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徽宗皇帝のブログ

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子供は「消費性」だけの存在である
「逝きし世の面影」記事の一節だが、例によって鋭い視点である。
子供を持つのは(「生産」つまり「生む」「産む」という言葉で錯覚しがちだが)「生産」ではなく「消費」行動である、というのは目から鱗の言葉だ。確かに、子供が何かを生産するのは20年後30年後であり、しかもただの穀潰しのニートになる可能性も大いにある。
しかし、穀潰しは資本主義社会においては貴重な「コンシューマー(消費者)」なのである。企業が望むのは、生産者ではなくむしろ消費者(客)だろう。生産者などどうにでもなる。多くの仕事は機械でも代わりは務まるし。
数十年前から「少子化」の心配をする声が社会上層部から出ていたのは、企業にとっての消費者がどんどん減少するからであったわけだ。少子化とはつまり「資本主義の終わり」を意味したのだ。(生産者も消費者も極小化していくと、社会は最後は少数の有閑階級だけになるだろう。つまり、H.G.ウェルズの「タイムマシン」で描かれた世界だ。)
現代日本の問題は「生産性」ではなく、むしろ「消費者の不在」、つまり、国民一般にカネが無いことなのである。


(以下引用)



『生産性と、子供を産むことが同じなのは牛や馬など家畜だけ』

子供を産む夫婦にとって『生産性』云々はあまりにも的外れ。(牛や馬など家畜の出産なら生産性の論議は当然だが、)そもそも子供の出産に伴た『家計の出費』で我々のような一般市民層は高額の消費税を払っているのですから生産では無くて消費行動と考えた方が辻褄が合う。(日本のように学費などに消費税を取る国は非常に珍しい)
子供を産むと高過ぎる『日本の教育費』が家計を直撃するので今のような少子化が進行していた。子供を産むことが『生産性があがる』(少しは儲かって、家計が潤う)なら今の日本国のような少子化は起きていないのである。


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