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徽宗皇帝のブログ

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天安門事件?
昨日のテレビニュースで、またしてもアメリカ議会が天安門事件のことで中国を非難していたので、(どうやら、昨日か一昨日がその「記念日」らしい。)ずっと前に書いた、天安門事件についての記事を再掲載しておく。私はべつに今の中国政府に縁もゆかりも無い人間だが、欧米による「民主化」をスローガンとした他国攻撃にはほとほとうんざりしているので、その魁となったこの事件のことは世界がもっと詳しく知るべきだろう、と思う。今の中東やウクライナも同じ路線上にある出来事なのである。
私がこの世でもっとも嫌悪するタイプの人間が、この天安門事件の「英雄」ウアル・カイシ(と言ったと思う。)や柴玲のような人間である。戦いを焚き付け、いざ戦いとなると真っ先に戦場から逃亡し、自分たちだけは安全な場所で英雄面をする連中が、一番大嫌いである。かつての日本陸軍上層部や参謀本部にもそういう人間がたくさんいたようだ。安倍や石破にもその匂いがある。





(以下再掲載)


「天安門事件」のこと

アメリカが天安門事件について中国に何か言っているようなので、参考までに町山智浩氏のブログより天安門事件の実態についての記事を引用する。
私も以前に天安門事件のことを書いたことがあったが、その時は、推理のみで書いた。その推理はほとんど正しかったようだ。「天安門広場」の外での虐殺については、まったく知らないので、今はコメントしない。この問題が教えるのは、およそ、「民主化運動」というものの背後にはCIAがいる、ということである。

(以下引用)

インチキというものは、放っておくと、トンデモないことになるという話。

 天安門事件を覚えているだろうか。1989年、北京の天安門広場に集まった民主化を求める学生たちを人民解放軍が虐殺した、とされる事件だ。
「とされる」としたのはウソだからだ。当時、現場に最後まで残った朝日新聞のスペインのTV局の記者が後に「学生たちは安全に広場から退去し、一人の死傷者も出なかった」と証拠のビデオを提出し、世界のマスコミは天安門広場の虐殺は誤報だったと撤回修正した(死傷者が出たのは広場の外である。それに広場にいた学生たちが撃たれたわけではない)。
詳しい資料です。
http://www.kks.ed.ynu.ac.jp/sub03/murata-tian’anmen2.html

ここが重要なので繰り返す。
天安門[広場内]では一人の負傷者も出ていない。
NYタイムズ、ワシントンポスト、米三大ネットワーク、CNN、BBC、日本ではNHK、朝日新聞その他、全世界のマスコミは後に誤りを認めた。
「天安門広場で虐殺はなかった」
それは現在、公式の事実として国際的に政治レベルでも確定している。

しかし、虐殺という誤報はどこから発生したのか?

 カメラマン今枝弘一(当時27歳)が撮った写真のせいだ。米TIME誌にも掲載されたこの写真は学生を踏み潰す装甲車と「説明」された。実際には犠牲者らしきものは見えないが、世界中がその「説明」に飛びついた。今枝は「日本のキャパ」と呼ばれ、一躍スターになった。
 天安門虐殺が否定された頃、『宝島30』という雑誌をやっていたオイラは、今枝弘一に直接電話して真偽を追求した。すると彼は装甲車のキャタピラあたりに「テントに包まれた人間らしきものが」踏み潰されているように見えると言っただけだ、と弁明した。
 で、オイラは尋ねた。
「今枝さんは、それが人間かどうか確認したんですか?」
「いいえ」
 なんだそりゃ?!
 そんないいかげんなことで世界は「天安門広場の虐殺」を信じ、人によっては今だに信じているのだ。

で、恐ろしいのは、後世には「天安門広場で虐殺があった」ということが歴史的事実として残るだろうということだ。
「天安門広場虐殺」と書かれた新聞雑誌が圧倒的に多く、その後の事実修正はひっそりと行われ、テレビや雑誌などではほとんど報道されなかったからだ。
特にひどいのは、現場に最後までいて死傷者なしで撤収する一部始終を一緒に体験した朝日新聞の記者が(つまり彼は今枝よりも長く深く学生側に入り込んでいた)「死傷者はいない」と社内で主張したにも関わらず、朝日新聞はなかなかそれを記事にせず、世間と同じように「虐殺報道」に乗り続けた。その記者が個人的に集会を開くなどで証拠を見せたりして苦労した末に、朝日新聞はやっと虐殺報道を修正した。

しかも、今枝の天才的なところが、彼自身は虐殺があった「ような」ことしか言っていないという点だ。
彼の曖昧だがサジェスティブなコメントに勝手に発情した世界のマスコミが、ただ装甲車が佇んでいるだけの写真を指して「民衆を戦車が蹂躙した衝撃の瞬間!」と叫び狂っただけだったのだ。

以上のような事実関係を『宝島30』に書いたら、当時はまだあった『マルコポーロ』という雑誌に「今枝弘一氏は“虐殺があった”とは言ってない。あの誤報道の責任を彼に負わせるのはよくない」というような反論記事が出た。

そりゃ、あんたのいうとおり、たしかに今枝は「虐殺があった」とは言ってないよ。けど、明らかに世間とマスコミを「虐殺」の方向に意図的に誘導したじゃん!
いまだに、天安門広場で学生が死んだと信じている人のほうが、後の「死傷者ゼロ」という報道修正を知っている人よりも圧倒的に多いが、信じてる人に「なんで信じてるんですか?」とアンケートしてみればいい。
6割以上が今枝の写真を理由に挙げるはずだ。責任あるよ。
それをかばうなんて、あんたもジャーナリストとしてどうよ?

その奇妙な今枝擁護記事を書いたのはたしか勝谷ナントカとか言う男だった。
「マルコポーロ」は、後に例のホロコースト否定トンデモ記事がきっかけでつぶれた(笑)。

現場の目撃者(しかも身内)を信じず、虐殺という「物語」を信じようとしたのは朝日新聞だけではない。
広場から最後の学生が安全に撤収するまでビデオカメラを回し続けたスペインのTVマンたちも「けが人ひとつなかった」と言ってもテレビ局は信じてくれず、彼らの映像を放送してくれなかった。彼らは今枝よりも長く現場にいて、証拠のビデオ映像があるのにだ!

人は証拠よりも自分の信じたいものを信じる。

だからスペインのTVマンたちは自分たちが体験した事実を証明するために一年近くかけてさらに証拠や証人を集めなければならなかった。
その証拠映像はドキュメンタリーとして編集され、NHKで放送されたが、日本のマスコミはそれをほとんど黙殺した。
「虐殺!」ということでさんざん盛り上がった手前、引っ込みがつかなくなったのだ。

しかも、今枝の写真に始まる「虐殺のイメージ」は単に誤報というだけでなく、その後の世界の中国に対する政策にまで影響を与えた。
やっぱり、どう考えても彼には大変な責任あるよ。

<追補しました>
「天安門広場の外では300人死んだのだから事件の本質自体は変わらない」と言ってる人もいるので、ついでながら言っておく。
それもまた「証拠や証言よりも、自分の信じたいものを信じる」ことなのだ。

この事件の本質は、世界が当時信じた「善意の学生運動を政府が軍で弾圧した」という単純な話ではなかったのだ。
死者300人について最も責任を負うべき者は、学生のリーダーだったのだ。

なぜなら、彼らは意図的に、軍の介入と「虐殺」を引き起こそうとしたと、アメリカの映画やテレビのインタビューなどですでに告白しているからだ。

そもそも政府にとって、北京に解放軍を入れるのは内外ともに悪い効果しかないことが明らかなので、絶対にやりたくない最後の手段だった。そのため政府は最後まで無血で学生を排除しようと説得していた。
しかし、学生側のリーダーたちは説得を拒み続けた。なぜなら彼らは「虐殺が必要だ」ったからだ。
1995年製作のアメリカ製ドキュメンタリー映画「天安門THE GATE OF HEAVENLY PEACE」(日本でもちゃんと公開済)で、学生リーダーの柴玲(チャイ・リン)が無責任にも、カメラの前ではっきりとこう言っているのだ。

「政府を追い詰めて人民を虐殺させなければ、民衆は目覚めない。だけれど、私は殺されたくないので逃げます」

彼女らは、政府と学生を煽って、なんとかして虐殺を起こそうとしたのである。そして、いざ軍が来るという情報を得ると、自分たちだけCIAの手引きでこっそり海外に脱出したのだ。
軍が入ってきた時、広場に残った学生たちは柴玲たちがいなくなっていることに気づいて呆然とした。
いつの間にか中国を脱出していた柴玲たちは見てもいない「天安門の虐殺」を世界のマスコミに向けてアピールした。

要するに今枝の写真は彼らの企みに利用されたのだ。

真実はそういうことだったのである。
はっきり本人が「虐殺させなければ」と言っている映像が残っている以上、
学生たちを踏みにじったのは軍の戦車ではなく、柴玲たちなのである。

柴玲が亡命後に最初にしたことは美容整形だった。
現在、アメリカやヨーロッパのTVドキュメンタリーでも、亡命した学生リーダーたちは「学生を利用し、事件の責任を負うべき者」として批判されている。そのうちのいくつかは日本のテレビでも放送されている。
また柴玲たちのその後を追ったノンフィクションも出版されている。

この事件で評価すべきは、柴玲たちの冷酷な企みにも負けずに無血撤収を成功させた学生たちと、柴玲たちが期待していたような最悪の事態を食い止めた軍側の指揮者たちである。





(ついでにこれも再掲載)



「民主化闘争」の「英雄」たち

昔、天安門事件というのがあった。中国政府の「民主化」を求めたデモ隊に警察が発砲し、数人の死者を出して、その後、無数の逮捕者を出したという事件である。
私が驚いたのは、このデモの首謀者のウアル・カイシという学生やその他のリーダーたちが、事件が破局に至る直前に、あっという間にアメリカに亡命したことであった。いくら何でも、こうした大事件の関係者がそんなに簡単にアメリカに渡航できるわけがない。これは、事件の前から亡命準備をしていたとしか考えられない。ということは、この事件は「アメリカが起こした事件」である、というのが私の出した結論であった。ウアル・カイシを脱出させたのはCIAであろう、と推理したわけである。

(以下、ウィキペディアから引用)

その後6月3日の夜中から6月4日未明にかけて、中国共産党首脳部の指示によって、人民解放軍の装甲車を含む完全武装された部隊が天安門広場を中心にした民主化要求をする学生を中心とした民衆に対して投入された。一旦は数で勝る民衆によって阻止されたものの、その後これらの部隊は中国共産党首脳部の命令に忠実に、市街地で争乱を繰り返す民衆に対して無差別に発砲した[6]他、装甲車で市民を轢き殺すなどして多数の民間人を死傷させた[7]。
この様な無差別な武力鎮圧は数時間に渡り行われ、6月4日未明以降も天安門広場に残った民衆の一部は、最終的に人民解放軍の説得に応じて広場から退去した[8](また、スペインの放送局が撮影した映像によると、学生を含む民衆に対して軍からの退去命令は行われていたが、多くの学生を含む民衆はまだ広場に残っていた)。なお、学生運動の主立ったリーダー達の一部は武力突入前にからくも現場から撤収し、支援者らの手引により海外へ亡命した。
(引用終わり)

その当否はともかく、国際的事件に対して私が常に眉に唾をつけて眺めるようになったのは、多分この事件からである。自分が騒ぎを扇動しておきながら、事件が破局に至るその直前にじぶんたちだけ逃亡するという、この行動の醜さにあきれたということもある。

そういう意味で、私はアウンサンスーチーがビルマ(ミャンマー)民主化闘争の旗手であるとも思っていない。彼女が本当に体制にとって危険な人物なら、これほど長い間、その生命が無事であるはずがない。結局はこれも体制側と裏で手を結んだ八百長芝居にすぎないのである。そして、その背後でシナリオを書いているのが欧米国家である。アウンサンスーチーの背後関係を探ったら、必ず欧米国家との関係が出てくるはずだ。表に出ているだけでも次のように欧米べったりの人物である。

(以下、ウィキペディアから引用)

アウンサンスーチーはビルマの首都だったラングーンに生まれた。
1960年に母親のキンチーがインド大使に着任すると、アウンサンスーチーはデリーで学ぶことになる。1962-63年にはデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。1964-67年にはイギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取得する。なお1990年には名誉フェローに選出された。 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で研究助手を務めた後、1969-71年にはニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となる。
1972年にオックスフォードの後輩でチベット研究者のマイケル・アリスと結婚し、アレキサンダーとキムの2人の息子をもうける。ブータン外務省研究員、オックスフォード大学ボーダリアン図書館の研究員を務める。
(引用終わり)

同様に、チベット問題も欧米国家がシナリオを書いているに決まっている。ダライ・ラマはチベットにすら住んでもいず、国外から反中国を焚きつける扇動的言動をしているだけだ。

(以下ウィキペディアから引用)
CIAとの関係
1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。援助資金は、志願兵の訓練や対中華人民共和国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てがわれた。長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中華人民共和国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった[44]。
(引用終わり)

私は別に中国政府やミャンマー政府の肩を持つ気はないが、世界のマスコミは欧米資本の支配下にあるのだ。その欧米マスコミが言うことをすべて信じて、国際的な政治問題を判断することがいかに危険であるかに注意を促したいのである。
実に簡単な判断方法がある。それは、国際的な政治事件が起こったら、まず欧米支配層を疑え、ということである。もっと一般化して言えば、「それで利益を得るのは誰か」という、推理小説の原則を適応せよということだ。
一般に、「民主化闘争」とは、欧米国家にとって都合の悪い国家や政府を転覆させるための工作にすぎないことが多い。特に、それが暴力闘争になってきた場合は、必ずその背後に欧米国家の手がある、というのは中南米の近現代史を見れば常識に近いだろう。

ということで、上に挙げた人物たちの崇拝者たちには済まないが、私は彼らを芝居の役者もっとはっきり言えば、欧米のスパイだとしか思っていないのである。





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