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徽宗皇帝のブログ

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大衆が同朋を憎悪し、同朋と争う仕組み
あいば達也の「世相を斬る」から転載。
現在の世界の状況と、それに至った経緯をコンパクトにまとめていて、新年に際し心を落ち着けて世界を概観しておくのにちょうどいい。

各国で右翼勢力が伸長するのは、その国の経済停滞や中下層の貧困化が背景にある。つまり、経済的に苦しむ人々の攻撃が社会上位層に向かわないように「幻想の敵を与える」という操作が経済的支配層による中下層民右翼化操作なのである。
かつては右翼の敵は社会主義と共産主義だった。だが、今やその二つは政治的には無力化している。したがって、右翼的マス(塊・大衆層)に上から与えられる「敵」は近隣諸国や宗教的対立国、そして移民・国内在住外国人・仮想的寄生層とされることが多い。
日本での橋下の「公務員叩き」は公務員が仮想的寄生層であり、片山さつき等の「生活保護叩き」は生活保護受給者が仮想的寄生層であるわけだ。これは石原の中国ヘイト言動と同根なのである。つまりは国民右翼化操作だ。
もちろん、彼らは「偽右翼」であり、真の右翼は別だ、と言うべきかもしれないが、「真の右翼」はマスコミ的には無力である。それに「真」も「偽」も当人たちやその支持者が主張するだけで、外部の者には区別はつけ難い。
橋下や片山らの仮想的寄生層叩きによって国内は憎悪に満たされる。しかもそれは中下層による中下層憎悪である。被害は上にはけっして及ばない。その上、本当の経済的衰退の原因である「先進国内の購買意欲低下」「労働者全体の所得低下」はまったく改善されないのだから、残されるのは憎悪だけに満たされた社会である。
この流れはまだしばらくは続きそうな予感が私にはある。

デビッド・アイクは「すべては選択の問題だ。愛を選ぶか恐怖を選ぶかの」と言ったが、日本国民は「愛と恐怖の選択」において恐怖を選択するのだろうか。私は公務員叩きや生活保護叩きにおける同朋憎悪の感情の醜さにいつも唖然とするのである。
憎悪は憎悪を生み、争いは争いを生んでいく。争う者たちだけが傷つき、血を流し、それを操作した大金持ちやその使用人たち(政治家・官僚)は、その肥った腹を抱えて大笑いをするわけだ。



(以下引用)



世界の政治の全体像を眺めていると、これが世界の潮流だと言い切れるものがないのです。国家自体の主張の腰が定まっていないのです。中道左派的政党が中心になる国もあれば、核廃絶を標榜しながら、自由と民主主義の為に軍事戦略を練っている国もあります。民主主義風を装い、実は政敵を本当に抹殺する国もあるし、司法組織を繰り出して、政敵の政治活動を妨害する国もあります。その妨害行為に途中からタダ乗りして、権力闘争に利用する国もあります。年がら年中抗争に明け暮れ、何時になったら機関銃の音が聞こえなくなるか判らない国もあります。

 一つだけたしかに新しい胎動ではないかと思われるのが、極右的思想を持つ政治勢力が一定の力をつけ、国民から支持を得ている点だと思います。フランスにおけるルペン候補に一定の支持が集まっていたし、アメリカのティーパーティーも右派的ですし、日本の安倍首相も右派的です。イスラエルや中東諸国の場合は年中無休で戦闘的であり、なにがどのようになっているのかさえ判らないのが現状です。判っている事は、東西冷戦構造と云う判りやすい二項対立構図が崩れ、予想通りのカオスな世界が訪れたと云う事でしょう。或る意味で、世界中を巻き込むような大戦争の結果生まれた東西冷戦構造と云う副産物が世界の平和を保っていたのは皮肉なものです。

 善かれ悪しかれ、先の冷戦構造は社会主義(共産主義)と自由主義(資本主義)イデオロギー的対立軸が安定していたわけですが、社会主義、共産主義が経済的繁栄を齎さないイデオロギーであったことから、徐々にその力を失っていったわけです。そして一時、自由主義、資本主義が束の間の栄華を誇ったわけですが、対立軸を失ったイデオロギーなんてものは、虚ろなものです。今度は、その仲間内で競争をするようになりますが、同じ土俵で争うわけですから、睨みあいの冷戦という構図ではなく、喰うか食われるかと云う構図に変化してしまいます。

 この喰うか食われるかの同根な土俵で戦うのに有利な戦法は、徹頭徹尾に資本主義を貫くと云う事です。それが金融資本主義なのでしょう。チンタラチンタラもの作りなんて遣っていられるか、ノーベル経済学賞をとった多くの学者を擁するアメリカこそ有利な市場が、金融資本主義だった。しかし、金が金を産む金融資本主義には、重大な欠点があった。後で考えれば呆れるほど単純なマルチ商法に過ぎないもので、実態があるようなないような虚構の世界だったのである。しかし、そのゲームに夢中になっている間は、誰も気づかず指摘すらしなかったのである。

 この実態のない虚構のマネーゲーム(金融資本主義)は、栄華を誇った自由主義、資本主義までも落伍者に貶めるところだった。どうにか土俵際で持ちこたえ、場外に転落せずに済んだが、世界中に負の遺産をバラまいた。必ずしも直接的原因とは言えないが、その負の遺産は脆弱な経済基盤に置かれていた国々の国家経済を直撃した。特にEU諸国において顕著に現れ、現在の欧州危機に至っている。病原菌をバラ撒いた米国は、それこそ再び金融資本主義的理論で、基軸通貨を持っている強みを生かし、再生の体裁を整えた。しかし、その体裁も虚構なものだろうから、バレないうちに実体経済の態勢を立ち直らせようとしているようだ。

 東西冷戦後の世界は主に経済に関わる国家的利益損得が表面立ち、自由主義、資本主義では、本来バックボーンになり得ない軍事力にも力点が置かれるに至っている。早い話が、商人が暴力装置を携えて取引に臨むと云うのだから、これはマフィアの世界と何ら変わりがないと云う事になる。ところが、このようなマフィアのような行為が、昼日中から、堂々と表通りを歩く世界が、現在の世界を支配していると云うのだから、冷静に考えると、相当に狂っている。この条件で取引しないのなら、明日の夜強盗に入られても助けてやらないぞと脅しているのである。

 その説教強盗のような国が米国であること、そして脅かされてばかりでは癪だと黙々と力をつけているのが中国だろう。乱暴な見方だが、上述するような按配で世界は動いている。中東やイスラエルでは幾分異なるニアンスで争いが起きているが、概して欧米日がそれぞれ異なる形態で経済的に苦しんでいるわけで、その解決方法もそれぞれ個性的だ。しかし、根っ子には自由主義、資本主義経済で栄華を誇った国々が苦しむ原因が経済成長の鈍化と云う問題を抱えていると考えるのが妥当だ。なぜ先進諸国の経済が成長しなかったり、鈍化してしまうか、賢者の多くは知っている筈だが、語ろうとしない。語ろうとするどころか、まだまだ成長の糊代は残っていると主張する。

 しかし、その主張は何処か苦し紛れだ。どんな馬鹿にでも理解できるような成長の理屈でない限り、そこには為にする主張が織り交ぜてあるのだ。無理やり作る市場は一過性で、必ず息切れと副作用を伴う。筆者自身、明確な答えは持っていないが、米国や日本で売れているもの等を見るにつけ、手に入れないと多少不便な場合があるが、それがないと直ちに人生に支障をきたす類のものは殆どない。つまり、衣食住と異なり、文化的最低限度の生活を営む為の絶対的必需品ではないものばかりである。つまり、そんなものはいらないのだ。

 生命維持や文化的人間として生きる最低限のものは、既にそれらの国には満杯にあり、それを如何に捨てるかに興味が移ろうとしているくらいなのだ。そのような国々が経済成長しないのは当然の帰結であり、成長している方が奇異なのである。経済学者や識者は、日本だけが経済成長しないのは、どこの何某かの政策が良くないとか、アイツらが貪り食べているとか言うわけだが、実は先進国においては、日本のような姿が自然なのかもしれない。此処に目を向ければ、日本がさして間違った方向に進んでいるとも思えないわけで、成長している米国や韓国や中国の方が悩みは多いのかもしれない。



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