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徽宗皇帝のブログ

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安倍政権(または上級国民)と行政府が共謀罪を必要とするわけ
「混沌堂主人雑記」から転載。
私も「そのとおり」と思う。
頭が良く、知識のある人の文章は、いい。読む価値がある。ただ、私は引用されているブログのブログタイトルが釈然としないので、「お気に入り」には入れていないのである。「戦闘教師」とは、何に対して戦っているのか。その「教師」が「永田町」で誰と「激闘」しているのか。そもそも教師風情が永田町に出入りはできないだろうwww
まあ、些細なことに茶々を入れるのは私の悪い癖だが、これは、たとえば高価なお茶でも、小蝿が飛び込めば、飲む気が無くなる、というような一種の潔癖症である。私の妻など、味噌汁に青虫が入っていても「タンパク質と思えばいいじゃない」というような人間だwww まあ、もちろん、自分が作った料理の場合だけだと思うが。


(以下引用)



そのとおり。
戦闘教師「ケン」 激闘永田町編  より

上記文抜粋
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自民党と霞ヶ関が共謀罪を必要とするワケ

共謀罪法案が衆議院を通過した。本会議の最終弁論では、自民・KMの両党から特に民進党を罵倒する演説が行われ、「国民の不安をいたずらに煽り立てる野党」が強調された。その自民もKMも「テロ対策上必要不可欠」と強調するわりに、法案には「テロ」の文言は1つもなく、およそテロとは関係ない罪状にまで対象が広げられていることについて明確な答弁はなされなかった。

だが、例えば、SGの初代会長は治安維持法違反で検挙された後、拷問死しており、今回の「テロ等準備罪」も普通に考えれば、日本最大級の宗教団体であるSGこそがターゲットにされて然るべき存在であることは言うまでも無く、連中は自分の首に縄を掛けただけのことだった。共謀罪の対象から公務員が除外されていることは、連中が誰をターゲットにしているのか、露骨すぎるほど明確なはずだが、連中は現在手にしている権力を維持するために、自分の生命と財産を担保に入れてしまったのだ。

他方、市民団体からは「民進党がだらしない」との批判が上げられているが、そもそも民主党野田政権期には、秘密保護法、安保法制、共謀罪、TPPなど今の安倍政権とほぼほぼ同じ法案を準備しており、何を言っても「唇寒し」の状態にあった。同様に、所属議員の過半数がそれらを支持しており、到底戦える状況になかった。

現実には、例えば、1937年に起きた人民戦線事件では、本来共産党と同党員をターゲットにしてきたはずの治安維持法によって、社会民主主義者、労働運動家、マルクス経済学者などが一斉検挙され、一次、二次含めて480名以上が逮捕された。ところが、法廷で有罪判決が下されたのはわずか数人に過ぎず、圧倒的多数は無罪に終わった。数件の有罪判決についても、判決が出る前に容疑者は保釈され、かつ控訴審は延期され続けたまま終戦を迎え、結審に至らずに終わった。このことは、当局(特高=秘密警察)が対象を必ずしも有罪にしなくとも、強制捜査や検挙、拘束することだけで、対象の動き(運動)を抑止することが可能であることを示している。
治安維持法全体で見ても、1928年から同40年までの検挙者数6万5千人のうち起訴者数は約5400人に過ぎず、起訴率はわずか8%でしかなかった。
実際に起きた犯罪を取り締まる一般の行政警察と異なり、国家規模の治安維持を目途とする秘密警察の場合、反体制運動の事前防止と撲滅を目的とするため、公判で有罪にすることよりも捜査や検挙で運動を妨害あるいは組織の撲滅を目指すことになる。言うなれば、共謀罪や準備罪の創設は、公安警察にフリーハンドを渡すものなのだ。

それにしても、自民党と霞ヶ関が10年以上も共謀罪の創設に情熱を燃やし続けたのは何故だろうか。いや、自民党に限らず、民主党野田政権でも共謀罪を準備していたのだから、そこには表面上説明されない真の理由があると見て良い。残念ながら、今回は官僚や議員からは確信的な言葉をもらっておらず、以下は私の推測になる。

1925年に治安維持法が施行されたのは、一義的には同年に日ソ国交が樹立されて共産主義の浸透が予測されたことにある。一般的には、28年の男子普通選挙法に対する警戒として説明されているが、これはどうやら後付けの理由らしい。だが、その背景にあったのは、1920年に第一次世界大戦の大正バブルがはじけてデフレ不況が起こり、これに対して緊縮財政が敷かれて深刻な経済不況が長引き、小作騒動や労働争議が蔓延、社会不安が増大していたことにある。そこに「日ソ国交回復=コミンテルンの浸透」が現実的な恐怖として現れた。1923年に関東大震災、同27年に昭和金融恐慌が起きていることを鑑みても、現代人には当時の社会不安が想像しづらいかもしれない。

そこで現代に戻る。戦後日本の繁栄と安定は、「戦後和解体制」によって説明される。
戦後和解体制とは、東側の共産主義の脅威に対抗すべく、西側で成立した資本家層と労働者層の協同的体制を指し、資本主義と自由経済を容認しつつ、再分配と社会保障制度の充実を図ることで、労働者層の体制参加(取り込み)を進めるものを指す。これにより、いわゆる「分厚い中間層」が誕生し、消費が拡大することで市場経済が活性化するという経済成長の好サイクルができると同時に、政治的安定が確立した。日本において、社会党の伸張が止まったのは、岸内閣が国民年金と健康保険を創設し、社会党の「やりたいこと」を先に実現してしまったことが大きい。

ところが、ソ連・東欧ブロックが崩壊したことで、戦後和解体制はその意義を失ってしまう。東側陣営の「社会主義」に対抗すべく、労働者層の取り込みを図ってきたが、その政治的意義が失われ、配慮する必要がなくなった。
また、時期を前後して、社会保障の財政負担が急激に増し、慢性的な赤字に悩まされるところとなった。「民主的な選挙」で選ばれる政治エリートは、選挙に勝つために社会保障費の削減を主張できないため、財政赤字は肥大化する一途にある。
さらに経済のグローバル化によって(ソ連ブロックの瓦解も影響)、国内産業の多くが賃金の安い海外に移転、海外市場との低賃金競争が始まって、国内の失業ないしは低賃金が蔓延していった。日本では、80年代まで10%程度だった非正規雇用が、90年代から急増、いまや40%に近づきつつある。また、最低賃金は先進国中最低水準にある。
結果、戦後和解体制は、政治的意義を失い、財政的に継続困難となり、基盤となる国内産業や労働待遇が切り崩されることで、崩壊しつつある。欧州における「極右」勢力や、アメリカにおける「ポピュリズム」の伸張は、その表れと言える。

戦後和解体制を維持するためには、社会保障制度を維持する必要があるが、そのためには肥大化する同費を補うだけの、保険料や税が必要となる。ところが、保険料は高齢世代の増大と現役世代の縮小により、放っておいても現役世代の負担は上昇するばかりとなっている。現役世代の負担が重くなればなるほど、少子化が進み、縮小再生産のスパイラルに陥っている。
また、税収を上げるためには、所得税、消費税、法人税の3つが主な対象となるが、所得税を上げても、高額所得者は「タックス・ヘイブン」を利用し、中低所得層の負担が重くなるだけ。消費税は消費を抑制すると同時にヤミ市場を蔓延させよう。法人税は、国際的に引き下げ競争を行っている上、会計粉飾を蔓延させる。つまり、増税はデモクラシーの制度上難しい上に、増税すればするほど実際の徴収が難しくなるというジレンマを抱えている。

財界、官界、マスゴミの支持を受ける自民党は、富裕層に対する増税や保険負担増を行えず、「増税せずにパイを増やす」戦略を採るが、結果的には、インフラを含む生産財に集中投資した上で、奴隷労働を強化し、賃金を引き下げる(非正規雇用を増やす、残業代を出さない)ことで実現しようとしているため、使いもしない生産財ばかり増え、固定維持費が高騰、一方で大衆増税や保険負担増が行われ、可処分所得が低下、消費がますます減退するという貧困と不平等の連鎖に陥っている。
他方、中間層の没落と貧困の蔓延を尻目に、権力に富が集中、腐敗が加速、急速に統治能力を失ってゆく。統治能力が低下するため、治安を維持するために、暴力行使のハードルも下げざるを得なくなっている。同時に、軍と警察を拡張するため、新規増税が不可欠となるが、富裕層の支持に依拠する自民党は、大衆増税や収奪によってしかその財源を賄えない。

貧困と不平等は社会に対する不満を増大させ、体制への不信を強め、著しく治安を悪化させる。この治安の悪化に対し、当局は暴力をもって応じるしかない。何故なら社会政策を進めるためには、貴族や資本家層に課税強化するか軍備を縮小して財源をつくる必要があるが、帝国権力が軍、官僚、財閥に依拠している以上、それは不可能な話であり、暴力によって不満を抑え込むほか無いからだ。「共謀罪」は、この考え方に沿って浮上してきた。

共謀罪が最初に上程されたのは2004年の小泉内閣時であり、富裕層の優遇策と社会保障の切り下げを主眼に置いた政策であったことは、上記の傍証となる。また、社会保障の充実を中心とした積極財政に舵を切った民主党鳩山政権が共謀罪を取り上げず、大衆増税を掲げた野田政権で復活したことも、傍証となる。

安倍政権が同法を遮二無二に推進しているのは、国民の年金基金を株式市場に投入したことに象徴される資本優遇と、カジノ法に象徴される大衆からの収奪強化、そして財政赤字の悪化に起因する社会保障の大幅切り下げが喫緊の課題になっていることから、近い将来、社会不安が急激に増大し、権力を脅かす事態が近づいているという認識があるからだろう。
霞ヶ関・自民党・財界・マスゴミの腐敗テトラゴンは、国内に「敵」をつくり対立を煽ることで、暴力支配を正当化して治安体制を強化し、貧困と不平等に対する不満を抑制しようという方針を持っている。同時に、自民党と官僚には、一切責任を負う必要が無いことが規定されていた明治憲法に対する強い郷愁がある。これが天皇を元首にするという自民党の改憲案の根幹になっている。
中東や欧米におけるテロ戦争は、あくまでも欧米による中東収奪に起因するものであり、本質的に日本とは無縁のものだ。にもかかわらず、霞ヶ関と自民党が「テロ対策」を掲げているのは、まさに治安維持法における「コミンテルンの浸透」と軌を一にしている。有りもしなかった不安を煽り立てて成立させた治安維持法の行く末は、共謀罪のそれを暗示している。戦後改革は、冷戦の勃発によってファシストを一掃することができずに終わり、七十余年を経て全体主義の悪夢が復活を遂げつつある。

つまり、共謀罪の対象はあくまでも日本国民であり、それは「貧乏人は飢えて死ね!でも文句は言うな!」という自民党・霞ヶ関の強い意志の表れなのである。自民党は本音で議論すれば良いものを、「国民をテロから守る」などと言うから議会に対する不信が強まってゆくのだ。
「東京五輪開催」を共謀罪創設の理由として説明するのも全くの欺瞞だ。3兆円を富裕層で分配し、実際の運営は貧困層の「自発的参加」による徴用で済ませようという五輪は、社会不安とテロの温床を育むものでしかなく、健全な国家であれば返上すべきところを、治安立法で反対派市民を弾圧して開催しようというのだから、これこそが権力腐敗の最大の象徴なのである。



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