江戸の急進派」である堀部安兵衛らも京都・円山に招き、会議した。

ここで、吉良邸討ち入りを決定したうえで、大高源五と貝駕弥左衛門に同志のところを回らせて、神文血判の誓紙を返却させた。盟約者は120人に膨れ上がっていたが、仇討ちする気のない者が大半を占め、結局、誓紙の返却を拒否する者が50人残った。討ち入りを目前に控えた元禄15年(1702)12月2日、大石内蔵助は、集まった50人から新たに神文血判(いわゆる3回目のテスト)を得て、綿密な「討ち入りの心得覚書」を示した。これが本物の「血盟的同志」となったのである。

ところが、このなかからも脱盟者が出た。酒色に溺れた田中貞四郎、討ち入り直前に逐電した瀬尾孫左衛門、討ち入り3日前に口上書を残して姿をくらました毛利小平太の3人である。結局、討ち入りを決行したのは、47人となった。この「忠臣蔵」でもわかるように、決意や覚悟を守り続けるのは、極めて難しい。

小沢一郎元代表の離党・新党結党の場合も、同様であった。6月26日、衆院本会議で消費税増税法案採決で反対票を入れた57人のうち、小沢派45人が小沢一郎元代表に離党届を預けていた。ところが、山岡賢次元国家公安委員長が7月2日、輿石東幹事長に渡した離党届は、40人分だった。脱盟者、5人を出していたが、その直後、辻恵衆院議員(大阪17区)と階猛衆院議員(岩手1区)の2人が、離党届の撤回を申し込んで認められた。脱落者は計7人となった。

亀井静香元建設相が「政界再編のゴングが鳴った」と述べているように、討ち入りギリギリのときの脱落であった。脱落者たちは、官房機密費から1人当たり「600万円をもらった」と言われており、カネのために「盟約」を破り、転んだと見られている。現代の大石内蔵助である小沢一郎元代表は、離党・新党結党の盟約からの脱落者を見極め、血盟的同志を厳選し、討ち入りを敢行する。高杉晋作は「実があるなら今月今夜一夜明ければ、だれも来る」と詠んでいる。
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/bb7acf5374d4620e47e5906548b5c627
 

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