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徽宗皇帝のブログ

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天皇という存在における「権力」と「権威」
「谷間の百合」から全文転載。
ここに書かれた考えに私もまったく同じである。前に書いた、「日本は天皇制国家ではない」という趣旨の文章は、同じ考えに基づいている。

天皇には「権力」など無い。今の憲法の規定上、天皇が権力を持つことはありえないのである。では、皇室が税金を使って贅沢三昧の生活をしているか。それもノーである。イギリス王室のようにスキャンダルまみれか。それもノーである。
もちろん、それは今上天皇皇后両陛下の高尚な人柄のゆえで、それが同じ水準で子子孫孫永遠に続くことはないだろうが、皇室という存在自体の持つ「ノブレス・オブリッジ」が皇室の人々を精神的に律していくだろうと私は思っている。それが天皇の「権威」の源泉となる。
すなわち、天皇とは、権力的存在ではなく、権威的存在であり、権力が絶対に腐敗するものである以上、権威が権力から国と国民を守る防波堤となるシステム(これは国民は意識していないが、潜在意識として存在していると思う。私はそれを顕在化させ、できれば明文化させたいと願っている。)は、日本だけが持ちえた、世界史的にも稀な、貴重なシステムだと私は考えている。それが、私の「尊皇主義」である。


(以下引用)


天皇がいなくなれば日本はいい国になるのですか?
天皇憎しの人に反論する気持ちはなく、天皇に無関心な人やなんとも思っていない人に向けて書きたいと思います。
誤解はしかたないとしても、あらゆるデマが排除された上で議論できればいいとは思いますが、出来ない相談でしょうね。
コメントにある、天皇は法律をつくる権利があり、、天皇発議の法令がだされている、とはどういうことかびっくりします。
もしかしたら、天皇が、法律や条約や政令などの紹書に「御名御璽」の押印をされていることをもって法律をつくったと誤解されているのではないでしょうか。
あり得ないことです。

天皇は絶対君主でも権力者でもないということがどうしても理解できない人がいるようで、その誤解を解く一つの手掛かりに、昭和天皇が皇太子に宛てた手紙を読んでほしいと思います。

「今度のような決心(終戦の決断)をしなければならない事情を早く話せばよかったけれど、先生(皇太子の担任教師)とあまりちがったことをいうことになるのでひかえて居ったことをゆるしてくれ」

ここを読んでどう思われるでしょうか。
天皇は、一介の担任の考えを斟酌し尊重した上で、その担任とは違う自分の考えを伝えることで皇太子が混乱しないだろうかと、実に細やかな心遣いをしておられるのです。
手紙はそのあと戦争の敗因について、
国民が皇国を信じ過ぎて英米をあなどったこと
軍人が精神に重きを置き過ぎて科学を忘れたことを挙げておられます。

「あたかも第一次世界大戦の独(ドイツ)の如く、軍人がバッコして大局を考えず、進むを知って退くことを知らなかった」と。


 


わたしは、最近になって天皇の戦争責任を問うべきだと思うようになりました。
天皇の責任を問うことでしか全体が見えてこないからです。
軍人の跋扈、マスコミの扇動、それに同調していった国民、つまり、天皇以外すべてが戦争に向かっていったのです。
明治天皇も戦争に強く反対だったそうですが政治に押し切られました。
もともと、明治新政府に利用すべく祭り上げられた明治天皇に実質的な権力などなかったのです。
天皇は統帥権をもっていましたが、それも軍部や政治家がお膳立てをした形式的なものです。
形式的に天皇にすべての権限を与え、すべての責任がそこに行くようにしたのだと思います。
しかし、部下の不祥事は上司に責任があるという意味で天皇には責任がありました。
それが天皇の責任です。
その責任を果たそうとされたのが、終戦と同時に始まった全国行脚(巡幸)だったのだと思います。
(天皇を迎えた国民の熱狂は大地を揺るがすほどだったということです。)

安部政権は戦争に向かっていますが、もし戦争になり敗戦したら、また天皇の責任を問うのですか。
なぜ反対しなかったのかと。
戦争責任を問われた昭和天皇が
「そのような言葉の綾については答えられない」と言われたことがどうして「逃げた」ことになるのですか。
疑念のこころで訊けば、なにを訊いても疑わしい、、
責任があるとかないとか、そんなことを軽々しく言えないのが天皇です。
権力者には忖度しても、なぜか天皇のお気持ちは忖度しないようですね。

天皇がいなくなれば日本はいい国になるのですか? 
2千年の歴史を切断するということがどういうことか分かったうえで皇室廃止を言っているのですか?






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