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大学進学への都会と田舎の文化格差

阿部幸大という人の記事の一部である。都会と田舎の文化格差(あるいは情報格差)が田舎の人間の大学進学を困難にしている、という内容だが、字数(容量)の関係で一部のみ転載。
私自身も、大学進学時に「赤本」の存在も知らず、チャート式数学には難度による種類分けがあることも知らなかった。つまり、私の住んでいた土地には大学入試への情報がほとんど無い状態であり、教師に相談する考えなど頭から無かった。相談してもたぶん無駄だっただろう。で、めでたく浪人を繰り返し、大学に入っても学力不十分で落第を繰り返したわけである。まあ、高校時代にちゃんと勉強しなかったのが悪いと言えばそれまでだが、私には、大学でやっていくにはこれだけの勉強(学力)が必要という知識が無かったのだから、努力のしようもない。現在のようにセンター試験という「合理的な解法や勉強法が存在する試験」で選抜され、二次試験用には赤本がある、という時代でも、田舎では案外そのことすら知らない高校生もたくさんいるのではないか。
なお、赤本は知らなかったが、自分が受ける大学の過去1,2年分の入試問題はなぜか入手できたような気もするが、その程度の情報では対策も立てられなかったような記憶がある。

余談になるが、大学で学びたいという意思を持つかどうかにも都会と田舎の差は大きい。つまり、都会のように周囲の人間のほとんどが大卒なら、単なる世間体だけでも大学に行きたいという人間が多くなるのは当然だし、大学進学志望者が多ければ大学合格者数も増えるのは理の当然である。もっとも、進学校などに入って勉強に追いまくられる青春時代が幸福かどうかは別の話だ。田舎のヤンキーやDQNの中にもちゃんと勉強していれば東大くらい入れる頭脳の素質を持った人間は大量にいたと思う。あるいは、なまじスポーツの才能を持っていたために、「道を誤った」優秀な頭脳の持ち主もいただろう。


(以下引用)


私が主張したいのは、「貧富の差よりも地域格差のほうが深刻だ」ということではない。そうではなく、地方には、都市生活者には想像できないであろう、別の大きな障害があるということである。



田舎では貧富にかかわらず、人びとは教育や文化に触れることはできない。



たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。



もちろん、文化と教育に無縁の田舎で幸福に暮らすのはいい。問題なのは、大学レベルの教育を受け、文化的にも豊かな人生を送れたかもしれない田舎の子供たちの多くが、その選択肢さえ与えられないまま生涯を過ごすことを強いられている、ということだ。



「文化的」とは、おそらく、いまあなたが思い浮かべている次元の話ではない。たとえば私が想定しているのは、わからないことがあればひとまず「ググる」という知恵があり、余暇の過ごし方として読書や映画鑑賞などの選択肢を持ち、中卒や高卒よりも大卒という学歴を普通だと感じる、そういったレベルの話である。



この記事は、以下のツイートの拡散をきっかけに執筆依頼を受けて執筆している。



私は社会学者ではない。田舎から運良く東京の国立大学に進学できたので、上記のような格差と落差を、身をもって体感した一個人にすぎない。



だがこのような格差の紹介は、日本ではまだまだ驚きをもって受けとめられている――つまり十分に認識されていないようなので、私のような経験者がひとつの実例を提出してもよいだろうと考えた次第である。



そしてこの「十分に認識されていない」という事実が、逆説的にこの格差の大きさを物語っているように思われる。






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