「ニューズウィーク」電子版の池田信夫コラムから転載。
池田信夫は経済については的外れな発言をしてばかりいるが、実は東京大学経済学部の出であり、これは下記記事にあるように「大学で学んだことはまったく役に立たない」という彼自身の意見を実証しているようだ。だが、役に立たないのは東大の授業内容だけ、あるいは経済学という学問の内容だけかもしれない。
まあ、そのあたりの突っ込みは池田信夫の天敵である南堂氏あたりに任せることにしよう。もっとも、南堂氏が「経済学」そのものを否定することはまず考えられないし、私も経済学そのものは面白いものだと思っている。この世は金で動いているのだから、金の動きや仕組みを考察することが面白くないはずはない。駄目なのは政治家御用達となった御用「経済学者」であり、経済学という学問ではない。
で、下記記事によると大学、特に文系学科の大学での授業内容は社会に出てまったく役に立たないというわけだが、それは高校の授業だって同じことであり、高校が大学予備校となっている限りは高校の授業内容はただ大学受験のための勉強でしかない。まあ、中学までの授業内容が完全に消化できていれば、一般社会人としては十分である。つまり、義務教育が中学までであるのは、まったく正しいというわけだ。後は、余裕のある家庭は子供を高校・大学まで進ませてもいいでしょう、というだけのことである。それで生涯賃金が変わるのだから、その3年間・4年間・6年間の投資は無駄ではないだろう、ということだ。
しかし、企業からすれば大学は「採用予定者の学力・能力判断」の機能しか持っていないのだから、大学卒業資格など無意味であり、必要なのは「大学に入る能力がある」ということなのだ。つまり、大学入学さえすれば、後の4年間を遊んで過ごした連中より、大学入学直後のフレッシュな人材をそのまま企業採用したほうがずっと会社の戦力になる、というわけである。
まあ、一理ある考えだが、大学4年間が無駄になるか有意義になるかは人それぞれだ。4年間引きこもりをしてネットばかりやっていても、ネットを大学代りにして偉大な教養を身につけることもできる。
要は本人の志次第だということだが、まあ実際には大学時代を遊んで過ごす人間が多いだろう。大学は自分で自分を律することができない人間には有意義なものにはならない場所である。
(以下引用)
。「ユニクロ」を経営するファーストリテイリングの柳井正社長は、大学1年で採用する方針を表明した。すでに今年の4月2日に、内定を出したという。この社員は在学中は店舗でアルバイトをし、卒業と同時に正社員になる予定だが、4月3日に退学して正社員になったほうがいい。ユニクロの年収は300万円ぐらいなので、4年間で1200万円になる。大学の授業料は私立だと3年分で400万円以上になるから、大学を中退して就職すれば、合計1600万円以上も得になる。
こういう雇用慣行は、昔はあった。外交官には大卒の資格が必要なかったので、外交官試験に在学中に合格した学生は中退するのが普通で、外務省では「大学中退」がエリートだった(今は外交官試験が廃止されたので普通の公務員と同じ)。しかし、これは役所が「大学で4年間勉強しても社会では役に立たない」と考えていることになる。それなら高校生は、なぜ多大なエネルギーをかけて受験勉強するのだろうか?
それは大学がシグナリングの機能をもっているからだ。企業が労働者を採用するとき、誰の能力が高いかを判別することはむずかしい。面接しても誰もが「私は能力がある」とアピールするので、優劣がつけにくい。こういうとき多くの人が合格に多大な労力をかけ、点数で序列がはっきりしている入学試験があれば、卒業した大学を見るだけで学力試験をしなくてもいい。
つまり学歴は「私は**大学の入学試験に合格できる能力がある」というシグナルを出しているだけで、4年間の勉強は企業にほとんど評価されていないのだ。世界銀行などの調査でも、経済成長に教育のもたらす効果は統計的に有意ではなく、特に大学教育はほとんど寄与していない。しかし大学に進学することによって生涯賃金は上がり、高卒との収益率の差は拡大している。これは学歴のシグナリング機能によって、いい職につけるからだ。
だから大学は第一義的にはシグナリングの装置であり、大学進学は私的には収益率が高いが社会的には浪費だ、というのが多くの実証研究の結果である。もちろん高度な技術を身につける場としては意味があるが、そういう学生は理科系の一部である。一般教養を学ぶ場も必要だが、それは社会に出てからでも身につく。
特に日本の企業は、文科系の大学で何を勉強したかは問わず、専門とは無関係の部署に配属して社内教育で人材を育成する。長期雇用でいろいろな仕事をさせるためには、大学の専門なんか意味がなく「コミュニケーション能力」や「バイタリティ」があればいいのだ。もちろん元気だけよくても頭が悪いと使い物にならないので、それは学歴が重要なシグナルになる。
だから大学1年の4月に採用するユニクロは「日本の大学にはシグナリング装置としての意味はあるが、教育機関としては意味がない」と宣告しているのであり、残念ながらそれは正しいのだ。形骸化した就職協定なんかやめて企業が自由に採用し、「大卒採用」をやめて「大学合格」を入社の条件にすれば、就活は大学1年に繰り上がり、採用が内定した優秀な学生から中退するようになるだろう。そのとき大学教育の内容が本当に問われる。
池田信夫は経済については的外れな発言をしてばかりいるが、実は東京大学経済学部の出であり、これは下記記事にあるように「大学で学んだことはまったく役に立たない」という彼自身の意見を実証しているようだ。だが、役に立たないのは東大の授業内容だけ、あるいは経済学という学問の内容だけかもしれない。
まあ、そのあたりの突っ込みは池田信夫の天敵である南堂氏あたりに任せることにしよう。もっとも、南堂氏が「経済学」そのものを否定することはまず考えられないし、私も経済学そのものは面白いものだと思っている。この世は金で動いているのだから、金の動きや仕組みを考察することが面白くないはずはない。駄目なのは政治家御用達となった御用「経済学者」であり、経済学という学問ではない。
で、下記記事によると大学、特に文系学科の大学での授業内容は社会に出てまったく役に立たないというわけだが、それは高校の授業だって同じことであり、高校が大学予備校となっている限りは高校の授業内容はただ大学受験のための勉強でしかない。まあ、中学までの授業内容が完全に消化できていれば、一般社会人としては十分である。つまり、義務教育が中学までであるのは、まったく正しいというわけだ。後は、余裕のある家庭は子供を高校・大学まで進ませてもいいでしょう、というだけのことである。それで生涯賃金が変わるのだから、その3年間・4年間・6年間の投資は無駄ではないだろう、ということだ。
しかし、企業からすれば大学は「採用予定者の学力・能力判断」の機能しか持っていないのだから、大学卒業資格など無意味であり、必要なのは「大学に入る能力がある」ということなのだ。つまり、大学入学さえすれば、後の4年間を遊んで過ごした連中より、大学入学直後のフレッシュな人材をそのまま企業採用したほうがずっと会社の戦力になる、というわけである。
まあ、一理ある考えだが、大学4年間が無駄になるか有意義になるかは人それぞれだ。4年間引きこもりをしてネットばかりやっていても、ネットを大学代りにして偉大な教養を身につけることもできる。
要は本人の志次第だということだが、まあ実際には大学時代を遊んで過ごす人間が多いだろう。大学は自分で自分を律することができない人間には有意義なものにはならない場所である。
(以下引用)
。「ユニクロ」を経営するファーストリテイリングの柳井正社長は、大学1年で採用する方針を表明した。すでに今年の4月2日に、内定を出したという。この社員は在学中は店舗でアルバイトをし、卒業と同時に正社員になる予定だが、4月3日に退学して正社員になったほうがいい。ユニクロの年収は300万円ぐらいなので、4年間で1200万円になる。大学の授業料は私立だと3年分で400万円以上になるから、大学を中退して就職すれば、合計1600万円以上も得になる。
こういう雇用慣行は、昔はあった。外交官には大卒の資格が必要なかったので、外交官試験に在学中に合格した学生は中退するのが普通で、外務省では「大学中退」がエリートだった(今は外交官試験が廃止されたので普通の公務員と同じ)。しかし、これは役所が「大学で4年間勉強しても社会では役に立たない」と考えていることになる。それなら高校生は、なぜ多大なエネルギーをかけて受験勉強するのだろうか?
それは大学がシグナリングの機能をもっているからだ。企業が労働者を採用するとき、誰の能力が高いかを判別することはむずかしい。面接しても誰もが「私は能力がある」とアピールするので、優劣がつけにくい。こういうとき多くの人が合格に多大な労力をかけ、点数で序列がはっきりしている入学試験があれば、卒業した大学を見るだけで学力試験をしなくてもいい。
つまり学歴は「私は**大学の入学試験に合格できる能力がある」というシグナルを出しているだけで、4年間の勉強は企業にほとんど評価されていないのだ。世界銀行などの調査でも、経済成長に教育のもたらす効果は統計的に有意ではなく、特に大学教育はほとんど寄与していない。しかし大学に進学することによって生涯賃金は上がり、高卒との収益率の差は拡大している。これは学歴のシグナリング機能によって、いい職につけるからだ。
だから大学は第一義的にはシグナリングの装置であり、大学進学は私的には収益率が高いが社会的には浪費だ、というのが多くの実証研究の結果である。もちろん高度な技術を身につける場としては意味があるが、そういう学生は理科系の一部である。一般教養を学ぶ場も必要だが、それは社会に出てからでも身につく。
特に日本の企業は、文科系の大学で何を勉強したかは問わず、専門とは無関係の部署に配属して社内教育で人材を育成する。長期雇用でいろいろな仕事をさせるためには、大学の専門なんか意味がなく「コミュニケーション能力」や「バイタリティ」があればいいのだ。もちろん元気だけよくても頭が悪いと使い物にならないので、それは学歴が重要なシグナルになる。
だから大学1年の4月に採用するユニクロは「日本の大学にはシグナリング装置としての意味はあるが、教育機関としては意味がない」と宣告しているのであり、残念ながらそれは正しいのだ。形骸化した就職協定なんかやめて企業が自由に採用し、「大卒採用」をやめて「大学合格」を入社の条件にすれば、就活は大学1年に繰り上がり、採用が内定した優秀な学生から中退するようになるだろう。そのとき大学教育の内容が本当に問われる。
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